2020
01.18

庶民、とは何だろう? と考えてしまった。

らかす日誌

亡き母の3回忌で九州に行き、14日昼前に桐生に戻った。
最近、移動をすると疲れるようになった。身体がしんどい、というのではない。何となく気力が湧かないのである。自宅に戻っても、その日の残りは何となくボーッとして過ごす。まあ、古希を過ぎたのだから、その程度の贅沢な時間の使い方があってもいいだろう、と自分を慰める。
で、日誌を書かねばと思いながら、でも、15日は終日会議、16日、17日は飲み会が入っていたこともあって時間が取れず、今日にまでもつれ込んだ。今日は一度書いた原稿7本を朝から手直しし、とりあえず形になって手が空いたため、「日誌」に手をつけている次第である。

不思議の日米関係史」(高坂正堯著、PHP研究所)という本を読んだ。今日のタイトルは、その本の一節を読んでのことである。
こんな一節である。

1883年(明治16)伝道医師として奉天を訪れ、1922年(大正11)老齢のため帰国するまで満州の移り変わりを見たスコットランド人、デュガルド・クリスティはその著、『奉天30年』の中で、日本のイメージの急変を記録している。
彼は日露戦争中、及び直後の日本の当局が立派な人柄の将軍から構成されていて、満州に住む人々との関係はよかったと言う。さらに彼は「たびたび戦乱に悩まされたこれらの農民たちは、日本人をば兄弟並に救い主として熱心に歓迎したのである。かくしてこの国土の永久的領有の道は容易に拓けたであろう。而して多くの者がそれを望んだのであった」とまで書いている。
しかし、その気持ちはすぐ幻滅に、あるいは嫌悪へと変わった。少々長くなるが引用すると、
「然るに日本の指導者と高官の目指した所は何であるにもせよ、普通の日本兵士並びに満州に来た一般人民は此の地位を認識する能力がなかった。一大国民を打ち負かした日本は優秀最高だ、志那は無視すべし、こういう頭で、彼等は救い主としてではなく勝利者として来たり、志那人をば被征服民として軽侮の念で取扱った。平和になると共に、日本国民中の最も低級な、最も望ましくない部分の群衆が入ってきた。志那人は引きつづいて前通り苦しみ、失望は彼等の憤怒をますます強からしめた。戦争が終わった今、居残った多くの低級な普通民から、引きつづき不正と搾取を受ける理由を彼等は解しなかった。ある1人が言った如く、“ロシア人は、時には我々の財産を只で取り上げるがそれよりも、その値の4倍も払うことの方が多い。日本人は何にでも金を払うと言うが、実際の価値の4分の1も呉れることはない”。かくして一般の人心に、日本に対する不幸なる嫌悪、彼等の動機に対する猜疑、彼等と事を共にするを好まぬ傾向が、増え且つ燃えた。これらの感情は、これを根絶する事が困難である。

私はこれを読んで2つの思いを持った。
1。日清戦争、日露戦争を足がかりにした日本の大陸進出は、あってはならなかった歴史として私の記憶に刻み込まれている。他国の領土に勝手に入り込み、ついには満州という国家まででっち上げたのだから、帝国主義が世界の趨勢である時代だったとはいえ、許されてはならない暴挙である、という思いは今でも強い。
しかし、ロシアとの闘いのあと満州に進出した日本の先兵たちは、現地の人々の歓迎を受けていたというのである。その善政が続いていれば、皆に歓迎されて満州という国ができていただろう、というのがこのスコットランド医師の見立てなのだ。
確かに、いつ終わるとも分からない戦乱に疲れ果てた人たちにとって、例え他所からやって来たとはいえ、平和と平穏をもたらしてくれた新しい施政者を歓迎する気持ちは自然なものだろう。とすれば、今頃日本は、飛び地を持つ、多民族、多言語国家になっていた可能性もあったわけだ。

2。それをぶち壊したのは、いまでは「庶民」と言われる階層の人たちだった。えっ、それホント?! という感じである。
だって、これまで多くの人が説いてきた歴史では、悪いことをするのはエリートと呼ばれる人たちだった。頭が良く、権力を持つ人たちが大衆をおかしな方向に引っ張って行ってしまう。大衆と呼ばれる人たちは常に被害として涙を流す善意の人たちだった。
いまでも霞が関の官僚たちは何かと厳しい目を向けられる。あんたたち、自分の利益のために俺たちに犠牲を強いているんだろ? 官僚なんか信用できるか! というのがいまの大方の世論ではないか。
それなのに、満州の地で、現地の中国人たちから喜ばれたのは、日本のエリートたちだった。その評価を打ち壊して反日感情を引き出し、育ててしまったのは、日本では大衆、庶民と呼ばれる人たちだった。どうにも、立場が逆なのである。
だから、思うのだ。庶民、って何だろう?

この本は、高坂先生の最後の著書なのだそうだ。だからだろうか、数カ所、日本語として意味が取りにくい所があった。しかし、上に紹介したエピソードを代表に、日本の近世史を理解する上で知っておきたい話が結構出てくる。当初の構想では1941年、つまり太平洋戦争までを取り上げるはずだったが、病のため及ばず、1924年で幕を閉じている。惜しい。

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