2019
09.01

夏は仕事の季節ではないようで、最近の私は身の置き所がないほど暇である。

らかす日誌

ほんと、8月は暇だった。初旬はそれなりに予定が入っていたが、中旬には数えるほどになり、下旬はもうスカスカ。他の人もそうなのかいな?

しばらく前、平日は外で仕事をし、出ない日もいつ何が起きても対応できるよう、平日はそれなりに心の準備をしていると書いた。ために、原稿を書くのは突然の用件が起きる公算が少ない土日にしている、とも付け加えた。
ところが8月は、まず平日の心構えがほぼ不要になり、原稿を書くのは平日でもよくなったのだが、それなのに書くべき原稿がなくなった。本にまとめた原稿はすでに印刷・製本に回っている。ほかに2つ引き受けているHP用の原稿は、一つは来夏までの分を書き上げてあるし、もう一つは取材先の都合で取材が遅れ、取材した分はすでに原稿にしてあるからやることがない。

で、8月下旬以降は実に手持ち無沙汰である。多少は用件がある平日でも手持ち無沙汰なのだから、原則上休日である週末は、さらに手持ち無沙汰である。やることがない。
手持ち無沙汰というのは実に困ったもので、それでも時間は潰さねばならないから、つまらぬことに手を出す。

「おいおい、パソコンゲームにうつつを抜かしてどうする? それでなくても残り時間はどんどん少なくなっているのに」

と自らを叱責したのはつい先ほどのことだ。ではということで、本を読む。これも、ゆとりの時間をすべて読書につぎ込むようになれば書籍費がかさむから年金生活者は自制せねばならない。では、と昼間から映画を見る。

「夕食を済ませれば、どっちみち映画を見るのに」

と何となく落ち着かない。

とにかく、桐生にはちょいと遊びに行くところがないのである。東京なら、暇になれば町に出て散策するのもいい。横浜の家に住んでいれば、川崎まで足を伸ばして書店を冷やかし(これも書籍費がかさむ原因になるが……)、気が向けば映画館に入ってもいい。電気店の店頭で4K、8Kテレビの画質を確かめてもいいし、しゃれた喫茶店で時間を費やすのもよかろう。
ところが桐生には、そんなものが何にもない。何をするにしても目的をはっきりさせ、目的地まで車を走らせるしかないのである。本なら伊勢崎か前橋、家電ならケーズデンキ、喫茶店ならあそこ。しかし、足を運んだ「ついで」があるから外出は楽しめる。目的地を定めた外出には「ついで」がない。用件を済ませるだけである。味気ないから出かけない。

桐生の親父たちは、週末の時間をどう使っているのだろう? どんな工夫をすれば豊かな時間が持てるのだろう? そういえばK氏は自宅でボーッとしているらしい。何かをしていなければ気が済まない私にはとても出来ない真似である。ふむ、一度皆さんに聞いてみるか?

そういえば、桐生市の副市長人事のことを書いたが、どこからも抗議が来ない。当事者の方々は、私の雑文などお読みになっていないようだ。
その後、ある人からこんな話を聞いた。副市長になる元市議会議長は、市の職員を結構いびっていたらしい。事務方が議会に提出する議案の説明に行くと(議長だから、当然一番最初に行くのだろう)、あれこれ難癖をつけることが多かったと聞いた。そして最後に、議会の権威を振りかざして難癖を正当化したのだそうだ。
その程度の事で市職員に嫌われるところまでいったかどうか不明だが、少なくとも敬遠したい相手にはなっていたというから、彼が副議長に就任する9月10日(だったと思う)以降、面従腹背の市職員が増えるんだろうなあ、きっと。

しかし、である。どう考えても韓国は、アメリカのくびきから抜け出そうとしているとしか思えない。だってアメリカは様々なな手法で韓国の非を指摘しているのに、韓国政府が一顧だにした様子がないからだ。
ということは、である。韓国は、いうより文在寅大統領は、自国の安全を北朝鮮と中国、ひょっとしたらロシアにも賭けるということになる。

「正気かよ」

と思う。北朝鮮のいまの体制を見て

「一緒になれる」

と思い込むのは左翼の幻想としか思えない。かつて日本赤軍のメンバーが見た夢を、今頃になって見直しているのか?
中国に戻るのは先祖返りである。中国皇帝を頂点とした冊封体制下にある1国家として生きようってか? それも左翼の幻想を国民に押しつける暴挙だと思うがいかが?
そしてロシア。うーん、この国は昔から膨張主義なんだよな。そこにリンクして国民の安全を守れると思っているのか?

いまの韓国を見ていると、文在寅大統領の側近の疑惑にメスを入れている検察だけがまともな判断力を持っているように見える。検察国家ねえ。うーん。

と、暇だと考えなくてもいいことまで考えてしまう。今月はそこそこ仕事も入っているから、8月よりはまともな私に戻れるのではなかろうか?