2020
02.02

NHKのドラマが絶不調である。

らかす日誌

NHKドラマの華は、大河ドラマと朝の帯ドラマだろう。ほとんどテレビを見ない私ですらが、この両者にはチャンネルを合わせている。
合わせていると、意識しているわけではないが、好不調の波を感じ取る。年間1000本前後の映画を見ている私は、多分、見巧者と自称してもいいのだろうが、その私の目には、いま継続中の帯ドラマ、大河ドラマははっきり言って不調である。突っ込みどころ満載だ。

朝の帯ドラマは「連続テレビ小説」といいのだそうだ。現在放映中は「スカーレット」。信楽焼の女性陶芸作家が主人公である。このドラマ、ちょうど朝食の時間帯だから、話題に乏しい老夫婦の食卓を補う意味で、いつもスイッチが入っている。しかし、私の場合、ほとんど画面を見ない。テレビはつけっぱなしにしたまま、朝食を口に運びながら新聞を読む。それが朝の日課となった。

はじめから、なんだか訳の分からないキャラが画面上を動き回る展開であった。
とにかく、訳もなく酒をを浴びるように飲み続け、何かというとちゃぶ台をひっくり返す親父。その親父に虐待されながら、でも粛々と親父の後ろで、時には親父への尊敬さえ感じさせながらひっそりと生きる母親。子どもを高校にやる金もなく、それでも酒を飲み親父がいて、その親父に文句をいうでもなく、

「御免ね、学校にやってやれなくて」

みたいなことをいう母親。
おいおい、これ、いったいどういう家庭なんだ? 登場人物のキャラが立ちすぎている分、誰にも感情移入ができず、ただただ呆れながら見ているしかないんじゃないの?

と思っていたら、女性陶芸家なる長女が成人してからは、もっと話の展開がひどい。
夫と2人でやっている工房に新聞記者が取材に来ると、2人を一緒に撮った写真もあるのに、紙面では夫一人の写真しか使わず、記事にも夫だけの話が出る。いくら女性の社会的地位が低かった時代とはいえ、そんなことってあるのか? だって、しばらく前には、主人公を取材して「新進女性陶芸家」などという記事も出しているのに……。
底にやって来た弟子はキャピキャピの女の子で、それはいいのだが、いつも同じGパンを履いている。履き続けである。いつ洗濯してるんだろう? そばに寄ったら臭いんじゃないか?
この女性陶芸家、子どもの頃に拾った古い信楽焼のかけらを宝物にしていて、その色を出したいと、とうとう昔と同じ、木を燃す窯を創ってしまう。併しなかなかうまく行かず、現在は失敗を継続中である。そして、窯の件で夫婦喧嘩が続いている。夫婦それぞれの不思議な意地の張りよう、不思議な夫婦喧嘩であるというしかない。

気が強い上の妹は、都会からチャラチャラした男を引きずり込んでくるが、実はこの男は本質的には真面目ないい男らしい。
まともに育った下の妹に求婚するのは、役場に勤める主人公の同級生だが、これがまたキャラが立ちすぎで

「そんなヤツ、ホントにいるの?」

と思ってしまう。
脚本も演出も実に、その、何というか……

ここまで書いて、不思議な気がし始めた。まともに見ていないはずなのに、これだけ書けるとはどういうことだ? 見ていないつもりで、実はしっかり見てる? そんなバカな!

ずっこけオリンピック話がやっと終わり、たけしのまずい落語を聞かなくて済んでホッとした大河ドラマ「麒麟が来る」。久々の戦国時代物ということもあって、少し期待した。ところが、1回目を見て

「なんじゃ、こりゃ?!」

と期待がしぼんだ。
1回目。明智光秀が住むのだから明智の荘、とでもいうのだろうか。そこに盗賊が攻め込んでくる。食料の調達である。それを若き光秀たちが迎え撃つ。
なるほど、戦国の世。そんなことが日常茶飯事だったのかなあと思いながら見つめていて、なんだか違和感に襲われた。当初は何故の違和感か、よく分からなかったが、しばらくして気がついた。
農民たちが来ている着物が華やかなのである。そして、こざっぱりしている。この人たち、本当にお百姓さんなのだろうか?

百姓といえば貧しさの代名詞のような時代である。それなのに、このドラマに出てくる皆さんは、

「畑仕事、今日は休み?」

といいたくなるほど垢抜けている。誰一人、土まみれ、埃まみれ、垢まみれの着物を着ていない。こんな清潔な衣服を身につけられるのなら、百姓もまんざら悪くない、といいたくなるほどだ。

加えて、百花繚乱といいたくなるほど様々な色に染められている。黄色、青、赤、緑……。当時だから、山吹色とかわすれな草とか、梅重ねとか、萌葱色とか、そんな色名で呼ばねばならないのだろうが、とにかく、みんなが華やかで美しい色を楽しんでいるのである。

洗ったばかりのような、色とりどりの着物を着た農民たちが、盗賊の群れに蹴散らされている。

「おいおい、時代が違うだろ!」

と声が出かかったのは私だけか?

ああ、そうか。これはきっと「明るい農村」というNHKのドキュメンタリー番組か。ん? あれはもう終了しているはずだが。

2回目。旅から帰った明智光秀は、旅費を出した斎藤道三に挨拶に行くのだが、旅費の半額を返せと迫られる。唖然とする光秀に、返せないのなら、次の戦で敵の侍大将の首を2つ取ってこい、と道三は命じる。
まあ、斎藤道三とは、油売りからのし上がった戦国武将である。本当にそう言ったかどうかはさておき、商人の発想法をわかりやすく伝えるため、金銭と戦での手柄を天秤にかけた手法までは文句を言うまい。

が、唖然としたのは戦場に出た光秀である。

「侍大将はいないか!」

と叫びながら戦場を走り回るのである。

明智光秀が主君の織田信長を本能寺で討った原因には諸説ある。しかし、いずれの説も前提としているのは、明智光秀とは茶道、華道をはじめとした深い教養を持ち、皇室を敬い、落日の足利将軍家への敬意も持ち続ける保守主義者であった、ということだ。それに加えて戦にも強く、築城術なども優れていた。いわば文武両道を極めたスーパーマンなのである。戦場でも名誉を重んじる侍であったのではないか? それが、いくら若い頃だとはいえ、戦場でまず頭に浮かべるのは金。金のために剣を振るい、金のために人を斬る。

そもそも、鑓や刀、弓矢が飛び交う戦場で、金のことを考えるゆとりがあるのか、とはいうまい。しかし、光秀がその程度の人間だったのだとしたら……。なんか、このドラマ、先を見てもいいのかな、という思いにとらわれてしまったのだ。

「スカーレット」は、朝ドラとしては視聴率を落とし、「麒麟が来る」は大河ドラマとして久々の高視聴率を稼いでいる。「スカーレット」には、そんなもんだろう、と思う。「麒麟が来る」には、それでいいのか、と思う。

NHKさん、もうちっと、何とかしてくれないかねえ。