2020
03.01

日本の医療技術は韓国に後れを取っているのか? それを確かめないジャーナリズムって……

らかす日誌

昨日書き忘れたことがある。昨日の続きだから、しつこいようだが、今日も新型ナノウイルスの話になる。お許しを賜りたい。

昨日の朝日新聞を眺めていたら、国際面でこんな見出しにぶつかった。

「感染2000人の韓国 検査に力
すでに7.8万人完了 ドライブスルー式で時短」

目を惹かれたのは「ドライブスルー式」である。日本は検査態勢の遅れが指摘されているのに、韓国は「ドライブスルー」で検査ができるってか?

中身を読んで驚いた。こんな一節があったのだ。

「南東部の大邱では宗教団体の集団感染が起き、同地域を中心に1日あたり5000人〜1万4000人のペースで検査を実施し、計7万8000人の検査を終えた」

ん? 1日あたり5000人〜1万4000人? ちょっと待て! 日本では検査態勢の不備が各方面から指摘されており、確か1日あたりの上限は3000人か3500人ではなかったか? それなのに5000人〜1万4000人! 何でそんな違いが出てくる?

この記事では、

「韓国では2015年に中東呼吸器症候群(MERS)で38人が死亡し、政府は国民から非難を浴びた。これを教訓に感染症対策を強化し……」

とある。韓国の検査態勢が充実している理由の説明はこの程度である。これで

「なるほど」

って頷く人がどれくらいいるのだろう?

日本で検査が遅れているのは、今回のウイルスが全く未知のものであるためという説明が一般的である。未知のウイルスだから、インフルエンザ検査では広く使われている迅速診断キットにようなものがない。そのため、面倒な診断法を使わざるを得ないというものだ。国立感染症研究所が必要な試薬、装置を組み合わせ、遺伝子検査をしているのだという。
いずれにしても、報道によると1日あたりの検査数は600〜1500件程度にしか上っていない。

無論、朝日新聞の記事を読んだとき、そんな明瞭な記憶が私にあったわけではない。

「確か、検査がなかなか追いつかない。検査能力の充実を図っているが、まだ1日あたり最大3000件ぐらいじゃなかったっけ? だから、各地で『検査してもらいたい』と申し出ても受け付けてもらえなかった、なんていう話があったはずだ」

程度の記憶である。だが、その程度の記憶でも、朝日の記事を読むのに役立った。読んですぐ、いくつもの「?」が頭に浮かんだのである。

・日本ではできないことが、なぜ韓国でできているのか?
・日本の医療技術は韓国に後れを取っているのか?
・遅れた原因は何だ?

・韓国は感染症対策に力を入れていたからできたという。日本は感染症対策には手を抜いてきたのか?
・新型ウイルスといっても、準備さえしておけば迅速な対応ができるものなのか?
・そもそも、日本と韓国に検査方法に違いがあるのか?
・それとも、韓国で行われているのは「手抜き」に近い検査で、精度が劣るから数がこなせるのか?

・韓国の技術が進んでいるとしよう。日本政府は韓国政府に、技術協力を求めなかったのか?
・韓国は自国のことだけで手一杯で、日本に協力するゆとりがないのか?

ざっと並べただけでもこれだけある。読者にこれだけの「?」を持たせるようでは、記事としては失格と思うがどうだろう?

まず、この記事の筆者が、日本の検査能力が1日3000件程度であることを知っていれば、1日5000人〜1万4000人という韓国の検査実績に驚くはずである。日本の読者を相手にする新聞に記事を書く以上、日本人読者の関心に応えねばならない。この検査能力の違いはどこから生じたのか? 日本国民は政府や医療関係者の無策のため、長期間、新型コロナの脅威に怯えねばならないのか? 程度の疑問に答える文章を書き加えようと思うのは新聞記者としてのイロハである。
だが、彼は驚かなかったらしい。驚かなかった原因が日本の検査能力を知らなかったことにあるとしたら、無知の罪である。だが、それならまだ許せる。記者だって総ての事実を知ることは不可能だからだ。でも、新型コロナウイルスの記事を書くのなら、事前に記事データベースを検索して亜主要な記事には目を通して欲しいが……。
しかし、知っていながら驚かなかったとしたら、もう新聞記者失格を言うしかない。

