2020
02.07

冬にも意地があるらしい。

らかす日誌

今朝は冷え込んだ。7時過ぎに目覚めて桐生の気温をiPhoneで見ると、マイナス3℃
暖冬、雪なし、と今年の冬はあまり覇気がないが、ここに来て意地を見せたか。このまま地球温暖化が進めば、スキー場や冬物衣料メーカーだけでなく、困る人がたくさん出よう。もっと意地を見せてくれ、と願うのは私だけか。

が、まあ、私生活に目を転ずれば、寒さは身に応える。中でも、喫煙者には辛い。
私は紙巻きタバコを減らし、目下の喫煙はパイプタバコが中心である。ところが、パイプタバコの香りは紙巻きの比ではない。その香りがかぐわしいのだが、屋内での喫煙は1日に1度に自主規制し、夕食後の映画鑑賞の時間に限っている。リビングルームで空気清浄機をONにし、換気扇を稼働させながらパイプタバコに点火、映画を見る。いい映画に当たれば至福の時時間だ。

しかし、パイプでの喫煙が1日1回では物足りない。従って、現在は1日3回をルールとしている。つまり、夜、リビングでの喫煙を除くと、2回は屋外での喫煙となる。朝食後、昼食後、が私の立てたスケジュールである。

今朝も、そのスケジュールに沿って外に出た。午前9時前だった。再びiPhoneで桐生の気温を見る。マイナス2℃。道理で寒いはずだ!
屋根のある駐車場に置いているディレクターズチェアに腰を下ろし、悠然とパイプにタバコの葉を詰める。セーターの上にダウンコートを着込んでいるが、寒い。齢を重ねると基礎代謝が落ち、体温を保つ機能が劣化する。加えて、一昨日床屋に行ったばかりなので首筋から頭にかけてスースーする。体熱の70%は頭部から抜けると何かの本で読んだ。であれば、頭を守ろう。フードをかぶれ!

ライターで火を着ける。葉っぱが燃えだしたので、いつものように本を開いて読書を始める。現在読み進んでいるのは、「カオス—新しい科学をつくる」(ジェイムズ・グリック著、新潮文庫)。右手で本を開き、左手でパイプを支える。

しかし、寒い。ダウンコートの前を合わせて身体を包む。いかん、手がかじかんできたぞ! パイプを持っている方はまだしも、本を持つ方には外からの熱が全くないから冷え放題だ。
仕方なく、パイプを口だけで支え、本を左手に持ち替え、冷え切った右手は両股の間に差し込んで温める。うーん、なかなか暖まらないではないか。

そもそも、私は何をしているのであろう? タバコは嗜好品である。私はパイプタバコの味、香りが好きだ。だから冬場は寒さに耐え、酷暑の夏は流れ落ちる汗を拭きながら、パイプを楽しんでいるのである。そう思っている。しかし、楽しむ? こんな辛い思いをしながら、楽しんでいる? ホントに楽しいか?

寒さがつのると雑念が沸き起こる。それでなくてもわかりにくい本の中身が、なかなか頭に入ってこなくなる。

カオスはぜひとも教えるべきであると彼は論じた。今や権威的な従来の科学教育が、人々に誤った印象を与えてしまっていることを、認めるときが来たのではないか。線形数学がやれフーリエ変換だ、直交関数だ、回帰技法だと、いやが上にも精巧なものになっていったところで、そんなものは、人間の住む圧倒的に非線形なこの世界については学者たちを迷わせるだけだとメイは力説した。「このように育てられてきた数学的直感しか持ち合わせていない学生は、最も簡単な離散非線形系にすら現れる奇怪な挙動に、立ち向かうだけの心の準備は何ひとつできていないのだ」と彼は書いている。

……。

線形数学? フーリエ変換? 直交関数? 回帰技法? 非線形? 離散非線形系? 何やそれ? それに、句読点の打ち方がちょっと変だぞ!
何となく、これまでの科学には限界がある、ということらしいが、この寒さの中、こんな訳の分からん本を読んでいる私って……。

コロナウイルスによる死者が600人を超した。猛威を奮っているといってもいいだろう。いつまで続くのか。
どのような疫病もやがて死者数、患者数が頭打ちとなり、落ち着きを見せるものだ。そう考えれば、どこかのメディアが、死者数、患者数をグラフにしてくれないものか。単純な棒グラフ、あるいは折れ線グラフでよい。毎日、その日までの死者数、患者数をグラフに書き加えていく。右肩上がりの勢いが続いている間はウイルスの威力は衰えていないわけだが、やがて増え方が緩やかになり、いずれ横ばいになって流行が終わるはずだ。
これほどの騒ぎになっているのである。毎日1面に最新のグラフを掲載すれば、どの程度怖がらなければならないのかが一目瞭然になると思うのだが。

とはいえ、桐生には危機感はほとんどない。そもそも人混みがないし、中国、武漢と接触があった市民も皆無に近いのではないか。ために私は、マスクなるものを装着したことがない。
どこから、どんな人が来ているのか皆目見当がつかないのが都会である。また都会には人混みも多い。
田舎では、見知らぬ人を見ることが希である。人混みは、ない。

コロナウイルス・フリー。これ、都会では享受できない田舎の特権だよなあ。

そんなことをほざいていると、数日後に

「桐生でコロナウイルス感染者!」

なんて活字が新聞で踊ることにならないかなあ……。