2019
04.17

ウグイスが鳴いた

らかす日誌

今朝車を洗っていたら、どこかでウグイスが鳴いた。春である。やっと冬が終わった。間もなく梅雨が来て、恐ろしい夏が来る。

「やっと」

は楽観論者の感想であり、

「間もなく」

は悲観論者の思いである。両方を書き並べる私は一体どっちなのか?

昨日は仕事で川口まで行った。とあるプラントの設置に立ちあうためである。3t車で運び込まれたプラントを地表に降ろし、電気工事をして試運転となった。無事に設備は動き始め、我々は東京都板橋区に転戦して祝いの酒。午後11時過ぎに桐生に戻り着く。新しい設備を入れて新しい事業の展開に夢をかける若き経営者に幸多かれと祈る。

ということで、やや二日酔い気味で目覚めた今朝、殊勝にも車に水をかけて洗おうと思い立ったのは、散った桜の花びらがあちこちにくっついていたからだ。桜の花びらで迷彩を施した車も風流かも知れないが、すでに我が家の前の桜並木はほとんど花を落とし、葉桜の季節の入り口にある。車にだけ花びらが残るのもいかがかと思い立ったからである。

水道水をホースでぶっかければ簡単に落ちてくれると思って作業を始めた。ところが、である。桜の花びらってしつこいのだなあ。車のボディ、ウィンドウに乗っかっているだけかと思ったら、しっかり車と抱き合ってキスまで交わしているヤツが結構あって、水をかけただけでは落ちない。発情期の犬も水をかければ離れるというのに、この執拗さは何だ?

仕方なく、こびりついた花びらは指でこすり落とした。ひょっとしたら可愛そうなことをしたか?

今日も外に出ての仕事である。午後1時から幹部会、午後3時半から全体会議、午後6時から宴会。私は新聞記者現役時代より忙しいような気がしてならない。

午後1時からだから、早めに昼食を取ってで書けようと思っていたら、

「事前に相談して会議に臨みたい。11時半から一緒に昼飯を」

という電話が来た。なので、間もなく出かける。

そうそう、でかける前に一つだけ書いておこう。
現在進行中の桐生市長選。帰趨は明らかな選挙なのだが、愕然とするような話が耳に入ってきた。当選確実な候補の評価を地に落としてしまう話である。
詳しく書こうかと思ったが、いまは選挙中である。反対陣営が意図的に流している噂かも知れず、いまは書かないことにした。選挙が終わり、噂通りに事が進んだら改めてご報告することにす

る。

それにしても、新聞を開くと

「○○割の町村長選挙が無投票」

「奪われる有権者の権利」

などと、相変わらずの民主主義(衆愚主義?)を守れ、キャンペーンが目につく。選挙ってそんなに大事なのかね? 現場で見ていれば、告示された瞬間に勝敗が明瞭に分かり、

「だったら、無投票の方がお金を使わない分だけいいんじゃない?」

なんて選挙は数えるほどある。そんな選挙で対抗馬が出て選挙になったとしても、勝つに決まっている候補への批判がどれだけあるかの市場調査以上の価値があるのだろうか? いやそれも、もともと主義主張を全く異にする候補が出ての選挙戦では、その主義主張を信奉する人たちの自己満足以上の意味があるのだろうか?

こんな事を考えてしまうから私は変わり者だといいわれるのかも知れないが、今回の桐生市長選で流れている「噂」も、もし事実なら選挙の虚妄性の証の一つになる。
投票日以降を楽しみにお待ちいただきたい。

そうそう、トランプが大統領になったのも、ヒトラーが政権を握ったのも、確か選挙の結果だよな。「選挙」「民意」を闇雲に持ち上げることは非常に危険だと思うのだが。

ほかに今以上の政治システムがないから民主主義を採用せざるを得ないのであって、民主主義というシステムが完全無欠であるのではない、ということを基本にすえれば、報道は、では民主主義の欠点を補い、少しでもまともな政治を私たちが持つにはいまの制度の中でどうすればいいかを考えることに主眼を置かねばならないと思う。
民主主義、選挙を擁護するだけでは、民主主義も選挙もいつしか腐って行くに違いないのである。

本日は、ややショートショートに過ぎたかも知れない。では、出かけてきます。