2019
01.11

2019年1月11日 総支配人 その4

らかす日誌

あれこれ考えていた私は、一つのことを思いついた。
ポスター作りの内製化である。

キヤノンも出資するデジキャスにいたことはすでにご報告した。キヤノンはプリンターを作る会社である。そこに、大判プリンターがあることを思い出したのだ。
あのH氏に電話をした。

「あのさあ、ホールで大判プリンターを買ってコンサートのポスターを自前で印刷しようと思うんだわ。いまはどこかの印刷屋に頼んでるんだけど、1枚4000円も5000円(正確な金額は覚えていない)も取られてねえ。だから内製化しようと思うんだけど、仕上がりの品質は大丈夫? それと大判のポスター1枚作るのにいくらぐらいかかる?」

彼の答は明瞭だった。1枚のコストは紙代、印刷代が500円程度。印刷品質は

「街の印刷屋だって、ひょっとしたらキヤノンのプリンターを使っているんだよ」

いわれてみればその通りである。私はキヤノン製の大判プリンターを買うと決めた。

「どこかいい業者を紹介して」

「知らないよ、そんなもの」

とは、購入を決めた私とH氏の会話であった。

会社の購買部を通じてキヤノンの大判プリンターを買った。確か35万円前後だった。操作は朝日建物管理のホール担当、N君に頼んだ。いや、業務委託先だからN君に仕事を押しつけたわけではない。私を含めて、他に操作できそうな人物が見いだせなかったのだ。
音楽事務所が用意したポスター用の画像をウインドウズのパソコンにコピーし、いくつかの操作をして大判プリンターで印刷する。私はMac派でウインドウズと来ただけで虫唾が走る。他の社員にも

「できる?」

と聴いたが、

「できますよ」

と答えたのがN君だけだった結果である。

公演一つにつき、確か3枚から5枚のポスターが必要だった。5枚としても2500円で済む。外注すれば2万円以上かかる。ささやかだが、経費の削減である。
加えて、貸しホールとして浜離宮ホールを使う音楽事務所からも

「ポスター、作ってくれませんか?」

との依頼が入り始めた。想定外の収入である。街の印刷屋より安く提供したのはいうまでもない。

第1弾のホール改革は赤字総額から見たら鼻くそのような改革であった。だが、当時の私にはその程度の知恵しかなかったから仕方がない。
それからしばらくしてからだった。ふと気になることが出てきた。浜離宮朝日ホールのキャッチコピーである。

「世界で9本の指に入る音のいいホール」

確か、そんなものだった。
このキャッチコピーができたいきさつを知っているだろう若い朝日新聞社員の部下(面倒くさいが、こう書かないと正確には伝わらない職場なのである)に尋ねてみた。

「何で9本の指に入る、っていえるの? 根拠は?」

答は明瞭だった。

「はい、根拠はあります。アメリの音響学者が世界中の音楽ホールの音響を調べて本を書いています。その中に浜離宮朝日ホールがはいっています」

「へー、そうなの。その本ある?」

彼はキャビネットから1冊の英語で書かれた本を持ってきた。そしてあるページを開くと、

「ほら、これですよ」

と指し示した。
詳細は忘れたが、確かにホール音響のランキング表があった。最上クラスには、ウィーンの楽友協会など3つのホールがあった。それに続いて6つのホールが最上に次ぐクラスとしてあげられ、確かに浜離宮ホールの名がある。日本で9本の指に入っているのは浜離宮ホールだけである。

「なるほどね。確かに9本の指に入っている。だけど、9本の指じゃあ、インパクトが弱い。何とかならないかなあ。最上に3つあって、その次の6ホールに入っているんだから、世界で4番目に音がいいホールともいえるわけだ。6つのホールは同着4位だからね。でも、4番目ってのもいやだな。オリンピックでは表彰台に上がれない」

その日はそれで終えた。しかし、私はその本を手元に起き続けた。暇なときに読んでみようと思ったのである。

さて、それを思いついたのがいつだったのかはっきりしない。
例のランキング表を眺めていた私は、何となくそれぞれのホールを収容人数の欄を上から下に見ていった。浜離宮ホールの収容人数が552人、程度のことはすでに頭に入っていた。何度か人数を確かめながら表を見ていた私は、あることに気がついたのである。

「これ、浜離宮を除くとフルオーケストラを舞台に乗せることができる大ホールじゃないか。収容人数は1500人以上。うちの3倍以上だ。これ、使えないか?」

浜離宮ホールにはフルオーケストラは入らない。30人前後の小編成のオケが限度である。事務室にいたみんなを呼び集めた。

「と気がついたんだけど、『世界でいちばん音のいい小ホール』っていえるよね。どうだろう? 私としては、とにかく世界一、という言葉を使いたいんだ」

私の回りに集まっているのは、クラシック音楽に私をはるかに凌駕する見識を持った人ばかりである。直ちに

「小ホール、ってね」

と異論が出た。そうか、ホールってのは大小で表現するものではないらしい。

「こうしましょうよ」

といったのは、確かM嬢であった。編集局校閲部にいて、自ら手を挙げてホールへの異動を願い出て着任していたから、私がこの事実に気がついたのは、多分その年の4月以降のことである。

「世界で最も響きが美しい室内楽専用ホール。こうすれば世界一ですし、事実しか述べていませんから」

それで決まりだった。いま、浜離宮朝日ホールのホームページを開いていただくと、

「世界でも最も響きが美しいホールの一つと評価されるシューボックス型(靴箱のような立方体)の室内楽ホールです」

とある。私の思いつきはいまでも生き続けているようである。

だけど、キャッチコピーを変えたからといって業績が伸びるか? わたしはまだ、ホール改革の鳥羽口にたどり着いたのに過ぎない。