2020
09.22

久々に英語の本を注文してしまった。

らかす日誌

あなたはフレデリック・フォーサイスご存知だろうか?
あなたは「ジャッカルの日」「オデッサ・ファイル」「戦争の犬たち」3部作をはじめとしたフォーサイス作品をお読みになったことがあるだろうか?
あなたはフォーサイスのファンだろうか?

私は、3つの問にいずれもイエスと答える。はい、フォーサイス作品が大好きです。

それなのに、ああそれなのにそれなのに。フォーサイスに

アウトサイダー」という作品があることをつい先日まで知らなかった。知って取り寄せ(いつものようにAmazonの古本であります。フォーサイスさん、あなたの収入にならずに済みません!)、しばらく書棚に格納しておいて、先週一気に読んだ。

面白い!

なんとこれ、フォーサイスの自伝である。幼き日から現在までの数々のエピソードが書き連ねられている。
フォーサイスといえば、「ジャッカルの日」「オデッサ・ファイル」で得た巨額の印税をつぎ込んで傭兵を雇い、アフリカの小国でクーデターを仕掛け、それをもとに「戦争の犬たち」を書いたという伝説の持ち主である。この自伝では、直接ではないがこの話題にも触れている。それによると、伝説はどうやら誤りらしい。まあ、やばい話なのでフォーサイスが「隠している」「嘘をついている」という解釈はそれでも成り立ちはするが。

私の記憶によると、フォーサイスは5歳でスピット・ファイヤー(第2次世界大戦で活躍したイギリスの戦闘機)の操縦席に座る機会を得て以来、飛行機への憧れを持ち続けた。彼の入れ込み方は尋常ではなく、成績がよかった彼はケンブリッジ大学に進めるといわれながらそれを蹴り、なんとイギリス空軍を目指すのだ。そして、18歳からという年齢制限を人脈で乗り越え、17歳で空軍に入ると、とうとうパイロット記章を手に入れる。

そんなだから、人生設計なんてあったものではない。行き当たりばったりもいいところで、 君には戦闘機乗りになれる見込みがないと上官に言われるとさっさと空軍を退き、ジャーナリストの道を選ぶのである。

ジャーナリストになって、父親の方針で幼いころから身につけていた外国語が役に立った。フランス語、ドイツ語である。いずれも現地に長く逗留して身につけた言葉で、スラングやイントネーションも身についていたからフランス人、ドイツ人で立派に通用した。この語学が、ジャーナリストでありながらイギリスの諜報機関の仕事を手伝う大きな助けになった。そう、フォーサイスはジャーナリストでありながら、時々スパイだったのだ!

新聞社、通信社を渡り歩き、最後にBBC(英国放送協会)に入る。フォーサイスによると、BBCは国家権力の犬で、国の方針に反する報道はしない。フォーサイスが体験したのはビアフラ問題で、時のウイルソン首相はナイジェリアから東部の州が独立しようとする動きを、ナイジェリア連邦政府を支援して押さえ込もうとする。悪党、オジュク中佐に煽られた連中が暴動を起こしている。暴徒は一日も早く鎮圧しなければならないというのである。BBCもこの政府方針に従順に従い、東部州(のちにビアフラとして独立を宣言する)を暴徒と決めつけただけではなく、取材する価値がないこととして手を触れようとしなかった。

ところが、権威に従わないのはフォーサイスの持って生まれた性分だった。会社をごまかし、あるときは自費で東部州に身を運ぶ。自分の目で見、耳で聞いた東部州はイギリスで聞かされた像とは正反対だった。悪党のはずのオジュク大佐はイギリスからナイトの称号を与えられている父の元、オックスフォード大学に学び、歴史学で文学修士号を得た聡明な男だった。帰国してアルジェリア軍に入ったオジュクはふるさとの東部州に赴任、連邦政府から独立したいという地元民を何とかなだめ続けたが、自分が指導者の地位を降りるか、民衆のリーダーになるかを選ばねばならない立場に追い込まれ、後者を採ったのだった。

