2020
05.10

皆様の暮らしも旧に復し始めたような気がします。

らかす日誌

というのも、「らかす」へのアクセス件数が6日から徐々に下がり始めているからである。昨日なんぞはコロナ前の

「まずまずの来場者数」

程度に落ち着いてきた。おそらく、自宅にいる時間、仕事をしない時間が減り、日常業務に追われて

「らかす、でも見てみるか」

という気分が薄らいできたのだろう。筆者としては

「ああ、やっぱりあれはコロナ・バブルであったか」

とやや寂しくはあるのだが、それでも、そんなことに比べれば、暮らしが普通に戻ることの方が100倍大切である、とわきまえる理性は持ち合わせている。
統計で見ても、国内では3日をピークに新規感染者数が、4日をピークに1日あたりの死者数が減少している。全員が統計数字を見て行動を決めているわけではないはずなのに、こうした動きが「らかす」の来場者数と連動するのは面白いものである。

というわけで(どういうわけなのかは、この際問わないでいただきたい)、私は昨日、東京へ行ってきた。といっても足立区西新井なので、東京の外れというところか。

国道50号線で佐野へ。
道はガラガラで、高速道路並みのスピードで流れている車の1台として快適に運転を続け、

「ほう、アウトレットは閉店中か」

といいながら東北自動車道に乗る。ここも車は少ない。土曜日の昼前、上り線というのは、普段でもそれほど混む時間帯ではないが、それでも車が少なすぎる。首都高に乗り継いでもスイスイと走ることができたから、やっぱり外出自粛は継続しているようである。

西新井では近くのスパゲティ屋さんで昼食。入り口には消毒用の、多分アルコールが用意され、テーブル間の距離は大きく取られている。それでもほぼ満杯ということは、皆さん、自宅に引きこもっているのに飽きちゃったのだろう。私なんぞは飽きるも何も、コロナが来ようが来まいが、ほぼ同じように大半の時間を自宅で過ごして飽きることはないのだが、このあたりは年齢差のせいか?
それとも、そう考えてしまうのは年寄りのひがみか?

それでも、この近くに住むO君によると、人手は少なめとのこと。桐生に比べればお祭りのような人出だというのに。

3時間ほど仕事の打ち合わせをし、新しく会社を立ち上げるという2人に私なりの意見を述べて帰宅。帰りは高速道路、国道50号ともに、やや車の数が増えているような気がした。午後5時半頃自宅着。

それにしても、である。
録り貯めた映画の本数が増えすぎ、収納場所に困って

「これは保存する価値なし」

あるいは

「取っておいても2度と見る気にはならないだろう」

という映画を選び出すため、夕食後は毎日映画鑑賞、というか駄作選定作業を続けている私である。すでに2000本以上の映画を栄えある「駄作」に選定したのだが、日々映画をお作りになっている方々に伺いたい。
どうしてこれほど、駄作の山ができるのか?

「何が言いたいわけ?」

という純文学系統の映画も我が家では「駄作」に選ばれているのだが、それとはまったく別の、水準以下、ホントにもう箸にも棒にもかからない作品が山ほど作られてきたのはなぜなのか?

「こんな映画、誰か金を払って見たのかね?」

と、WOWOWにしか金を払わずに大量の映画を見続けている私は奇怪至極に思ってしまう。

筋立てが幼稚、ご都合主義のオンパレード、辻褄が合っていない、

「そりゃあないだろう!」

と思わず声を揚げてしまう映画……。

昨夜見た映画も、その代表例の1本として目出度く「駄作」の山に加わった。

コンプライアンス—服従の心理—」(COMPLIANCE)

2012年のアメリカの映画である。監督はクレイグ・ゾベル。

金曜日、混雑するファーストフード店に1本の電話がかかってくる。警察官を名乗る電話の主は、店員の一人が客から金を盗んだと告げる。盗んだと指摘されたのはレジ担当の女の子である。

