2019
08.04

山の中に、激褒めしたくなる料理旅館があった。素晴らしい!

らかす日誌

昨日は心ならずも約束違反を犯してしまった。改めて謝罪したい。

そのいきさつは別に書くとして、それにしてもである。わずか2泊3日の旅行を紹介するのに、これほど手間がかかるとは思いもしなかった。昨日は何とか旅の最後まで進みたいと思い、途中まで書き進めてはいたのだ。途中で地元の桐生祇園祭に誘いに来る人があり、残りは帰宅してから書こうと思って出かけたたところ、戻ったのは午前様直前という羽目に陥って書けなくなったのである。

話を戻そう。

2日目の宿、「尚文」までは、BMWのナビを頼った。地図の縮尺を大きくして全体像を見てみると、確かに宿らしきところまでつながっている。だから、前日のようなことにはならないだろうとは思ったが、それでも一度信頼を失ったナビは心許ない。

「瑛汰、とりあえず車のナビで行くけど、お前もグーグルマップで見ていてくれ」

と厳命を下した。初日の混乱から学び、念には念を入れたのである。

車は再び上毛高原駅を通り、前日の宿の方向に進んだ。途中で左折し、しばらく走るとデジャヴにとらわれた。周りの景色になんだか見覚えがあるのだ。いや、田舎の風景だからどこも似たようなものなのかも知れない。それがデジャヴとなっているのか? 待てよ、このイタリアンレストラン、確か見たぞ。これもデジャヴか?
ん、ここを右に曲がれと。あれ、何だこれ、昼飯を食べにあの蕎麦屋に向かった道ではないか? あの橋を越えて少し行くと蕎麦屋が……あった!
デジャヴではなかった。本当に同じ道を走っていた。そして、蕎麦屋を通り越す。

「ボス、もう少し。うん、もう少しで左にあるはずだから」

と瑛汰。確かに、目指す「尚文」は、その蕎麦屋を過ぎて間もなくのところにあった。

和風の、こじんまりした旅館である。駐車場に車を入れると若い人が出迎えてくれた。

「お荷物は運びますので、先にお入り下さい」

4畳半ほどの板張りの応接間で茶の接待を受けた。璃子と瑛汰は姿が見えない。もう探検に出かけたらしい。

「ママ、璃子はこの浴衣がいい。昨日の浴衣は短すぎたんだもん」

そう言って浴衣を抱いた璃子が姿を現した。

「ボス、お酒をただで飲めるんだって」

といいながら戻ってきたのは瑛汰である。何でも、試飲コーナーがあるらしい。

やがて部屋に案内された。前日は我々夫婦と次女一家は別の部屋だったが、ここは同室である。大きなベッドが2つある部屋と、畳敷きの部屋が連なっている。ベッドの部屋には大きなマッサージ機があり、ガラスの仕切りを隔てて風呂もある。温泉が引いてあるらしい。

「おたばこはこちらで」

と案内されたのは浴室の一角だ。よく見ると浴室は素通しで外気に接している。そうか、これは室内にある露天風呂であったか。

和室にはソファーとテーブル。備え付けのテレビはずいぶん大きい。60インチほどあるか。シャープの亀山モデルである。

みなかみは温泉地である。であれば、最初にすべきは風呂に入ることだ。瑛汰と2人、入浴の準備にかかる。ここでも「尚文」の心遣いに驚かされる。バスタオル、手ぬぐいなどの入浴セットが、一人分ずつ籠に入れて部屋に用意されているのである。こんなホテル・旅館に泊まるのは初めてだ。

内風呂ではなく、大浴場を目指した。ところが、浴場は小さかった。洗い場が3人分しかないので、5人も入れば満員になる。

「なんだ、ちっちぇえ! 泳げないじゃん」

とう瑛汰に、

「広い温泉に行ったって、他の人が入っているから泳げないだろ? 同じだ」

と諭す。こじんまりとした旅館に大浴場はいらぬ。小さな大浴場、これも心地よい。

そもそもこの宿にしたのは、ちょっとしたきっかけからだった。
桐生市内の友人、K氏の奥方と、さて何の話をしていたのだろう。雑談中に次女から電話が入った。

「お父さん、璃子と瑛汰を連れてみなかみに行こうと思うんだけど、一緒に行かない?」

まあ私は行っても良い。問題は妻女殿の意向である。だから、決定は妻女殿に委ねるとの返事をした。その会話を聞いていたK婦人が言った。

「大道さん、みなかみに行くの? いい旅館があるのよ。オーナーが猟が好きで、自分で鹿やイノシシを撃ってその肉を出すんだって。それも、イノシシ鍋とかそんなんじゃなくて、きちんと料理されてるっていうの」

それが「尚文」だった、私は次女に伝えた。

「ということらしい。うちが行くかどうかは別として、その旅館も検討したらどうだ?」

それだけの会話である。そもそも旅行に同行するかどうかは妻女殿に委ねてある。加えて、旅行の日程は迫っていた。だから、その時の私は、自分が「尚文」に泊まることになるとは思っていなかった。話題の一つとして出したというだけである。そもそも、野生動物の肉は独特の臭みがある。食べたいとはあまり思わないのが私なのである。

「尚文」で夕食の時間になった。食べるのは別室の食堂である。
まず、前菜が運ばれてきた。5、6種類の料理が一つの皿に盛られている。その左端にテリーヌが置かれていた。

