2019
12.14

今日も中身の濃い韓国映画を見てしまった。

らかす日誌

トガニ 幼き瞳の告

という映画である。ファン・ドンヒョク監督で2011年に公開された。
これも「光州5・11」の舞台になった光州にあるろうあ者福祉施設で起きた現実を元にできた映画である。光州とは無視できない事件が頻繁に起きる土地柄らしい。しかし、軍事政権への市民の英雄的な抵抗が鎮圧されるまでを描いた「光州5・11」と違い、こちらは何とも陰惨な事件だ。

光州インファ学校という福祉施設が事件の舞台だ。ここで2000年から2005年にかけて入所児童への性的虐待、わかりやすく言えばレイプが繰り返し起きた。映画によれば、被害者は女児2人と男児1人、犯行は校長、その双子の兄弟の行政室長、そして生徒指導に当たる教師の3人である。それだけでなく、校長の幼女であり、校長の愛人でもある女が被害児童たちの口塞ぎに動き回る。

虐待の現場をたまたま見て凍り付いたのは、新任の美術教師、カン・イノだった。やがて暴行の被害児童の心がカン・イノに開き、彼らの口(いや、耳が聞こえず口もきけないので、現実には手話)で暴行の全貌が明らかになる。地元の人権センターで幹事を務める女性と力を合わせて暴行した3人の逮捕までは持ち込んだカン・イノだったが、裁判で3人は有罪にはなったものの、全員が執行猶予つき。この判決に怒った男の子(この子も性的虐待の被害者)は、自分に暴行しただけでなく、弟を死に追いやった過去がある生徒指導教師を道連れにして列車にひかれて死ぬ。何とも悲惨な話である。

何とも驚くべき顛末だが、もっと驚いたのは映画の描き方である。ここには不思議な韓国、困った韓国がてんこ盛りなのだ。
何でも、当時の韓国の司法界には「前官礼遇」という風習があった。判事や検事を務めて弁護士に転じた人物を優遇することで、映画では、判事として高い位置にいた人物が弁護士になった場合、最初の裁判では必ず勝たせる、ということだと説明される。だから、不利な裁判を闘うことになれば、裁判官を辞めたばかりの弁護士に高額報酬を払って無罪を勝ち取る、という手がある。この風習は今でも残っているようだから、さて、韓国の法廷で出た判決は違った目で見なければなるまい。

ま、それはそれとして、映画では福祉施設から高額の賄賂を受け取って何かと便宜を図るお巡りさんが出てくる。性的虐待の告発にも弁を左右して応じなかったのは賄賂の効き目だろう。だが、ソウルのテレビ局が取材して放映すると、さすがに放っておけなくなる。やむなく逮捕に踏み切るのだが、双子を自分の車で警察まで運ぶ間に、この悪人2人に知恵をつけるのだ。

「だから、判事で上まで行って辞めたたばかりの弁護士を探すことだよ。前官礼遇さ」

当初、前官礼遇とはかようなことか、といいたくなる空気で始まった裁判だが、虐待を受けた子どもが手話で証言し始めると、さすがに裁判官も

「前官礼遇にも例外があってもいいよね」

と慣習破りに転じる空気を漂わせ、検事も厳しい追及の手を休めない。
ここで新手が飛び出す。何でも、当時の韓国では13歳以上の児童に対する性的虐待は、被害児童の親権者と示談がまとまれば免訴になるというのである。そんなバカな、と思うのだが、それが韓国の現実なら致し方ない。そして、この手で2人の児童の口を封じ、残る3人目の子の親権を持つおばあちゃんにも高額の示談金を見せてサインを手に入れてしまうのが校長の愛人という図式である。親やおばあちゃんは貧しい上に知恵遅れで、金さえ積めばいくらでもごまかすことができる、というのが映画の描き方だ。ふむ。

すべての道が塞がれたかに見えた。ところがこの校長、よほど変な趣味があるようで、校長室でレイプする自分の姿を隠しカメラで撮っていた。それに気がついたカン・イノたちはこのデータを盗み出し、検事に届ける。盗んだものは普通、証拠には採用されないと思うのだが、そこは韓国のこと、あるいは映画のこと。検事はいうのである。

「これは児童が13歳になる以前の性的虐待の証拠だ。これであいつらを豚箱にたたき込める!」

ところが、判決は前述した通り。何が起きたのか?

「あの検事はドサ回り続きで上にも行かず、間もなく辞めるところだった。だから『うちの事務所に来ないか』と誘ったら二つ返事で乗ってきたんだよ」

とうそぶくのは、あの「前官礼遇」の弁護士である。これも贈収賄の一つだろうが、この検事、現実には罪に問われたのかどうか。
そうか、文在寅大統領が言う検察改革とは、こんな検察官を叩き出すということ? それなら知解できないわけではないが。

贈収賄はそれだけではない。カン・イノにも魔の手は忍び寄るのだ。仲介するのは、カン・イノをこの福祉施設に紹介した大学の教授である。カン・イノは美術の先生だから、この教授は絵描き、一般的に言えば芸術家である。それが賄賂の手引きをする。学問、芸術の世界も金次第、ってか。そして、金を渡そうとするのは、あの「前官礼遇」弁護士なのだ。前職は偉い裁判官、ということだが、ねえ、大丈夫か、韓国の裁判?

以上が、この映画に見た「韓国の非常識」である。ひょっとしたら日本にも似たようなことはあるかもしれないが、制度、慣習を含めてここまで「悪」が集まった図はあまり記憶にないなあ。大丈夫か、韓国?

といいながら、最近の日本にはトンと見えなくなった「韓国の素晴らしさ」もこの映画にはある。
事件は上に書いたような形で終わった上、テレビが放映したにもかかわらず社会の関心も惹かなかった。だから校長や行政室長はその地位にとどまり続けたらしい。ところが、この事件を取材したが出版された。それを読んだ俳優、コン・ユ(この映画では主役を演じる)が映画化したいと訴え、この映画ができた。
これだけでも、立派なことである。だが、それだけにとどまらなかったのが素晴らしい。映画をきっかけに事件が再検証され、「トガニ法」ができた。13歳未満の児童に対する性的虐待を厳罰化し、公訴時効を廃止する法律である。そして加害者たちは再逮捕、起訴され、2013年に懲役8年、電子足輪装着10年、個人情報公開10年の刑が確定した。光州インファ学校も2012年に廃校となった。
この事後措置は素晴らしい。そして、性犯罪を犯した者に「電子足輪」を付けたり、個人情報を公開したりという刑のあり方は、実に進んでいると思う。
なんだかんだといいながら、韓国には学びたいことが沢山あることを知ったのもこの映画のおかげである。

テーマがテーマである。見て楽しい映画ではない。だが、様々なことを考えさせてくれる映画であることは確かだ。その気になられたら、是非レンタルしてみていただきたいと思う。