2020
04.16

これで行政が変わる可能性が見えてきたのではないか。

らかす日誌

新型コロナウイルスの蔓延で、世の中が変わる可能性がいろいろと指摘されている。

最も喧伝されているのは、テレワークだろう。
仕事をするのにわざわざ会社まで出かけなくてもすむ職種がある。何も、全員が1時間も1時間半も満員電車に揺られて通勤を繰り返す必要はない。いつもは自宅で仕事をこなし、人と会う必要があるときだけ都会に出かければいいのではないか、という可能性を示したのが、コロナに伴う出勤自粛である。

確かに、そうなれば世の中変わる。満員電車がなくなり、どうしても出勤しなければできない仕事(物販や工場での仕事)をする人も電車でゆっくり座って職場に向かうことができる。
テレワークで済む人たちは通勤に費やしていた時間が浮くから、家族と過ごす時間が増える。趣味に使える時間も豊かになるだろうから家庭生活がリッチになる。

もっとも、コロナで増えるものに離婚を挙げた女性が私の周囲にいた。

「何で?」

と聞いたら、

「だって、いまは朝と夜のホンの少しの時間しか一緒にいなくて済むから夫婦関係が保てている。2人とも外出を控えて四六時中顔を付き合わせているようになれば、そりゃあ人間関係は壊れるでしょ。だから離婚」

という返事が戻ってきた。

「だって、結婚したてのころは2人でいる時間を永遠にしたかったんだろう? もう旦那さんに熱い想いはないんだ?」

と聞くと、

「いまさら、ねえ」

2人の女性が声を揃えたから、今の夫婦関係とはそのようなものらしい。ふむ。
だが、彼女たちは甘い。そこで一言コメントした。

「コロナがなくったって、必ず定年が来る。定年が来れば、その頃は子供たちも巣立っているから、いやでも24時間、夫婦だけで過ごすことになる。夫婦の危機にコロナは関係ないんじゃない?」

学校だって、毎日通う必要があるのかどうか。いま、コロナ対策でネットを使った授業が各地で試みられている。よく知らないが、テレビニュースによると、先生と生徒の1体の質疑応答も可能だというし、生徒相互の交流もできるとか。テストもOKだとすれば、わざわざ学校に通う必要はあるのか?

お医者さんだって、患者を診察するのはずっと減らせるはずである。私が通っている整形外科医は、診察室に入っても

「どうですか?」

「あまり変わりませんねえ」

「じゃあ、前回通りの処方箋を出しておきます」

程度の会話しかない。であれば、自宅のパソコンでこの病院に繋ぎ、順番待ちをする。私の順が廻ってくれば、テレビ会議の要領で診察を受ければいい。処方箋もネットを使って送ってもらえば済むわけだ。病院まで足を運ぶのは、骨折した患者や、急性の腰痛患者だけ。医師の負担も随分減るだろう。
現実に、コロナに感染したかどうかの最初の診察は電話でやられている。その問診で、検査した方がいいという人だけが病院を訪れる。これって、他の診察にも使えるはずである。

通販はこれまで以上に活用されるだろう。泣き所は、誰かが荷物を運ばねばならないことだ。運送業は人手不足が深刻化している業種である。でも、なーに、数年すれば荷物運びの自動運転が実用化され、荷物の量に応じた自動運搬車が道路の片隅をちょこちょこ走っていることになるのではないか。あらゆる家庭にAmazonの段ボールがゴロゴロ転がっていて、という未来図を思い描こう。

とあれこれ考えていて、

「おお、これこそやるべきだ!」

と思わず膝を叩きなくなったテレビニュースがあった。
自治体で、職員に自宅待機をさせるところが続出しているというのである。積極的な自治体は、職員の半数近くが自宅待機。役所から半分の職員が消えているわけだ。

「そうだよなあ。お役人だってコロナに感染するリスクは避けたいだろうからなあ。それに通勤客が減ることにもなるし、コロナ対策には効果があるかも」

と受け取るのが素直なのかも知れない。
だが、素直さには縁がない私は、まったく違う思いを抱いた。

「何、役所って今の半分の職員で基本的な仕事はこなせるんだ。だったら、残りの半分って、何してるの?」

政府、地方自治体の財政が逼迫するのに伴って、行政改革が必要だと叫ばれ初めて久しい。行政サービスを落とさず、支出を減らすには職員数の削減が手っ取り早いと、おそらくほとんどの自治体が職員削減に取り組んできたはずである。それなのに、残った職員の半分が出てこなくても、役所は粛々として仕事をこなすことができる。いや、コロナウイルスがはびこることで、役所として処理しなければならない仕事が部分的に増えているのではないかと想像できるのに、それでも半数の職員でやっちゃえる。
残りの職員はふだん、いったい何をしてるんだ?

というわけで、コロナ騒ぎが一段落すれば、皆の目が私と同じ方を向き、水ぶくれの職員が執務している役所に厳しい視線が注がれるのではないか。厳しさに耐えかねた首長は、職員の大幅削減をスローガンにせざるを得ないのではないか。

さて、私の妄言、妄言が世の動きを正確に見通しているのかどうか。
コロナという超大型台風が過ぎ去る日が楽しみである。