2019
12.23

念のために確かめたら、この人のことは一度書いていたのだった。

らかす日誌

本日午後、「士に聞け 最終章」(杉山隆男著、新潮文庫)を読了した。あいかわらず素晴らしい本で、

「よし、これで『らかす日誌』を書こう!」

と思い立ったが、何となくモヤモヤした。

「俺、この人のことは一度書いたんじゃなかったっけ?」

そこで

「らかす 杉山隆男」

でググってみた。ああ、やっぱり書いていた。これである。それで、一度は書くのを辞めようかと思ったのだが、よくよく考えれば、前の日誌ではこの本には触れていない。新しい話として書いてもいいのではないかと思い直して、再びキーボードに向かっている。

杉山さんは1952年生まれとある。私より3つ年下ということは67歳か。
あとがきによると、自衛隊員の多くが定年を迎える54歳を過ぎた際、この「兵士シリーズ」を終えようと思ったことがあったという。身体がついていかない。戦闘機F15に同乗したり、潜水艦で一緒に潜ったりと、いわば体当たり取材もこのシリーズの大きな魅力だったから、体力の限界をシリーズの限界と考えたのも頷ける。
その彼を、再度自衛隊取材に向かわせたのは東日本大震災だった、とある。そして、本当にこれを最後にしようと決めたのは、取材環境の激変だったそうだ。かつては自由自在に取材できた自衛隊が、改めて取材を始めると不自由になっていた。すべての取材を広報が取り仕切り、インタビューには必ず付きそう、というシステムに変わっていたのだという。隊員たちの本音の声を聴けなくなったからには、取材を続ける意味がない、と杉山さんは判断したのだという。

あとがきにはそこまでしか書いてない。しかし、私は勝手に推測する。
杉山さんは自衛隊の変わりように危機感を持ったのではないか?
国民との間に分厚いカーテンを引いてしまった今の自衛隊に、自分たちの本当の姿を国民に見えなくしようという管理姿勢に、軍としての自衛隊の危険な兆候を感じ取ったのではないか?
なにしろ、自衛隊とは国家権力が持つ最終的な暴力装置である。それが国民との間に分厚いカーテンを引く。あまり健康な国の姿とは言えまい。

以上が、私の邪推でなければ幸いである。

それはそれとして。

「兵士に聞け 最終章」は、3つの現場が出てくる。
1つは沖縄の空である。尖閣諸島を日本政府が買収した2012年9月11日から、沖縄の空は空気が張り詰めている。スクランブル(領空侵犯の恐れがある航空機に対する緊急発進)が異常に増えているのだという。この年4月から前日までのスクランブルは1日おきよりやや少ない回数だった。ところがこのあと翌年3月までは、1週間に9回。2.5倍にも増えているという。
民主党・野田政権のアホウな決定に対し、メンツを潰された中国政府が領空侵犯を繰り返すことで領有権を主張する策に出たためだ。愚かな政治が戦端地域の緊張を高めたのである。
日本領空に接近、あるいは侵入してくる中国機を見つけ、彼らが去るまでつきまとう。まかり間違えば、戦端が開くことになりかねない重い任務である。その任務を担う隊員たちに、杉山さんは寄りそう。

2つ目は尖閣、沖縄、日本海と、日本を取り巻く海の警戒に当たる哨戒機P3-Cである。
P3-Cで不審船の発見を任務とする搭乗員たちは、ポケットマネーを出し合って「世界の艦船」という雑誌を買い、回し読みする。P3-Cのガラス越しに双眼鏡で海上を見張り、目についた船が怪しい船かどうかをいち早く判断するためには、できるだけ多くの船の姿形を、データベースとして自分の中に持たねばならない。そのための投資なのである。データベースが豊富になればなるだけ、船を見た瞬間に

「おや?」

という勘が働くようになるのである。

不審船を見つけると、あとで問題ならないギリギリの距離を保ちながら、船が領海外に出るまで監視しつつ、情報収集も怠らず、つきまとう。逃げても逃げても追ってくるアブを避けるには、アブのテリトリーを出るしかない、と思わせる任務である。

そうそう、2014年3月、マレーシア航空機がシナ海周辺で消息を絶った時、自衛隊もマレーシア政府の要請で捜索に加わった。マレーシア、中国、アメリカ、オーストラリア、インドネシアなども捜索活動に当たったが、この本によると、スケジュール通り、毎日捜索に出動したのは、どうやら日本の自衛隊だけらしい。他の国は何らかのトラブルに見舞われて飛べない日があったのである。
日頃のメンテナンスを含めた総力戦。なんだか嬉しくなるエピソードである。

3つ目の現場は、噴火した御嶽山だ
2014年9月、長野・岐阜の県境にそびえる御嶽山が噴火、登山者58人が犠牲になった。噴火から2時間半あまりが過ぎた午後2時31分、長野県知事は自衛隊に災害派遣を要請した。これを受けた自衛隊が火山灰、ガス、雨、風。最悪の条件の中で展開した救出作戦を杉山さんは丁寧に跡づけた。
降り積もった火山灰は、折からの雨でぬかるみに変わった。所によっては膝まで沈み込むぬかるみ。歩くだけでも大変だ。おまけに、冷える。ぬかるみの底は凍っている。低体温症とも闘わねばならない。歩くのが困難なぬかるみでバランスを崩して倒れれば、一人では起き上がることができない。前向きに倒れれば……。
生存者を救出するにはヘリコプターがいる。だが、重いヘリコプターはぬかるみの上に着地できるのか? 沈み込んで再び飛び立つことができなくなるのではないか? では、どうやって生存者を山から降ろすか? ヘリコプターをぬかるみの上に着地させる方法はないのか?
待ち受ける様々な困難に、だが隊員たちはひるまない。
低体温症で下山した若い隊員は、身体を気遣う上官に

「お前は明日は登らなくていいから」

といわれ、

「お願いです。もう大丈夫ですから、どうしても連れて行って下さい」

と懇願したという。待っている人がいる。救いたい。救わねば。そんな貴い使命感が噴き出したかのようである。そんな隊員たちがいたからこそ、救えた命が沢山あった。

以上は上手いまとめではない。いや、まとめにすらなっていない。だが、「兵士に聞け 最終章」は、人の美しさを再確認させてくれるドキュメンタリーであることが少しでもおわかりいただけると嬉しい。
まだお読みでない方は、是非手に取って目を通していただきたい。Amazonでは111円から中古本が出品されているが、送料を入れると最安値でも460円。新刊で買っても605円だから、ここは新刊をお薦めする。

いや、ここで打ち切るつもりだったが、夕食後に見た映画に奇妙な場面を見いだしたので付け加えておく。
アメリカ大統領、ドナルド・トランプ氏がドタバタ喜劇に出演されていた。やはり不動産企業の経営者で、ちょい役だが台詞も立派にある。

トゥー・ウィークス・ノーティス

という恋愛喜劇である。映画自体は

「こりゃあ、最終的にこうなるな」

と最初から分かってしまう恋愛喜劇の定番で、何の価値もない。普通ならホルダーから取り除く対象になるのだが、これはトランプ氏に敬意を表してホルダーに残すことにした。
ま、これは見ても見なくても、どちらでもいい映画です。俳優としてのトランプ氏を見てみたい、という奇特な方意外にはお薦めしませんので、そのおつもりで。

にしてもねえ。レーガンといい、トランプといい、アメリカで主役俳優や名俳優ではなく、はちょい役しかできなかった俳優が大統領になるのかね?

おやすみなさい。