2019
06.24

疲れをコントロールすることは出来だろうか?

らかす日誌

昨日、横浜から戻ってきた。

今回の横浜行きの目的は、留守番である。
22日土曜日、瑛汰の通う中学で学級懇談会などがあった。母である我が次女は、これに出なければならない。
ところが、璃子の通う小学校では、授業参観と緊急時下校訓練があった。つまり、2つの学校の日程がかち合った。

「授業参観を15分見たところで出ないと、中学校の行事に間に合わないのよ。下校訓練はとても出ることが出来ないの」

というのが次女の訴えで、それではと土曜日から出かけたのである。ついでに、リコールに引っかかっていた我が愛車をディーラーに届けるのも今回の横浜行きの目的であった。

朝8時過ぎに桐生の家を出て横浜のディーラーに寄り、横浜の家に着いたのはお昼前である。近くの中華料理屋で冷やし中華を食べ、時計を見ると12時45分。下校訓練は午後1時に教室まで迎えに行くと聞いていたので、少し早いが学校に向かった。

この小学校の校舎に足を踏み入れるのは、多分、私の子供の授業参観以来である。ということは少なくとも30年ぶりぐらいか。雨が降っていたので璃子の傘も持ち、スリッパに履き替えて璃子の教室に。父兄らしい姿は見えない。

璃子と顔を合わせ、

「よう」

と声をかける。ついでに教室のドアを見ると、移動の父兄への引き渡しは1時20分からとあった。あれまあ、次女からは1時と聞いていたが、来るのが早すぎたか。やむなく、階段に腰をかけて持参の本を開いた。

やがて父兄の数が増え、階段に座っていると邪魔になるので立ち上がった。本を読まなくなると頭が本から解放され、違った働きをすることになる。違った働きをし始めた我が頭に、ちっぽけな疑念が浮かんだ。

「この下校訓練、何のためのものだろう?」

何か緊急事態が起き、児童を出来るだけ早く親元に引き渡さねばならなくなった、という想定である。関東大震災が取りざたされるから、最大の心配は地震の発生、津波の襲来であろう。その時、出来るだけ早く、安全に、児童を親に引き渡す。
一見、まともな訓練である。

「だが」

とへそ曲がりの私の頭は先に進んだ。

この日は土曜日である。土曜日なら自宅にいる親も多かろう。だから学校に駆けつけ、子供を連れ帰ることも可能だ。
しかし、緊急事態は土曜日にしか起きないか? いまは共稼ぎの親が多い時代である。関東大震災が平日の昼間に起きたらどうする? 平日に両親とも自宅にいない家族は、どうやって子供を引き取れるのだ? それに、お母さんが専業主婦であったとしても、子供が学校にいる時間は自由時間である。買い物に出かけることもあるだろうし、たまの羽伸ばしに外出していることだってある。
こんな訓練で、本当に子供たちの安全を守れるのか? 親が学校に来ることが出来ない子供たちの安全はどう守るのだろう?

多分、私の推論はまっとうである。そうすると、どういう結論になるか。
緊急時に、まず子供たちを親に引き渡そうという学校の姿勢は、子供の安全より、学校の責任を回避することに目的がある、ということになってしまう。つまり、学校の責任は子供を親に引き渡すまで。あとは知らないよ、ということになりはしないか?

まあ、瞬間的に思いついた疑問である。多分、それにも回答は用意してあるのだろう。親御さんがおいでになれない子供の安全は我々が守ります、とか。

そんなことを考えていたら、璃子が出てきて一緒に家まで歩いた。
それが土曜日である。ちなみに、次女が帰宅したのは午後7時近かった。

翌日は午前中に車を引き取った。何でも、エンジンオイルとブレーキオイルに交換サインが出ていたそうで、思わぬ出費が伴ったが、車を安全な状態に保つにはやむを得ざる出費である。

次女はこの日も中学校の地域父母会があるとかで、朝から外出。瑛汰と璃子に

「ボスは帰っていいか?」

と聞くと、2人とも

「いいよ」

という。最近、ボスに対する執着心が目に見えて薄れている2人である。ま、それも成長の証であろう。
それで、昼食を住ませて横浜を出た。

桐生に着いた。休息していると夕刻、妻女殿の口が開いた。

「お父さん、何だか疲れているみたい、と娘が言ってたわよ」

ふむ、次女がそんなことを言ったか。でも、俺が疲れてる? 確かに最近、外出することが多く、自宅に戻ってはパソコンに向かって原稿を書いている時間が多い、つまり仕事が増えてきたのは確かだが、別に肉体労働をしているわけではない。それほどの疲れが出るはずはないじゃないか。何か誤解しているのではないか?

と思ってすぐに忘れたが、風呂に入り、ビールで晩酌、食事を済ませて映画鑑賞に移るためリクライニングチェアに腰を吸えると、再び

「疲れてる」

という言葉が蘇った。俺が疲れている?

そう思うと、何だか疲れているようにも思える。その日はわずか150㎞程度運転してきただけなのに、そういえば自宅に着いたら休息を取りたくなったもんなあ。原稿を書く気力が起きなかったもんなあ。そうか、俺は疲れているのか?

そう思いながら映画を見ていた。見ているうちに、何だか疲れが抜けていくような気がしてきた。身体が楽になったようなのだ。

「やっぱり疲れていたのか?」

一晩寝て、今日は朝から原稿の執筆にいそしんだ。昨日は原稿に向かい合う気力が起きなかったことからすると、今日は疲れが抜けたのか?

しかし、である。車であちこち動き回り、会議に出て、時に酒席に連なる。この程度で疲れが残るようになったのかなあ。でも、風呂に入って夕食をとり、映画を見ていれば抜けていく疲れって何なんだ?
それとも、疲れは抜けておらず、とりあえず気力だけが回復したということか?

これまでは持病の腰痛をなだめることに気を遣ってきた私である。これからは目に見えない疲れもコントロールしなければならないのだろうか。

疲れの原因は体内エネルギーの不足だと読んだことがある。体内エネルギーが不足するのは糖分をエネルギーに変えるクエン酸サイクルの働きで、それにはビタミンB群が深く関与する。クエン酸サイクルのそれぞれの過程で違ったビタミンBが必要なので、これを群として摂取しなければならない。ビタミンB群をバランスよく含むのはビール酵母である。

うん、明日ビール酵母を買いに行って疲れのコントロールに乗り出してみるか? と昔の知識を引っ張り出して考えた私であった。