2021
02.04

これが名作だと言われてもねえ……。細雪。

らかす日誌

1月下旬に読み始めた谷崎潤一郎「細雪」を読み切った。
本日のタイトルが、読後感想文の要旨である。

これが名作だと言われてもねえ……」

要は、没落し始めた大阪の名家の4人姉妹の物語である。没落し初めても気位だけは高く、何かというと「身分」を基軸に世の中を掌握する方々の話だ。1943年から1948年まで書き継がれた。そういう意味では旧時代の価値観、偏見にトップリと浸かった小説で、

「はあ、あの時代の、落ちぶれ始めた高貴な方々とは、こんな風に物事お考えになっていたのか」

という、興味津々で博物館の展示物を眺めるような気分にならねば、とても読めたものではない。

この4人姉妹、父母はすでに亡い。長女・鶴子は銀行員を入り婿とし、次女・幸子は計理士を、やはり婿にとっている。3女の雪子、4女の妙子は独身。
話は、この4人を巡って揺れ動き、この4人の世界を出ることはない。

本家である鶴子の夫、辰夫は弱い者、頭の回転が遅い者には威張り、上の者、頭が優れている者にはすぐにやり込められる男である。大阪から東京に転勤し、銀行の役員になる(高貴な方々には素晴らしい時代でした!)のだが、実入りはあまり良くないらしい。それでも「本家」の気位とメンツだけは何とか保とうとする、まあ、どこにでもいそうな小物である。

幸子の夫貞之助はかなり稼いでいるようだ。本家と比べると家庭は豊かで、本人は身分制度の中で生きている理性的な、知性も備えた常識人である。いまでも幸子に首ったけらしい。

雪子は嫁に行かぬまま、30を迎えた。良家の子女だから縁談は降るようににあるのだが、見合いの席ではいつもだんまりを決め込む。喜んでいるのか悲しんでいるのか、そんな感情表現も、人前では不得手らしい。
それだけでも縁談はなかなか纏まるまいが、それにも増して障害になっているのが、この一家が抱える名家意識である。見合いの相手を徹頭徹尾調べる。血統はどうか(つまり、相手も名家の出であるかどうか)、収入は充分か、家族、親族に問題はないか、スキャンダルを起こしたことはないか、おかしな遺伝子を持つ一族ではないか……。まあ、人間というもの。詳しく調べれば欠点の1つや2つは必ず出てくるもものだろう。だからいつも

「結婚相手には相応しくない」

という結論が周囲から出て、破談になる。それでも本人は余り気にしていないらしい。

末娘の妙子は、上の3人とは違った自由人である。宝石商の3男坊と10年越しの付き合いを続け、この3男坊は妙子に夢中なのだが、平気でほかに男を作る。男を作りながら、3男坊には店の宝石を持ち出させて自分のものとしてしまう。コートや高級呉服も、この3男坊が店から持ち出した宝石を換金して買い与えたものである。こんな具合だから、この末娘の不良ぶりが、3女雪子の縁談に響かないかと、周りはハラハラのし通しだ。

私たちの価値観からすると、この妙子に感情移入できても良さそうなものだが、あらゆるものを自分の為に利用しようというたくましさは、やっぱりしっくりこない。

要は、登場人物の誰にも感情移入できないまま、読み進まねばならない。

まあ、かようにして、物語は雪子の縁談を中心に進むのだが、これがなかなか纏まらない。そりゃあそうである。面と向かって愛想の1つも言えず、いやそれだけでなく相手の気持ちを慮る気配りも、まともな挨拶も出来ない女に、いくら美貌があるからといって早々なびく男がいようか? 加えて、何かと口うるさい親族がガード・パーソンの如く取り囲んでいる。私なら花から縁談など考えられない相手だが、この小説では次々と幸夫に振られる男が出てくるから不思議である。

いつもこちらから断っていたのだが、医者から製薬会社の副社長に転身した男との時は、向こうから断られた。初めての負け組である。見合いの席では男は雪子に魅入られた。ために男は、雪子が寄寓していた幸子の家に電話を掛ける。デートに誘うのである。
ところが雪子は、電話が大の苦手。お手伝いに電話だと知らされても、嫌がってなかなか電話口に出ない。出てもだんまりを決め込む。何度も誘いの言葉を繰り返されると、蚊の鳴くような声で

「今日は差し障りがあります」

こんな女と誰が付き合う? どんな男なら、コミュニケーションが取れない女を妻にしたいと思う?

この雪子の縁談を軸に、彼らを襲った水害、本家と分家の感情の行き違い、隣家に住んでいたドイツ人一家との交流が加わり、あわせて鯖にあたった妙子があの宝石商の3男坊の部屋で死にかけたり、この3男坊のほかに作った男が、耳の手術後が悪くて急死したり、ついには妙子がバーテンダーの子どもを身ごもったりと、さまざまなエピソードが続く。そのたびに周りは、家名を守るために汲々とする。

という話を、2段組の本で500ページ以上も読まされた。いや、読み始めたのは私の責任ではあるが、読後感としては

「読まされた」

というのが正しい。

幸子の1人称で書かれたこの小説は、確かに、名家の次女として生まれ、蝶よ花よと育てられた女の思考過程を、それこそ嘗めるように丁寧に叙述していく。幸子というフィルターを通した登場人物の心理描写も、これでもかといわんばかりに詳細だ。己の思考過程さえ充分に表現できない私は

「なるほど、みごとな文章力だ」

とは思う。
が、だ。だから何なの? 谷崎潤一郎といえばノーベル文学賞の候補者に挙げられたこともある。そして、「細雪」は谷崎の最高傑作といわれることもある。

文学って、純文学って、こんなに退屈なものだったのか?

私の評価基準が狂っているのかも知れないが、そう思ってしまう。

あ、そうね、文学、純文学をそこまで悪く言うと自分を裏切ることにもなりかねない。私、夏目漱石は大好きだし、芥川龍之介のカミソリの切れ味にも惹きつけられる。学生時代は高橋和巳にはまったし、野坂昭如の「火垂るの墓」には涙した。名作は幾つもある。

ということは、文学、純文学といっても、あれこれあるということか。

とにかく、「細雪」を読み終えた私であった。