2019
04.05

2019年4月5日 軽蔑

らかす日誌

ちょっと変則的な読書をしている。まず映画を見て、それから原作の本を読んでいるのである。

いや、それだけなら変則的とはいえないだろう。1980年代の終わり、私は「Back to the Future」をまず映画で見てとても楽しんだ。その楽しみがまだ体内に残っている頃、書店で「Back to the Future」のペーパーバックを見つけた。思わず手に取った。
これも、見てから読んだことになる。

しばらくすると、「Back to the Future Part ll」を書店で見つけた。そうか、Part llがあるのか。思わず手に取った私は、

「これもきっと面白い映画に違いない。子供たちを映画館に連れて行かねば」

と考えた挙げ句、

「だったら、事前に本を読んでおいた方が、子供たちもより楽しめるのではないか?」

と考えた。
ご存じのように、ペーパ^バックとは英語の本である。日本語は一文字も書かれていない。
当時、我が家で英語の本を読めるのは私だけである。であれば、子供たちに、映画を見る前に本を読ませるには、私が翻訳するしかない。そう決心して翻訳を始めた。
やがて、映画の公開日が迫った。さて、翻訳はまだ3分の1も進んでいない。中学から大学まで、浪人時代を含めれば11年も英語を学んだにもかかわらず、私の英語力はその程度である。

「急がねば」

急いだ。仕事の合間を縫うようにして翻訳を進めた。
封切り日が来た。翻訳は半分までも進んでいなかった。子供たちは、事前に原作を読むことなく映画館に行った。映画を見たあとは、誰も本で読みたいなどとはいわなかった。

私は何をしたのだろう?

という経験もある。

変則的なのは、映画が限りなくつまらなかったことである。つまらない映画を見て、パソコンで管理しているデータベースでは整理ポストに放り込んで、

「これ、原作を読んでみるか」

と思い、Amazonで古本を購入、ページをめくり始めたのである。その映画と本の題名が

軽蔑

である。

映画は2011年、廣木隆一監督の作品である。主役は高良健吾 と鈴木杏。ひょっとしたらご覧になった方もおられるかも知れない。
田舎の金持ちの一人息子で、子どもの頃から肩で風を切り、切りすぎて勘当同然になっているアホ兄ちゃんと、新宿のストリップ嬢との恋愛物語である。
何故かは知らないがこの二人、深い恋愛関係に陥って、兄ちゃんはストリップ嬢をかっさらい、ふるさとに戻って同棲生活を始める。そこに昔の不良仲間や暴力団、高利貸し、祖父の愛人だった女が経営するカフェなどが絡み、すったもんだの末、兄ちゃんは不良仲間を誘って金貸しの事務所から現金を強奪。金貸しは不良仲間を痛めつけてこの兄ちゃんの仕業であることを聞き出し、ついに兄ちゃんは金貸しの事務所に殴り込みを掛け、金貸しを殺して自分も死ぬのであった。

一言で言えば、それがどうした? というしかない映画である。感情移入しようにも、悪の魅力、堕落することの魅力すら感じ取れない人間ばかりが登場するから、見ていて退屈で仕方がなかったのだ。

ところがこれ、原作は中上健次の「軽蔑」なのだ。私の記憶では、生まれ故郷の紀州を主な舞台に、ドロドロと絡み合う複雑な人間関係、差別構造を描き通した作家である。

「あの中上健次の作品が、こんなに薄っぺらいか?」

それが原作を読んでみようと思ったきっかけだったのだ。

数日前に届いたので早速読み始めた。うん、やっぱり違うじゃねえか、映画とは!

さて、まだ最後まで読んでいないので、この本をどうまとめたらいいのか分からないが、努力してみよう。
主人公の設定はほぼ同じである。和歌山の旧家の一人息子だ。子どもの頃からの悪で、それでも資産家の息子らしい鷹揚さはあり、チンピラ仲間からもてはやされる存在だった。一言で言えば、資力を背景にしたええかっこしい、である。
彼は旧家のしきたりが性分に合わない。だから反抗を繰り返し、勢いワルになったのだろう。自宅には寄りつかず、地所の一画を貸していた一家にいつも転がり込み、そこの息子と兄弟同然に育った。その息子は長じて暴力団幹部となり、新宿を仕切っている。

ふるさとにいられなくなった主人公は、兄貴と慕う暴力団幹部を頼って上京、組には入らず、遊び人を続けていた。遊び人とはいえ、暴力団の後ろ盾がある。誰も手が出せないから、新宿でも肩で風を切る暮らしを続けていた。

その主人公が、新宿のストリップダンサーに惚れる。そして彼女も、主人公に彫れている。
2人は、暴力団がこのストリップバーに焼きを入れるための襲撃をかけたどさくさに紛れて、主人公のふるさとを目指して駆け落ちするのだった……。

いま、男を「主人公」と書いたが、何となく違う。改めて考えると、主人公はこのストリッパーである。性欲で充血した目で見つめられる職業ゆえに蔑まれる女が、地方の旧家の一人息子との恋愛を、五分と五分の勝負、と受け止めて何とか恋愛を成就しようともがき苦しむ話である。自立を目指す女の話といってもいい。
駆け落ち先では、出会う人すべてが彼女の前歴を知っていた。男は嘗めるような視線を送ってくる。男の両親からは蔑みで歪んだ顔しか向けられない。
それだけでも闘うのは大変だ。そこへ、男の浮気が重なる。かと思えば、とびきりの美女である彼女に迫る男にも事欠かない。もう、人間の欲望とくだらなさの坩堝である。その中で彼女が男への愛をどう貫くのか。

誰にでもお勧めしたくなる本ではないが、映画のような軽薄さとは無縁の重厚な人間ドラマが描かれているのが、原作なのである。いったい誰が誰を軽蔑しているのか、軽蔑するとはどういう事なのか。

それを、あんなにつまらない映画に仕立て上げるのも監督の才能の表れか?

悪口が過ぎたかな?
小説「軽蔑」、残り80ページほどになった。明日には読経するのだろうな。

なんか、まとまらない文章になった。ごめん。