客から訴えがあった。それに張り込み中の警察官も目撃した」

という電話を、店長さん(太り気味の女性)はすっかり信じ込む。信じ込んで、電話の主が言う通り、女の子の身体検査をし、持ち物検査をし、服を脱がせて調べ、ついには下着も脱がせてお尻の穴までチェックする。

途中で

「おいおい」

と突っ込みを入れたくなった(お尻の穴に、ではない。念のため)。
そもそも、レジをやっている女の子が、どうやったら客の金を盗めるのか? 警察官が現場にいたのなら、なぜその警察官が現行犯逮捕しなかったのか、電話を掛けてきた自称警察官の名前をなぜ聞かないのか? このあたりは、初動のミスである。
百歩譲って、本当の警察官からの電話であったとしても、民間人に捜査権はない。身体検査、持ち物検査までは目をつぶってもよい。しかし、服を脱がせ、下着を脱がせ、お尻を突き出させる権限が、どうして店長にあるのか? 第一、民間人に身体検査をさせる警官がいる?
疑えば、いくらでも疑えるのである。それなのに、店長さんはまったく疑わない。いや、店長だけでなく、長い時間、誰も疑わない。深夜になってようやく、

「警察署長に電話をしてみたら」

と言い出す人がいて、初めて悪戯と分かるのだ。しかも、警察署はこの店のすぐ近くにあることがその時点で観客(つまり、この場合は私)に明かされる。

あまりにも頭の鈍い人たちの右往左往にイライラし始めた私は、15分ほど見たところで早回しを始めた。このドタバタは導入部で、あとに

「物事にあたっては冷静に対処しないと大変なことになりますよ」

という主題が登場するのだと思っていた。ところがどこまで回しても、相変わらずファーストフード店の事務室が舞台で、片隅にオールヌードの身体に胸当てのついたエプロンをまとった女の子がいる。そう、80分ほどの映画のテーマは、この事件だけなのである。若い女の子とのヌードを拝めるのはいいとしても、おいおい……。

そりゃまあ、日本国内を見ても、オレオレ詐欺などがいまだに根絶できていない。あえてきつい言い方をすれば、まんまと人の話を信じてしまう愚かな人たちがいて、その愚かさにつけ込む犯罪は全世界共通なのだろう。自慢ではないが、こちらを見ていただければお分かりいただける通り、我が家も決して愚かな家庭の例外ではない。

だから、

「犯罪から身を守るためには、あなたがしっかりしなきゃダメよ」

といいたいのだろうとは推測できる。しかし、それにしては、まんまと引っかかった店長が愚かすぎるのである。警察官だといわれて名前も確かめず、電話で言われるがままに女の子を犯罪者と決めつけ、服を、下着を脱がせてあられもないポーズまでさせる。こんな、最高級に愚かな人物を登場させることに何か意味があるのか? 観客は

「俺も気をつけなくちゃ」

と思うか?

「俺は大丈夫。あんなバカじゃない。あの店長、ホントにバカだね」

と(私のように)胸を張って映画館を出るのではないか?
いや、その前に、私と同じように、あまりの馬鹿馬鹿しさに苛立つのではないか?

何とこの映画、事実を元にしていると断り書きがあった。同様の犯罪がアメリカ国内で数十件報告されているというのだ。であれば、もう少し手の込んだ実例を取り上げて、もっとサスペンスフルな映画に仕上げるのがプロというものだろう。監督さん、あるいはプロでユーサーさん、こんな映画で観客を呼べると思った? 名を高めることができると思った?

それにしても、である。こんな犯罪が数十件。アメリカって……。

そのアメリカ、コロナでの死者数が8万人を突破した。死者数は減少傾向にあるとはいえ、まだ1400人を超えている。人口比にすれば、日本なら1日500人超というところだ。新規感染者も高止まりというところか。

それにしても、以前から気になっているのだが、アメリカの死者の内訳はどうなっているのだろう? 金持ちも貧乏人も同じ確率でコロナに持って行かれているのか? それとも、黒人やヒスパニックといった経済弱者が被害者の大半を占めるのか? あまり記憶にないということは、やっぱり貧困者が犠牲になってる?

そんなことすら考えてしまうコロナ禍である。