「こちらは、鹿肉のテリーヌでございます」

ん? これが野生の鹿の肉? 口に入れて噛みしめた。野生動物の肉に屢々見られる臭みなど全くない。実に上等な、フランス風の逸品に調理されている。美味い。

さて、それからどんな料理が運ばれてきたのか、インスタグラムなどという

「俺、俺、俺を見て!」

というメディアには全く関心が持てず、それどころか毛嫌いさえしている私は、目前に並んだ料理をスマホで撮影する趣味はない。あれは悪趣味だとさえ思っている。だから記憶はあやふやなのだが、明瞭に記憶にあるのは鮎の塩焼きである。

「瑛汰、璃子。食べ方を教えてやる。まずこんな風に頭を外す。そして魚の上と下の真ん中当たりをこうして箸で崩してやり、中骨を抜く。そうるると、残ったところはすべて食べること出来、皿に残るのは頭と中骨だけになる」

と蘊蓄を傾けたからである。

イノシシの肉も知らない間に口に入っていた。記憶によると、イノシシ肉をミンチにし、味噌らしきものと混ぜ合わせてあった。それをパプリカなどの野菜に乗せて食する。なかなかの味である。勿論、臭みなど全くない。

もう1品も覚えている。地元産の豚の燻製である。加熱して柔らかくなった豚肉を何かの木の煙で燻製にし、スライスしたものだ。

どれもこれも、美味い。すべて地産地消で地元産の食材を使っているという。ほう、山の中の地産地消でこれほど優れた料理を生み出せるのか。並々ならぬシェフの腕を感じた。と書きたいほど美味であった。

量も凄まじかった。食べ盛りの瑛汰と璃子がいるにもかかわらず、豚肉の燻製が残ってしまったのである。残り方が昼に食べた蕎麦と違うことはいうまでもない。その違いは、

「もう食べたくない」

と、

「もう食べられない」

という違いである。
十二分に楽しめる夕食であった。

ただ、酒類だけはそれほどでもなかった。地ビール、シェフの知り合いのワイナリーのワイン、新潟のワイン、一通り飲んでみたが、いま一歩の感がある。一段の精進を願いたい。
それでも、総合点は充分に100点満点をあげたくなる、実に素晴らしい宿である。

もう一つ、素晴らしい印象があった。働いている人が若い。確か11人いると聞いたが、ほとんどが20代から30代と見えた。前日のホテルは、ほとんどの従業員が中高年者であった。決して悪い印象は持たなかったが、

「やっぱり、この地での労働力はこういう年齢層になるのか。でも、この年齢構成で10年後は経営できるのか?」

とやや心配になった。ところが「尚文」には、若い就職希望者がたくさんいるらしい。
その一人の女の子に話を聞いた。出身は確か宮城県だといった。群馬県の大学に進み、ふるさとに就職しようとしてみたがうまく行かなかった。そんなとき「尚文」の募集を知り、地元を離れてこの山の中に就職したのだという。

しかし、職場を一歩出れば、それこそ何もない山の中なのだ。どんな事情があれ、ここで働こうと思うには、「尚文」に職場としての魅力がたくさんなければ決断できないことだろう。これも、「尚文」の魅力を語る一つのデータである。

翌30日は、名残惜しい「尚文」に別れを告げ、再び川場村に向かった。目的地は、前日通り過ぎた「川場村田園プラザ」である。ここに陶芸教室がある。瑛汰と璃子がここで焼き物作りに挑むのだという。

まず璃子がろくろの前に座った。ろくろで回る粘土から器を産み出すやり方を聞き、粘土に手をつける。私もやったことがないので聞いたいた。回転する粘土の中心部に右手の人差し指から小指までを入れる穴を真ん中に作り、穴が出来たら外側にある親指と、内側にある人差し指で輪っかを作る。この、親指と人差し指で出来た輪っかの切れ目が、器の厚みになる。

「力を入れちゃダメです。輪っかを作るんです。輪っかが円に近づくと、自然に粘土が薄くなって器になるんだよ。ほら、もっと人差し指と親指を曲げて! ね、だんだん薄くなって形が出来はじめたでしょう」

なるほど、焼き物とはそのようにして形を整えるものなのか。
2人が作ったのは茶の湯の茶碗にもなるような器であった。ここでも、まず上手くやったのは璃子である。指導員の指導を素直に聞き入れたからか。瑛汰の茶碗は一度潰れた。釣りといいい、作陶といい、今回の旅行、お兄ちゃんは劣勢であった。

「昼はどうする?」

「まだお腹が減ってない」

「だったら、まず上毛高原駅まで行って考えるか」

ということで車を上毛高原駅に向け、駅構内のカフェで軽く食事をして3人と別れ、自宅に戻った。
戻って数日後、私に「尚文」を教えてくれたK婦人に会った。

「いやあ、実にいい宿で。食い物は美味いし、部屋は最高。従業員も実に気持ちよくて、おかげさまで楽しかったですよ」

お礼を述べたつもりであった。予想外の反応が戻ってきた。

「えっ、大道さん、本当に行ったの? そんなに良かったの?」

だって、あなたが教えてくれた宿でしょう。

「あれ、私行ったことがないの。いい宿だっていってる人がいて、ふと思い出したから話しただけなんだけど」

…………

ま、結果良ければすべて良し。次回は、桐生の気の置けない仲間で行こうという話になったから、結果は大正解であったということか。

瑛汰、璃子、お前たちも楽しかったよな?

アイキャッチの画像は「ゆ・YOU・湯」のHPからお借りしました。これが入り口です。