2019
05.29

仕事は世の中への通路であると思う

らかす日誌

古い本を読んでいる。

1冊は

カンヂンスキーの芸術論

ワシリー・カンディンスキーが書いた。大正13年(1924年)にイデア書院(現在の玉川大学出版部)から出版された古色蒼然とした本だ。表記は旧字体。100年も前の日本語は、ちょっとした古文である。

もう1冊は

カンディンスキーとわたし

これは、画家ワシリー・カンディンスキーの2人目の妻が書いた本である。1980825日発行だから少し新しい。

私は絵というものが苦手である。描くのも下手だし、第一、どんな絵を見ても感動したことがない。
新聞記者初年へのころ、地方版の原稿が足りなくなると近くの画廊に取材にやらされた。まあ、埋め草の記事を書けというのだ。

何とかアングルを工夫しながら写真を撮る。画廊の人に話を聞く。それを20行ほどの記事にまとめる。当時は1行15字だから、300字前後の短い文章だ。たいした手間ではない。

何度も画廊に通ううちに、不安になってきた。展示されている絵のどこがいいのか、素晴らしいのか。全く分からないのだ。絵が全く理解できない私に画廊を取材させる上司も上司なら、全く分からないことを記事にまとめる私も私である。そんなことを考えていたら、絵を知りたくなった。画廊の人に恐る恐る聞いてみた。

「あのう、申し訳ないんですが、私、絵が全く分かりません。どの絵が価値があるのか、どんな絵が駄目なのか、何度もこちらを取材させてもらいながら、全く分からないんです。どうしたら見分けがつくようになりますか?」

画廊の人はにこやかに答えてくれた。

「ええ、一つだけ手があります。いい絵だと言われる絵だけ見続けるんです。そすれば、自然に駄目な絵が分かるようになります」

なるほど。習うより慣れろということか。とりあえず、画廊にはしばしば足を踏み込むのである。画廊に展示されている絵には価格がついている。きっと高い絵がいい絵で、安い絵はそれほどでもない絵なのだろう。
そう思って、それまでより熱心に取材するようになった。見るぞ、俺はいい絵を見続けるぞ!

結果は一向に現れなかった。小学生の時に描いた私の絵が下手だということ程度は、それまでも分かっていた。しかし、画家と呼ばれる人たちが描いた絵は、どれが良くてどれが良くないのか、ちっとも分からなかった。いや、そもそもいい絵とはどんな絵なのかが、全く見当がつかないのである。

私には、ピカソもゴッホもルノアールもクリムトも、猫に小判、豚に真珠である。どうしてこんな絵に億円単位の価格がつくのか、トンと腑に落ちない。

その後、ある本で、レオナルド・ダ・ヴィンチの傑作といわれる「モナリザ」は、長い間評価されず、イタリアのとあるお城の倉庫に放り込まれていたと知った。それ以来、

「世の中、ほとんどの人は私と同じ程度の鑑識眼しか持ち合わせていない。絵画なんて、要は株みたいなもの。みんながいいという作品がいいといわれるのであって、みんなな他の人の評価を受け入れているだけである。人気投票みたいなものだ」

と思い定めて今日を迎えている。

そんな私が、なぜワシリー・カンディンスキーの本を?

いや、その前に、あなたはワシリー・カンディンスキーという画家をご存じか? 私は全く知らなかったのであえてお聞きする。

ワシリー・カンディンスキーはロシア人の画家である。印象派から出発し、やがて形を模すことに嫌気がさし、

「画家が本当に描くべきは、目に写る外界ではなく、心から燃え上がるものだ」

と考えるに至って抽象絵画を描き始めた。抽象絵画の開祖ともいわれる。
という知識は、これらの本を読んで初めて得たものである。

すでに書いたように、私は絵画には全く関心がない。関心を持とうにも、絵画の善し悪しが全く分からないのだから持ちようがない。だから、自発的にこんな本を読むことはあり得ない。ましてや、名前も知らない画家の本など、手にするはずもない。

それを読み始めたのは、とある会社から原稿の執筆を依頼されて取材を重ねていたら、

「大道さん、この本を読んでみてください」

と手渡されたからである。仕事とあらば読むしかない

難しい本だった。カンディンスキーの自著は哲学、美学、色彩論などが組み合わされている上、普段は目にしない漢字が頻出、文体も擬古文ときて、とにかく読みにくい。仕事に必要だと思われるところに付箋をつけながら、えっちらおっちらとページをめくった。

ただ、苦労しただけかというと、そうでもない。どうせ読むのなら、とネットでワシリー・カンディンスキーの絵を探してみた。そして、ディスプレーに現れた、えもいわれぬ色彩の組み合わせに目を奪われたのである。

冒頭の写真は、ウィキペディアにあったものを拝借した。どうです、この色の洪水。形はなく、まるでキャンバスをでたらめに色で埋め尽くしたような絵だが、見ているとなんだかとっても気分がすっきりする。色彩マジックとでもいいたくなる。

こんな絵画の世界があるとはこれまで知らなかった。仕事でワシリー・カンディンスキーという名前に接しなければ、こんな絵を見る機会など、絶対になかった。

仕事とは、未知の世界への窓である、と思い知った。

という話を、あのO氏にしたら、

「あ、そう? 俺、画集持ってるよ」

と1冊の画集を取り出してきた。

「カンディンスキー展」

とある。東京国立近代美術館の編集だから、おそらくこの美術館でカンディンスキー展が開かれた際につくって売られたものだろう。

「えっ、俺より文化音痴のはずのあなたが、何でこんなもの持ってるの?」

当然私はそう聞いた。

「いや、もらったんだけどね」

そうだろうなあ。O氏がこんな本を買うはずがない。

とは思いながら、

「で、あなたはこの画集を開いたことはあるの?」

とまでは聞く勇気がない私であった。
O氏、この本を開き、カンディンスキーの絵に見入ったことがあるのだろうか?