2020
02.29

小・中・高校の一斉休校について、あなたはどう思いますか?

らかす日誌

昨日来、何人かの人に聞かれた。

「小・中・高校の一斉休校について、あんたはどう思う?」

聞く人は、私がアンチ安倍内閣であることを知っている。だから

「とんでもない暴挙だよね」

という答を期待していたと思われる。だが、私は期待を裏切ってしまった。

「やむを得ないんじゃないの」

というわけで、どうして私がやむを得ない、と考えたかについて書くことにする。

新型コロナウイルスはなぜ怖いか。致死率は通常のインフルエンザが0.1%程度であるのに比べてはるかに高い2%程と推計されている。ざっと20倍である。加えて、インフルエンザにはそれなりの治療薬がある。だが新型コロナにはまだない。だから、インフルエンザ以上に怖がった方がいい。

そう考えると、首相としてまず国民の生命、安全を守ろうと考えるのは望ましいことである。そして新型コロナの感染を防ぐため、人混みを避けるのが何よりも有効であるのなら、多くの国民が人混みにさらされない環境を構築するに越したことはない。
通学、なかでも公共交通機関を使っての通学は否が応でも児童・生徒が人混みに接触する。学校も限られた空間をたくさんの教職員、児童・生徒が一定の時間を共有する場所だから、人混みと呼んでもいいだろう。
小中高校生を人混みから分離する。それは若者への感染拡大を防ごうと思えば、当然出てくる施策であるはずだ。

無論、私のものの見方は意地が悪い。だから、安倍首相の決断の理由が、国民を守りたいという思いだけではなかったろうとは想像する。発生源の中国では、我が世の春を謳歌していた習近平首相が批判にさらされているらしい。有効な感染拡大防止策をとらず、多くの罹患者、死者を出した、という理由である。最高責任者はこの手の批判を免れることは難しい。
だから安倍っちは考えたのかも知れない。

「一斉休校を呼びかけずに、学校内で新型コロナウイルスに感染した新たな患者が出た場合の批判と、突然一斉休校を呼びかけることに向けられる批判と、どちらを選ぶか?」

と。
これから見ていくが、一斉休校に向けられた批判は枝葉末節をとらえたものが多い。それに比べ、政府が何も手を打たないまま新たな学校内感染者が出た場合に政府に向く批判ははるかに激しく、鋭いものになるだろう。内閣の致命傷になることだって考え得る。
だから、無謀だと言われることを重々承知した上で、突然の一斉休校呼びかけは、政治的には成功だと思う。

まあ、

「打つべき手は全部打ったから、あとば僕ちゃんの責任じゃないもんね」

という身過ぎ世過ぎの判断と言っていえないこともないが、結果がよければいいのではないか。

この首相決断に向けて

・共稼ぎ家庭はどうすればいいのか

という批判が投げかけられている。私にいわせれば、両親のどちらかが仕事を休んで子どもと家にいればいいのである。これまでは持てなかった親子の対話の時間が持てるはずだ。

・仕事を休んで給料が減れば、暮らしていけない家庭もある

まあ、そうかも知れない。では、暮らせないから、新型コロナに感染するかも知れない環境に子どもを送り出すのか? 送り出して子どもが感染したら

「政府の無策が原因だ」

ってわめくのか?
冷静に考えよう。非常時なのである。まず、小中高校生を持つ親の、期間中の欠勤を企業が認めたらどうか。すべてを有給休暇として賃金を支払う。
その余力がない中小企業に限って、政府が給料分を補填する、というのはその次の策である。
これで解決すると思うがどうだろう?

・たくさんの従業員に休まれては、企業の活動が停止する

うん、停止しても仕方がないんじゃないかな。そもそも、中国とつながって仕事をしている企業は、いまでも仕事が停滞している。部品が入ってこない、渡航ができずに商談が進まない、など理由は様々だろうが、なんどもいうが、今は非常時なのだ。その程度の事はじっと我慢するしかないと思う。そもそも、これには打つ手がないのだから、天を仰ぐしかないのである。天を仰ぎ見ているゆとりのない中小企業は、これも政府で資金援助するかないだろう。

そもそも、だ。会社に出勤するということは、自宅に籠もっているよりもはるかに感染リスクが高まるはずである。ウイルスの潜伏期間は2週間ほどというから、みんなで一斉に2週間の休暇を取ると考えればいい。

・まだ患者が一人も出ていないところでも一斉休校は行き過ぎ

という人もいる。
まだ患者が一人も出ていない桐生市も3月4日から一斉休校に入る。隣のみどり市は3月2日からである。

「やり過ぎじゃないの?」

といいたくなるのも分かる。
が、何しろ相手は目に見えないウイルスなのだ。今日まで患者がいなかったからといって、明日も出ないとは誰にもいえない。今日になって、仙台市、新潟県、高知県で初の患者が出た。今のところでていない群馬県でも、明日、明後日、初の感染者がでないとも限らないのである。

何度も言う。出てからでは遅いのだ。出る前に、思いつく限りの対策を取る。それが行政の責任だろう。
有効な手を打たないまま感染者が出る、という大きなリスクを避けるため、やり過ぎじゃないのという小さな批判に身をさらす。いかにも官僚風の責任逃れ術ともいえるが、いまはそれが必要なのではないか。

しかし、少々クレームをつけたい点もある。
週明けからの一斉休校が、なぜ春休みとつながらなければならないのか?
2週間の一斉休校は、ウイルスの潜伏期と合わせたものである。それは納得できる。しかし、2週間学校を休みにするのであれば、春休みを2週間減らし、こなせなかった授業をこなせばいいではないか? つまり、2週間の一斉休校は春休みの先取りであり、休校が終われば学校は再開する、という考え方はできなかったのかね?

加えて、ちぐはぐな施策も目立つ。学童保育や幼稚園、保育園は続けるというのである。学校に行かずに学童保育所に行く。感染のリスクは同程度のはずではないか。これも共稼ぎ世帯からの批判を恐れてのことだろうが、

「お前の頭はザルか!!」

とどつきたくなるのは私だけか。

ある教育関係者と話していたら、彼の学校は「遠隔授業」を考えているという。ネット社会である。すべての生徒が自宅でパソコンの前に座り、学校からリアルタイムで送られてくる授業を受ける。ソフトをきちんと作れば質問だってできるだろう。すでに、そんな授業システムを取り入れている予備校もあるのだから、やってできないことではない。

「だけど、そんなことが始まったら、例えば誰でも東大や開成、灘の授業を自宅で受けることができるはずだよね。学校は通信にガードをかけるはずだけど、そんなものを外す技術なんていくらでも出てくるだろうから」

もしそうなれば、今の教育システムは滅び、学びたい者が学ぶという理想社会が生まれるかも知れない。
ん? だけど、そんな社会が実現したら、先生たちの給料は誰が負担することになるのかな?

私が創っているグラフによる限り、中国でのコロナウイルスの蔓延はピークを打ったらしい。累計死者数のグラフの山の傾きがずっとなだらかになってきたのがおわかりになると思う。