2019
02.27

2019年2月27日 クラッシュ

らかす日誌

毎日使っているこのiMacが突然クラッシュした。22日のことである。

いつものように夕食を終えて映画を2本鑑賞、iMacの前に座ったのは午後11時過ぎである。スリープ状態で画面が真っ黒になっているので、スペースキーをたたく。こうするとiMacは目覚める、はずだった。

ところが、目覚めない。画面は真っ黒のままである。いや、一つだけ違っていた。画面の真ん中に、マルの中に斜めの線が入った、そう、進入禁止マークのようなものが出ている。

「なんだ、これ。見たことないぞ、こんなマーク」

いぶかりながら、あちこちキーを叩いてみる。何も変わらない。進入禁止マークが画面の中に居座ったままである。
こういう時は再起動、というのがパソコンの常識である。とはいえ、ソフト的に電源を落とすことはできないので、電源ボタンを長押しして強制終了する。そしてもう一度電源ボタンを押して起動した。

「?」

現れたのは、またしても侵入禁止マークである。

「おかしいな。ウイルスにでもやられた?」

不安は募るが、何が起きたか分からない。ネットで調べようにも、iMacがこの状態ではネットに接続することもできない。
ふと思い出したのは、iPadである。パソコンに比べれば使い勝手がいまいちで、私はあまり熱心なユーザーではない。しかし、ほかにネットにアクセする手段はiPhone程度だ。それよりもこっちの方が見やすかろう。

ということで調べてみた。見ると、起動ディスクが見つからなくて、パソコンが途方に暮れているのだという。起動ディスクとは、OSというパソコンの基本ソフトが入っている記憶媒体だ。通常はパソコン内蔵のハードディスクである。

「そんなバカなことがあるか。夕方まではこのiMacで作業をしていたのだ。パソコンはすでに立ち上がっていたのだ。それなのに、起動ディスクを見つけなければならないはずはないじゃないか」

ますます途方に暮れた。こうなればAppleサポートを頼るしかない。しかし、もう遅い時間である。明日を待つしかない。iPhoneからAppleサポートにアクセス、翌日の午前9時に電話をもらえるよう予約を入れ、この日は寝た。

翌23日午前9時、電話がかかってきた。症状を伝えると、ネットで見たのと同じ解説を聞かされた。

「だって、すでに立ち上がっていたんだよ」

と突っ込んでみると

「おそらく、スリープした状態で何らかの障害が起きたのでしょう。それでiMacは自動的に再起動し、そのマークが出ちゃったと思われます」

ふむ、ではどうする?

「まず、iMacを立ち上げないと何も分かりません。外付けのハードディスクにOSをインストールしてそちらから立ち上げ、調べましょう」

と、外付けハードディスクにOSをインストールする手立てを教えてくれた。

「30分ほどかかると思いますので、もう一度こちらから電話をします」

という話になり、電話は切れた。私はひたすら、OSがインストールされるのを待った。
ところが、である。30分たっても終わらないどころか、1時間、1時間半が過ぎても作業の進行状況を示すプログレスバーは同じ処にとどまっている。おい、これ、本当にインストールしているのか?

再びサポートに電話を入れた。

「そうですか。どこかで不具合が起きましたかね。最初からもう一度やってみて下さい」

今度は違うハードディスクにインストールしてみた。今度はうまく行った。やっとiMacが立ち上がった。そこで、もう一度サポートに電話を入れる。

「では、こちらからリモートであなたのパソコンを操作しますから」

いわれた通りの手順を踏むと、彼が動かすポインタが見えるようになった。

「はあ、やはり内蔵のハードディスクが見えませんね。壊れているようです。ところで、Time Machineはお使いになっていますか? ああ、これがバックアップですか。中を開けて下さい。22日の午後9時過ぎのデータがありますね。これなら、壊れたハードディスクを取り替え、新しくOSを入れれば、すべてのデータが復旧できます」

というわけで、私のiMacは入院することになった。

「修理には3営業日から5営業日かかります。引き取りに伺うのは一番早くて24日の午後6時から9時の間になります」

ということは、あれか。再びiMacで作業できるのは来週末か。1週間ほどパソコンなしの生活ね。

しかし、困る。仕事のほとんどはこのiMacでやっているのである。この「らかす」の執筆も、iMac抜きではできない。3月になれば、やっぱりノートパソコンがないと仕事がしにくい、ということで注文したMacBook Airが届くのでiMacが入院しても仕事に滞りは出ないが、いま入院されるとなあ……。
とはいえ、進入禁止マークが出っぱなしでは、愛すべきiMacが屁の突っ張りにもならない。こんなところでキン肉マンが出てくるのは、そのような年代のせいか……。

まあ、仕事抜き、「らかす」抜きの暮らしをするしかあるまいと覚悟を固め、24日夕に送り出した。

しかし、である。パソコンのない暮らしとは、何とゆとりに溢れたものであることか。
とにかく、やらねばならないことが少ない。仕事の原稿も書かない。「らかす」の駄文も書かない。Amazonに注文することもない。おまけに、パソコンゲームにうつつを抜かすこともない。とにかく、やることがない。

23日土曜日午後から読書に没頭した。569ページもある大著「真実のビートルズ・サウンド[完全版]」を読み終えたのはこの間である。加えて、文藝春秋3月号も読んだ。芥川賞の2作品が全文掲載され、「レーダー照射事件全真相」「AI無能論」など、片っ端から読んだ。

それにしても、である。「真実のビートルズ・サウンド[完全版]」は罪作りな本である。この本を読むと、ビートルズをコピーしたくなる。日曜日から私は、しばらく手を触れなかったギターを抱いて、再び連取を始めたのであった。

しかし、それだけではなかなか時間が潰れない。同時に手がけたのは、四日市の啓樹と

「いっしょにやろう」

と購入した「入試によく出る数学」を解き進んだ。数学なんてものは長時間やると退屈になるので、飽きたら読書に戻り、気が充実したら再び数学に戻る、という繰り返しで、全201テーマ中、すでに126まで解き進んだ。

パソコンのない暮らしは、このようにして充実したものにならざるを得ないのである。人々からより善き時間を奪い去った極悪人は、ひょっとしたらパソコンではないか?

ゆとりある暮らしを楽しんでいたら、何と昨日、早々とiMaが戻ってきた。壊れたときも唖然としたが、修理済みで戻ってきても唖然とした。ゆとりのある暮らしが、こんなに短い時間で終わったかたらである。

Time Machineからファイル、アプリなど必要なものを復旧した。1時間半ほどかかったが、すべてが戻ってきた。ま、これで仕事ができ、「らかす」を書き続ける環境が整ったわけである。

しかし、あのゆとりある日々は心地よかった。それが終わった。さて、これからどうしよう? どうやったらあの豊かな時間とiMacを共存させることができる?
というのは、少し贅沢な悩みなのであろうか?

再び、「らかす」の最前線に戻った私であった。