2020
07.20

除草剤が悪戯をしていたと判明したのであった。

らかす日誌

庭付き一戸建ての借家に住まう私には避けられない仕事がある。除草である。
一時は雨上がりを待って1本ずつ根っこから抜いていた(道具としてはフォークを多用した)時期もあったが、とてもではない重労働に音を上げ、最近はもっぱら除草液に頼っている。以前書いた通りである。

その除草液を散布するには、それなりの道具がいる。如雨露でもいいが、極めつけは霧吹き器である。そう、アイロンをかけるときに使うようなヤツだ。
最初は、除草液が入った霧吹き器を買って使った。中身がなくなると、

「薄めて使って下さい」

という濃縮除草液を買い求め、空になった霧吹き器に入れて薄め、使っていた。この除草液、安価であることが最大の利点である。それにもかかわらず、噴霧して1週間もする立派に雑草が枯れる。なかなか具合がよく、使い続けていたが、この霧吹き器、除草剤を噴霧するにはそのたびに人差し指で引き金を引かねばならない。これ、噴霧する範囲が広がると、なかなか大変な作業で、やがて右手が疲れ、左手に持ち替えて、左手が疲れると再び右手を使うという難行苦行を強いられる。10年も若ければ苦にはならないのだろうが、最近はさすがに持て余していた。

時宜を得て、という言葉をこんな時に使うのが適当かどうか判断に迷うのだが、とにかく、その霧吹き器が壊れた。数ヶ月前のことである。引いた引き金を元に戻すためのプラスチック製のバネがくたばったのである。さて、では除草をどうしよう?

噴霧器付きの除草剤をもう一度買う手もあった。が、私は少し贅沢をしようと思った。すでに古希を過ぎたのである。いつまでもトリガーを指で操作するのではなく、全自動とまでは行かないが、半自動ぐらいまでは昇格させようと考えた。この歳、少々の贅沢は許されて然るべきではないか?

Amazonで探して買ったのは、ポンプ式の噴霧器である。最初にポンプを20〜30回押して中の空気を圧縮する。そうすれば、そこから出ているホースについたスイッチを押すと圧縮された空気に押された除草剤が飛び出してくる。毎回引き金を引かねばならない噴霧器に比べれば、天国と地獄ほど作業が楽になる。これがわずか1600円(程度だったと記憶する)。この程度の贅沢は許されるはずだ!

すでに何度も作業を繰り返した。最初にポンプを押す。あとは手元のスイッチを押せば除草液が噴霧される。これならどれだけ庭が広くても一人で楽々と作業ができる!

異変に気がついたのは1週間ほど前のことである。ポンプを押す。スイッチを押す。除草液が出る……はずなのに、出てこない。ショボショボという感じで液がこぼれ落ちた後は、ウンともスンとも言わない。

「何だ?」

おいおい、確かに安い買い物である。しかし、いくら安かろうと、そもそもそれほど複雑な構造をした代物ではない。壊れるかもしれない箇所なんて数えるほどだ。除草液をためるタンクか、そこから除草液が押し出されるホースに穴が開いたのでもない限り、作動しないはずがない。それなのに、液が出なくなってやむなくタンクの空気を抜くと、シュッという音とともに中の空気が抜けていく。空気漏れはない。

「だったら、何で液が出ない? これ、安いだけあって、中国製の粗悪品か?」

まずは放っておいた。使えない道具はそうするしかない。やがて、一つの可能性に気がついた。ひょっとしたら、安物と中国製を馬鹿にしすぎたかも知れないと思いついたのだ。

「ホースのどこかが詰まっているのではないか?」

タンクからホースを取り外し、チェックした。はああ、これか。ホースの一方の端、タンクの中で除草液に浸かっている部分には、多分ホースが詰まるのを避けるためだろう、細かい穴が開いたフィルターが取り付けられている。そのフィルターの穴が、なんだかドロドロした物質で覆われている。

「ふむ、これなら出ないのも仕方ないな。こんなになったら、高性能の日本製でも除草液は出てこないはずだ」

そのフィルターを洗った。ちゃんと水が通ることを確認した。この噴霧器、正常に使えるはずである。

以上が昨日までの経過である。それだけの経過を踏まえて本日夕、私は除草液の散布に取りかかったのであった。

最初は、出た。ところが、10箇所ほどに散布したら、出方がショボショボになった。

「もう内圧が下がったか?」

とポンプを20回ほど押し、再び散布しようとした。出ない。スイッチを押しても出ない。詰まった箇所の掃除はしたばかりである。ひょっとしたら、安物には、私が見抜けないほど巧妙な壊れ方があるのか?

再びタンクからホースを取り外し、フィルターを点検する。あれまあ、またまた目詰まりだ。あれほどしっかり洗浄したのに、何でこんなドロドロしたものがフィルターにくっつく?

