2019
07.09

「お前」って、元元は敬称なんだけどなあ。中日ドラゴンズは本当に「お前」をなくすのだろうか?

らかす日誌

少し前の話だが、中日ドラゴンズの監督が、応援歌から「お前」をなくして欲しいと宣うたそうだ。何でも、応援歌に

「お前が打たなきゃ誰が打つ」

という一節があり、それが気になっていたらしい。「お前」を選手の名前に変えて欲しいのだそうだ。名前は呼び捨てでもいいという。

でもなあ。
そりゃあ、音節が3つの名前ならいいよ、「前田」とか「加藤」とか。でも、私は「ダイドウ」で、4音節である。これ、応援歌の一節に入れると歌いにくくないか?
ま、私の場合は「ダイド」で切っても通じそうだからいいけど、「高倉」とか「中西」とか(これ、いずれもかつでの西鉄ライオンズの名選手です、はい)だとちと困りはしないか? ○○○に4つの音をどうやって入れる?
「和田」「城戸」(上に同じ)など2音節の名前はどうする? どっちかを伸ばして対応するか?

いずれにしても、応援の勢いを殺しかねない。まあ、6年半も名古屋で過ごしながら、中日ドラゴンズには毛先ほどの思い入れも持っていない私にはどうでもいいことではあるが。

こんなことをいいだしたのは監督さんだという。ひょっとしたら選手の一部に、

「俺は『お前』なんて呼ばれたくない!」

という選手がいたのかもしれないが、発言の理由を私は知らない。
知らないが、

「そうかな?」

と疑問を持った。音の数の問題は疑問の一つである。

「お前」とは、もともとは敬称だ。「御前」「大前」とも書き、もともとは神仏や貴人の前のことを言った。転じて貴人を敬って呼ぶときにも使うようになった。由緒正しい尊称・敬称なのである。
それが、イヤ?

無論、言葉は生き物である。貴く生まれても、長く生きる間に意味内容が変わって使われるようになる、まあ、左遷・降格される言葉だって出てくる。「お前」もその一つで、後には目下を呼ぶ2人称として使われるようになった。多分、中日ドラゴンズの選手、あるいは監督は現代の人なので、

「俺が(俺たちが)ファンより目下であるのは許せない!」

とでも思ったか。
だが、だ。あなたは、どんなときに「お前」と呼びかけますか? 知らぬ相手を「お前」呼ばわりするのは喧嘩になったときぐらいだろう。多くは、目下であっても、大変に身近であるか、心から親しみを感じているときにしか使わないのではないか?
「愛称」というと意味が違ってくるが、愛するが故に、親しみを込めて「お前」と呼びかけるのではないか?

そうなのである。ファンはグラウンドでプレーする中日ドラゴンズの選手たちに、親しみを込めて

「お前が打たなきゃ誰が打つ」

と歌うのだ。歌っているファンは、その選手とすっかり仲間気分なのである。
それのどこが悪い?

それに、である。スタンドで

「お前が打たなきゃ誰が打つ」

と歌うファンはお客様である。お客様は神様なのだ。神様が入場料を払ってくれなければ、様々なグッズを買ってくれなければ、テレビを見てくれなければ(テレビは放映権料を支払うのです)チームは無収入に陥り、あなた方はたちまちにして無給になってしまう。つまり、選手とファンは対等ではない。選手も監督も、お客様がいて初めて選手であり、監督であることが出来るのだ。
無論、だからといってファンが選手を蔑称で呼ぶのは失礼だろう。神様の身分を笠に着て居丈高な態度を取るのは人間の道に外れる。
だけど、親しみを込めて「お前」と呼びかけるのは美しい連帯ではないか? それがイヤだって?!

こんなつまらないことに神経を尖らせているようでは勝利は遠いですぞ、中日ドラゴンズの皆さん。もっとおおらかに、

「お前が打たなきゃ誰が打つ」

と呼びかけられたら、

「おお、売ってやるぜ。手前(てめえ)見てろよ!」

と勇んでバッターボックスに入らなければヒットは打てないと心配するのは私だけか?

ま、私にとって中日ドラゴンズは存在してもしなくてもいいチームである。だから勝とうが負けようがどうでもいいことではあるが、言葉狩りが気になって駄文を書き連ねた。