この独立戦争が現地の食糧不足を招き、100万人ともいわれる子供たちが骨と皮になるまで痩せ細って死ぬのは間もなくのことだ。これをフォーサイスは、現地の実情を知らず、誤った情報をもとに自分たちの保身も絡めて連邦政府を支援し続け、戦争を長引かせたウイルソン政府の責任だと切って捨てる。

こうした紆余曲折の末、フォーサイスはBBCを辞める。辞めたまではよかったが、ふと気がつくと生活費がない。国の方針に逆らう記者をすんなりと雇ってくれそうなメディアは思いつかない。どうする?
思案した挙げ句、選んだの小説を書くことだった。「ジャッカルの日」を書き上げて出版社に日参するが、どこもまともに取り合ってくれない。どうやって暮らしていくか……。

このあとは、是非この本を読んでいただきたい。私は、そうか、フォーサイスがまともにジャーナリストをできる環境だったら、彼の小説は存在しなかったのか、と唖然としたのだが。

という具合で、フォーサイスが紡ぎ出した小説と同等、いや事実は小説より奇なりという言葉通り、小説よりも面白いのが、この「アウトサイダー」なのだ。

で、冒頭の見出しを思い出していただきたい。私は英語の本を注文してしまった、と書いた。もちろんAmzonの古本だが、注文したのはこの「アウトサイダー」、いや、「The Outsider: My Life in Intrigue」である。ある一節を原文で読みたくなったのだ。
少し長くなるが、引用する。

その子は外の草地に立っていた。7、8歳の、木の枝のように痩せた少女の残骸のような子どもで、綿の薄いシュミーズは泥で汚れていた。左腕で抱えている赤ん坊は弟なのだろう。何も身につけず、生気のない目をして、腹が膨らんでいた。女の子とはわたしを見上げ、わたしは女の子を見おろした。
女の子は右手を口に持っていき、おなかがすいた、何か食べ物をくださいという仕草をした。それから手を窓のほうへ伸ばしてきて、声を出さずに唇を動かした。わたしは掌が桃色の小さな手を見たが、食べ物を持っていなかった。
わたしの食べ物は、白人が住んでいるかまぼこ形兵舎の背後にある炊事場から日に2回運ばれてきたが、夜は赤十字のカール・ヤッギといっしょにスイスから運び込まれる栄養たっぷりの美味い物を食べていた。だが、それはまだ3時間先だ。炊事場はもう閉まって鍵がかかっており、女の子と赤ん坊に何かを食べさせることはできない。夕食の時間まで、わたしにはキング・サイズの煙草しかなかった。もちろん煙草は食べられないし、ビックのライターに栄養などない。
愚かしいことだが、わたしは、ごめん、本当にごめん、食べ物は持ってないんだと説明しようとした。わたしはイボ語を知らないし、女の子は英語が分からない。が、そんなことは関係なかった。女の子とは理解した。伸ばしていた腕をゆっくりと身体の脇へおろした。御何個とは唾を吐いたり、毒づいたりしなかった。黙ってうなずいた。窓辺にいる白人は自分と弟のために何もしてくれないのだと理解した印に。
わたしは長い人生で、これほどの諦め、これほどの威厳をほかに見たことがない。女の子はあらゆる希望を失い、ぼろぼろの姿で、こちらに背を向けた。赤ん坊を抱いた女の子は草地を横切って森に向かっていった。森のなかで、女の子はひときわ濃い影を落とす木を選んでその根方に座りこみ、死ぬのを待つのだろう。そのあいだ、優しいお姉さんらしく、ずっと弟を抱いているだろう。
わたしは女の子が森のなかに消えるまで見送っていた。それから机について、頭を両手で抱え、タイプ用紙がびしょ濡れになるまで泣いた。

この原文が読みたいのである。

皆様も、この素晴らしい本を是非開いていただきたいと思う。