原因は1つしかない。除草液である。
思い起こせば、この噴霧器、容量が4リッターある。私が使っているのは、水で薄めて使う除草液だ。であれば、一度に大量に作っておけば毎回作らずに済んで楽である、とかつての私は考えた。今日何度から取り出したときも、4分の1とまではいかないが、5分の1、つまり800cc程度の除草液が入っていた。

「そうか、除草液は長期間放っておくと変質してドロドロになるのか……」

タンクを振り回して中身をかき混ぜ、除草液の一部を出してみた。案の定、ヨーグルト状の物質を含んだ液体が流れ出てきた……。

ごめん! 安物のせいではなく、ましてや中国製だったからでもなく、私のミスのせいで除草液が出ない噴霧器に変身していたのであった。

で、とりあえずの作業は古い如雨露を使ってやり終えた。しかし、次回からどうする?

1つは、一度除草液を薄めたら、完全に散布し尽くすことである。噴霧器のタンクの中に除草液を残さない。残ったら、惜しいが捨てる。そして綺麗に水で洗う。しかしなあ、せっかく4リットルも容量があるのに、1回で使う量といったら、300cc? 400cc? なんか、もったいなくはないか?

もう1つは容量の小さな噴霧器を買うことである。そうすればもったいなさが減る。しかし、新たに出金しなければならない……。

迷うなあ……。

そんな思いを抱えながら、今晩は

新聞記者

という日本映画を見た。東京新聞の望月衣塑子記者の本をもとにしたものという。望月記者は内閣官房長官の定例記者会見で歯に衣着せぬ質問を浴びせかけ、首相官邸報道室が東京新聞に書面で抗議をし、話題になった記者である。期待して見た。

結論は、

✖️

せっかくの原作がありながら(原作が傑作かどうかは、読んでいない私には判断できないが、多分、それなりの本なのではないか)、何という間延びをした映画を作るものかと、あらためて日本映画の現在にため息が出た。
いや、間延びの仕方はご自分でこの映画を見てご確認いただきたい。あ、加えていえば、「新聞記者」と銘打ちながら、この物語は良心と闘う官僚の物語になってしまっている。主役のはずの新聞記者はまるで猿回しの猿である。

それに。
日本の映画関係者に限ったことではないが、記者という仕事への理解が映画関係者になさ過ぎる。記者とはそれほど立派な職業ではないかも知れない(私が記者を生涯の仕事に選んだときは、これ以上の価値がある仕事はほかにない思っていたのですが)が、それほどバカにした仕事でもない。
映画に出てくる記者といえば、闇雲に、無遠慮に突撃取材を繰り返す無法集団というのが通り相場で、その口から出る質問も

「お前、アホか」

といいたくなるつまらぬものばかりである。

そうそう、この映画では主人公は寝ても仕事、起きても仕事の仕事人間で、自宅のデスクの周りには取材メモらしきものが所狭しと張り巡らされている。机の上にはパソコンとテレビ。テレビでは常に報道番組が流れている。
おいおい、可愛い顔して、あんたは仕事の鬼か? 自分の時間って全くないの? そんな暮らしをしていたら薄汚れた空っぽな人間になっちまうぞ!

そして会社にいる時間が異様に長い。記者たるもの、会社にいても1文の得にもならない。原稿はパソコンで書くのだし、書いた原稿はどこからでも送信できる。会社にいる必要は全くなく、そんな時間があるのだったらできるだけ沢山の人々と言葉を交わしあっていた方がよほど役に立つ。あるいは知人、友人と酒を飲むのもいいし、映画を見るのも、本を読むのも記者としての基盤を作る大切な作業である。

そんな、記者に関するイロハのイも知らずに、映画に記者を登場させるのはいかがなものか。
外国映画を見ていて、彼等が描く日本が、フジヤマ、ゲイシャガールの世界からなかなか進歩しないのに苛立つ映画ファンは多いのではなかろうか。少なくとも私は苛立つファンの1人である。同じ苛立ちを、元記者としてこの映画に感じてしまったのである。

しかし、新型コロナによる死者が14万人を突破して、その勢いに衰える兆しがなかなか見えないアメリカ。最近のトランプの言動を見ていると、もうパニックというか、思考放棄というか、何をしたらいいのか分からなくなっている感が漂う。普通なら大統領がバカでも周りに優秀なスタッフがいて支えるはずなのだが、優秀な連中はさっさとトランプに見切りをつけ、残っているのは、多分ごますりばかり。これでは巻き返し策のたてようもないはずである。

それにしてもごますり連中、権力の魔力にとらわれすぎて、「恥」ってものを忘れているらしい。トランプに起用されるのは「恥」以外の何物でもないと思う私であった。