2020
06.10

時々筆が走りすぎることはあるが、これは……

らかす日誌

私は実に様々な本を読む。いや、沢山本を読むのがいいとか悪いとかの話ではない。まったく読まないより、本に親しんだ方が人生は豊かになるとは思うが、それは私の思い込みに過ぎないかも知れない。本に親しみさえすればことは足り、どれだけの量を読むかは個々人の好き勝手である。沢山読んだから立派な人になるわけでもなく、あまり読まないから経営に失敗するわけでもない。私のように本が手放せないのは、どこかに性格上の欠陥があるのか、それとも脳の病のゆえか、と思わぬでもない。

そんな私の性格を引き継いでいるのが横浜の瑛汰と璃子である。とにかく本が好きだ。今月30日に誕生日を迎える璃子の誕生日プレゼントは、璃子の要求で今回も本であった。それも医学系の漫画である。璃子はお医者さんに憧れているらしい。

いや、それはどうでもいいのである。今日は不思議な記述にぶつかった話を書く。

自分では気づかない、ココロの盲点」(池谷裕二著、講談社ブルーバックス)

という本の一節である。
日本を代表する脳科学者の池谷裕二さんが、ヒトの脳の不思議な癖をまとめた本である。同じ長さの線分の両端に外向きの矢印がつけられるか、内向きの矢印がつくかで長さが違って見えるのは良く出てくる話である。Tという字の横棒と縦棒を同じ長さにしても、縦棒の方が長く見えるのも脳が生む出す錯覚だ。
その類の、ヒトの脳の癖みたいな話が沢山出てくるのだが、

「そりゃあないだろ−」

と思ってしまったのは次の一節である。そのまま引用する。

2種類の殺虫剤が売られています。価格は500円と700円です。両者の違いは人間への有害性です。高価な方が害が少ないのです。
どちらの場合が700円の殺虫剤を買う人が多いでしょう。

①500円の殺虫剤は1000回に15回毒性が出るが、700円は1000回に10回毒性が出る

②500円の殺虫剤は1000回に5回毒性が出るが、700円は無毒

これはクイズ形式になっており、脳科学的なテストをしたとき、より多くの回答者が選んだ答が掲載されている。この問題の場合、当然②である。それはよい。私だって②を選ぶ。
私が、おもわず、

「そんなバカな……」

と口にしたのは、その解説である。

どちらの選択肢も「危険性が5回少ない」という意味では同じです。しかし、脳は確実性を求めます。確率が0%か100%に近いほどわかりやすく、魅力を感じます。だから、「無毒」を謳う殺虫剤に、より多くの金額を投資します。
10あるリスクを1に減らすことより、1のリスクを0にすることに躍起になり、理不尽な決断をすることは珍しくありません。これは、投資家などに目立って見られる傾向ですが、現実には、警察による犯罪防止、製薬会社による副作用対策といった大規模なものから、将棋の勝負の一手や告白のタイミングに至るまで、幅広く私たちを支配しています。
少しでも失敗する可能性がある状況だと、行動を躊躇してしまうものです。
本来ならば、「薬の副作用が1000人に1人」と「副作用ゼロ」では、実生活では気にする必要のない差です。ところが脳にとっての魅力はまるで異なります。
脳は「カロリーゼロ」「ハズレなし」「無臭」「元金保証」など感情に訴える数字に弱いのです。

ぶっ飛んだのは最初の一文である。選択肢の①と②は「同じ」なのだろうか? だって、ヒトに対する毒性がゼロなのである。どこにでもあるリスクの話ではない。「毒性」とある限り、ヒトは誰でもゼロを求める。ゼロは5の無限大分の1である。つまり比較対象ができない数字で、だから「危険性が5回少ない」という話とは別次元のことなのではないか? 脳が錯誤を起こして無毒の700円を選ぶのではなく、脳が正しく働くから「無毒」の700円を選ぶのではないか。

無論、設問は①、②から正しいものを選べというものであることは承知している。多くの人が②を選ぶであろうことも推測できる。了解できないのは、著者が、危険性が低下する度合いは①も②も同じなのに、多くの人が②を選ぶのは、脳特有の錯覚の産物である、と言いたげなことである。それ、違うんじゃない?

ヒトの脳は数字にだまされやすい、というのはよく指摘されることだ。この本にも

普通カレー 1000円
特製カレー 1500円

と書くより

カレー 1000円
特製カレー 1500円
極上カレー 3000円

と標記した方が、特製カレーを注文する人の数が増える、と書いてある。なるほど、人の心理とはそのようなものであるか、と教えられるところは多い。

それなのに、②を選ぶのは、脳の錯覚であるといわんばかりの記述は、筆が滑りすぎたとしか思えない。ヒトの脳はリスクの計算が上手くない、ということをいいたいために作った問題なのだろうが、設定がずれてしまっているように思う。

まあ、文章を書いていると、時折筆が滑ってしまうことはある。勘違いすることもある。しかし、私の「らかす」とは違って、出版物は多くに人の目を経て印刷に回るはずだ。その過程で、誰も私のような違和感を抱かなかったのだろうか?

さて、恒例となってしまったコロナウイルス。世界の死者数は41万人を超え、ロシアや、統計の発表を止めちゃったブラジルではいまだに猛威を奮っているようだ。
我が国はとりあえず落ち着き始めた。経済活動も徐々に旧に復し始めたが、繊維産地桐生では今になって、企業活動に影響が出始めた、という声を聞く。末端での消費がしばらく止まったため流通過程に在庫が積み上がり、新しい発注がなくなっているためだ。しばらくは耐え抜くしかないか。

それにしても、公の場に出るときはまだマスク着用が黙示的に強制される空気が続いている。桐生なんて患者数は2人だけで、その後は一切新規感染者は出ていない。コロナウイルスは桐生に住み着くことに失敗したと見るのが見識だと思うのだが、いまだにあちこちでマスクの着用を強いられる。
これも、早く旧に復してもらいたいものである。