記事の第1次的な責任が記者にあるのは言うまでもない。しかし、新聞社は記事を商品として売る。だから、紙に印刷されるまでにたくさんの人が目を通し、記事に間違いや疎漏ががないかをチェックする。記者が書いてきた記事という素材を商品に仕上げなければならないのだ。

記者が書いた原稿に目を通すのはデスクと呼ばれる役職者の仕事だ。通常は、「てにをは」を直したり、通じにくい文章を誰が読んでも分かる文章に書き直すのがデスクである。だが、それは枝葉末節の日常業務に過ぎない。記事に欠落がないか、突っ込みどころを間違ってはいないか、本質的な問題を看過していないか、というところに目を配るのがデスクの仕事であるはずだ。

各部では部長の下に位置づけられる役職で、その日の原稿に責任を持たねばならない。この記事は国際面に掲載されていたから、国際報道部(私がいたころは外報部と言った)のデスクが、この原稿に目を通したはずだ。このデスクの頭に、日本の検査能力が極めて劣っているとの知識があって、私と同じように驚いたら、この記事を書いた記者に

「君ねえ、韓国の検査体制はなんでそんなに進んでいるの? 日本との違いを詳しく書いてくれ」

と命じるか、他の記者に

「日本では1日3000人が検査できる上限だが、韓国は1万4000人もやっている。どうしてこんな違いが出ているのか、医療技術、歴史、政府の対応など多方面から調べて記事にまとめてくれ」

と仕事と振ったはずである。

商品になる前の記事に目を通すのはデスクだけではない。各部から出てきた記事を紙面に割り付ける整理部の面担(各面の担当)は、どの記事を、どの面で、どの程度の大きさに割り付けるかを判断するために、必ず記事を読む。ここで驚きが生まれても、追加の記事の要請が国際報道部に行ったはずである。

間違いのない記事にするため、校閲部がある。ここでは専門の校閲マン(ウーマン)が、目を皿のようにして記事を読む。ここでも驚くことができる。

編集局長室というのがある。政治部、経済部、国際報道部、社会部など、取材をして記事を出す各部を束ねる編集部門の中核で、編集部門を取り仕切る編集局長、それを支える複数の編集局次長がいらっしゃる。ここでも記事を読む。読むだけではなく、私がいたころは各部のデスクを集めた会議が、確か夜中の11頃に開かれていた。今日の紙面はこれでいいのかどうか、最終的に意見を交換する場である。編集局長、局次長、それにこの会議に出た各部のデスクも驚く機会、驚きを表明する機会を持ったことになる。

だが、この記事が出た。おそらく、私と同じ驚き方をする人が1人もいなかったのだ。

という経緯もあり、昨夕の安倍首相の記者会見はテレビで見た。それによると、日本の検査態勢は1日4000人まで拡充したそうだ。しかし、4000人対1万6000人。この4倍の差は何なのか?

記者から質問だいくつか出た。誰か私と同じ疑問を持っていてくれるのではないかと願ったが、期待した私がバカだった。私に言わせれば

「そんなこと聞いてどうするの?」

のオンパレードであった。

ここで話は変わります。
韓国の新型コロナウイルス感染も結構な広がりを見せているが、お隣の北朝鮮はどうなっているのだろう? あの国、政治的にも経済的にも中国を後ろ盾にしているから、人の行き来は結構あるはずだ。人の行き来があるということは感染のリスクもそれなりにあるはずで、新型コロナウイルス感染者がいないはずはないと私は推測するのだが、新聞・テレビで北朝鮮の感染者に触れた報道はあっただろうか?

そう思って

「北朝鮮 新型コロナウイルス感染者」

でググってみた。いやあ、やってるんですね、感染対策。中国で新型コロナウイルス感染者が出ると直ちに国境を封鎖し、新たな入国者は30日間隔離するのだそうだ。
おかげで

「感染者ゼロ

なのだそうだ。北朝鮮の医療体制は脆弱であるに違いない。だから「ゼロ」が本当なら目出度いことだが、あの国のことである。政府に都合が悪いことはどこまでも隠し通す。ゼロ? 信用していいのか?

今日も掲載します、中国での死者数グラフ。とくとご覧あれ。

随分となだらかになってきました。