2019
10.17

スポーツセレブたちはいったい何を考えているのだろう?

らかす日誌

IOC(国際オリンピック委員会)の委員といえば、アスリートのエリートたちであろう。この方たち、どのような頭脳構造をお持ちなのだろうか?

来年に迫った東京オリンピックで、マラソンと競歩の会場を札幌にするという計画を突然発表した。ん? 東京オリンピックの会場が札幌?

うっすらとした記憶によると、オリンピック開催は都市が開催地になる。2020年についても東京だけでなく、福岡や大阪も立候補を考えていたような覚えがある。つまり、オリンピックを招致するのは「都市」であり、「国」ではない。日本オリンピックなら日本国内のどこで開こうと勝手だが、東京オリンピックを、札幌で?

まあ、炎暑の東京で42,195㎞を走るより、50㎞をできるだけ早く歩くより、それよりは涼しいはずの札幌で走ったり、歩いたりする方が選手には楽だろう。

しかし。

元はといえば、酷暑が決まり事となった感がある8月の東京でオリンピックを開くという計画自体が無謀であった。風に涼しさが混じる10月、11月の開催なら問題はなかったろうが(それでも、私は東京オリンピック開催には反対だが)、巨額の金を出すアメリカのテレビ局の意向で8月開催を決めたと、確か朝日新聞で読んだ。
いい季節になれば、放映しなければならない(放映したら多くのスポンサーが付いて儲かる)番組がたくさんある。8月? そういえばニッパチという言葉があるように、8月はたいした番組が作れないんだよなあ。だからスポンサーも付かない。8月にオリンピックをやれば、利益アップは約束されたようなものだ!
というテレビ局の思惑は、誰の目にも明らかだ。そこには、アスリートたちの健康を気遣う思いやりは全くない。テレビ局にとっては世界的なアスリートといえども、単なる飯の種利益の源泉に過ぎない。それで選手がバタバタ倒れた? それも絵になるじゃないか!
これ、観衆の前で命のやりとりをしたスパルタクスと何が違う?

であれば、本来はIOCが選手の健康を気遣ってテレビ局と闘うべきである。あるいは、コンテレビ局を拒絶すべきである。だって、最近の日本の夏の暑さは尋常ではない。熱中症患者の数を数えるのが夏の恒例行事になって久しい。その環境下にアスリートたちを置く。
いや、選手だけではない。観客だって同じ環境下で競技を見つめるのだ。しかも、自分の競技時間だけフィールドに出れば良い選手たちと違って、観客は、おそらく終日炎天下で声援を送る。熱中症が続出しない方が不思議である。観客の健康を守るためにも、IOCは断固としてこのテレビ局を拒絶すべきであった。

だが、拒絶できなかった故に、東京オリンピックのマラソンと競歩の会場を札幌に移したい、などと言い出した。

元はといえばオリンピックを金まみれの薄汚い競技大会にしてしまった歴代IOC委員の愚かさのツケがここに来て出たわけだ。

すべてが金、金、金になってしまったともいえる時代である。アメリカン・ドリームとは人がうらやむ金持ちになることであり、その後追いをする日本でも、学識や人柄より、生き馬の目を抜いてでも金を稼いだ人物が人々から賞賛されるようになった。であれば、IOCだって金と無縁では運営できまい。
しかし、世の大勢に押し流される中で、IOCは自らの誇りをどこかに放り捨てたのではなかったか。スポーツを見世物にしてしまうことで世の流れに乗ったのではなかったか。

突然の変更で、東京には不快感があろう。札幌は突然の、しかも立候補さえしていない開催地決定に戸惑っているのではないか。
これほどのことまでして、いまや世界的な見世物、出し物に堕してしまったオリンピックの開催は継続しなければならないのか?

オリンピックの終わりの始まり、少なくとも変化の始まりと思える今回のバカ騒ぎである。