2019
03.31

2019年3月31日 原稿を書く

らかす日誌

我が家の前の桜並木だが、本日午後4時15分現在、冒頭の写真の状態である。開花はしたが、満開はまだ先、というところだろう。
昨年の4月1日には満開状態だったから、今年は少し遅れているわけである。

だから何だ、ということは何もない。何となく、「らかす日誌」用に観測を続けているだけである。それほど暇でもないのにご苦労さんであることよ、と自分で自分を慰めるのが、何だかおかしい。

さて、昨日も今日もパソコンとにらめっこした。書かねばならない原稿の冒頭を書き出すためである。

思うに、原稿は最初の1行を書くのが最も難しい。ここがすんなりいくと、あとは比較的楽に書き進めることが出来る。その最初の難しさにぶつかって、そう、かれこれ2週間ほど苦吟した。

先週の土日はもちろんパソコンとにらめっこした。書けない。2日間、Wordを開いて腕組みするのだが、思いつく文章を文字にしてみても、読み返してみると使い物にならなかったり、後が続かなかったり。

今週も昨日からにらめっこを続けた。昨日は3,4種書いてみたが、400文字ほどのところで筆が、、というかキーボードを叩く指が止まる。またまた腕組みしてにらめっこをする。書けないまま風呂に入り、晩酌をして夕食を済ませ、いつも通り映画鑑賞に移る。

「ああ、そうか」

と思いついたのは布団に入ってからだった。

「俺、なんか力んでいないか? 自然体で書こうとしているか?」

どっちみち、私に名文なんて書けっこないのだ。どうやら、そこを勘違いしていたのではないか? 今日は力まず、うまい文章を書こうなどという不埒なことは考えず、思いつくままに書いてみた。午後3時頃までに何とか第1回を書き終えることができた。

読み返して、決して香気溢れる名文ではない。どこにでもある、普通の文章である。だが、何となく自然に流れている。

「ま、とりあえずこれでいいか」

とりあえずとは、この文章を公開するまでにはまだ何度も手を入れるに決まっているからだ。そうやって、少しでもましな文章にしようとするのは仕事柄か?

あ、この「らかす日記」はそんな殊勝なことは何も考えていない文章である。気の向くまま、思いつくままに綴っている。何しろ、無料で公開しているサイトである。肩に力が入るいわれもない。

問題は、何週間も考え続けなければ書き出しが仕上がらなかった文章が、果たして「らかす日誌」の文書よりレベルが高いかということである。ふむ、そうあって欲しいとは思うのだが……。

と書いていたら、朝日新聞を受験したときのことを思い出した。

私に朝日新聞に入るよう勧めたのは、子どもの頃新聞配達をしていた販売店の店主であった。学生結婚をしようという私が唯一思いついた仲人候補だったのだ。

仲人を引き受けてくれた彼がいった。

「ところで、仕事はどげんすっとかね?」

私は司法試験を目指していると説明した。在学中に通りたかったが、結婚すればそうもいくまい。だから福岡県庁にでも就職をして司法試験の勉強を続け、30歳ぐらいまでに通ればいいと考えていると話した。

「ああ、弁護士になるとね。それもよかね。ばってん、朝日新聞もよかよ。あんたが受験するとなら人ば紹介するけん、小倉まで会いにいかんね」

当時、朝日新聞西武本社は小倉にあった。そこの社会部長を紹介するという。

私には、朝日新聞を受験する気は毛頭なかった。朝日新聞といえばブル新の代表である。左翼学生を自認する私が、何でそんな会社に入らねばならない?
それに当時、朝日新聞の人気は凄かった。朝日に入りたくて入りたくて、朝日浪人までする学生もいた。当時の朝日新聞は27歳まで受験できたから、そんな学生を生み出したのである。

私といえば、大学に入ってまともに勉強した記憶がない。いや、大学におけるまともな勉強とは授業に出て知識を注入されることではなく、自分で知識を求めることであると勝手に考え、授業に出るより読書を進めることを旨としていた。自学自習の崇高な精神の持ち主であったのだ。
だから、新聞はほとんど読まない。英語の勉強なんてほったらかしである。作文? 何の役にたつ? そんな私が朝日新聞に通ることがあるか? ない。合格の可能性は120%ない。

とはいえ、仲人を引き受けてくれた方の言葉である。せめて受験だけはしなければなるまい。どうせ通りっこないんだから、

「申し訳ありません。試験は受けたんですが、力不足で落ちました」

と挨拶すれば済む。
その程度にしか考えていなかった。

結婚式は3月だった。結婚生活を始めるとすぐに4年生になった。

「ん? 新聞記者って、ひょっとしたら面白い仕事ではないか?」

とふと考えたのは、ゴールデンウィークが終わった頃だった。

「俺は、世の中を少しでもまともにしたいと思って弁護士を志してきた。しかし、考えてみれば、弁護士とは、権力を持った連中が作った法律の範囲内でしか活動できない仕事ではないか。それで世の中をよくできるか? 新聞記者の方が可能性が大きいのではないか?」

いま考えれば、幼児性極まる考えだが、当時の私は真面目にそう考えた。若さとはバカさの代名詞であることを私の歴史は証明している。

が、そう思ったら矢も楯もたまらず、新聞記者になりたくなった。あわてて「新聞ダイジェスト」などという本を買い集め、時事問題を頭に入れ始めた。英訳天声人語を買ってきたのも、受験対策である。そして、作文の練習を始めた。自分でテーマを決め、原稿用紙3枚程度にまとめる。そして、紹介してもらった社会部長に会いにいった。作文を読んでもらうためである。

社会部長さんは、たしか夕食をごちそうしてくれた。食事をしながら、こんな話をしてくれた。

「僕が受験したときにね、こう考えたんだ。作文は最初の文章で決まる。だって、最初の文章がつまらなかったら先を読んでもらえないかも知れないだろ? 読んでもらえない作文にいい点がもらえるはずがない。だから、最初の文章は、読む人をギョッとさせるほど惹きつけなくてはいけない。そう考えてね、さらに僕は、だったら、最初の文字にもこだわらなくてはいけないと考えたんだ。あれこれ考えて、どんなテーマが出ても、最初の一文字は『』にしようと決めたんだ。作文を読み始めて最初に目にする文字が『血』だったら、採点官はきっとあとが読みたくなるだろう?」

貴重なアドバイスだった。
そして、いま思う。そうなのである。文章は書き出しを深く考えなければならない。読者があとを読みたくなる一文を考え出さなければならない。書き出しさえ決まれば、あとは何とかなる……。

という次第で、半世紀近い昔の話を書いてしまった。

えっ、それでその年に朝日新聞に通ったのか、ですって?

あなたねえ、世の中、それほど甘くはありません。当時の朝日新聞の入社試験は7月はじめ。受験勉強を始めてたった2ヶ月で通れるほどの広き門ではなかったのです。はい、みごとに落ちました。しかも、1次試験である学科試験で。ペーパーテストの成績がはるかに及ばなかったのですね、合格最低点に。

私が朝日の門をくぐるには、それから1年の月日が必要だったのです。そう、2回目の受験の際には面白いことがあったのですが、本日はここまでとします。いずれ

私はいかにして朝日新聞にもぐりこんだか

を書く機会もあるのではないか、と思っております。私がその気になるまで、しばらくお待ち下さい。