2021
02.24

きびしくもアマチュア気質を重じて 2

音らかす

【電蓄の音六甲山に鳴る】
戦後やりくり算段して家が建った。今はもう空地などほとんどなくなったけれど、我が家が建った頃、六甲山のふもとの、文字通り野中の1軒家。夜ともなれば、狐が出てきそうな位真暗で、静まりかえっている。私がレコード音楽に再び興味を持つようになったのは、むしろ当然のことと言わねばなるまい。

5万円だったか、6万円だったか、よく覚えていないビクターのコンソール形電蓄である。クリスタル・カートリッジの付いた装置である。電蓄なんてものは、どれも同じような音が出てくると思っていた位であるから、まったく無知識窮まる話である。今から18年あまり前のことで、電気はさわるとピリッと来ること以外何も知らなかった。ご近所にえらく凝った装置を持っておられる方があると聞いて、出向いて行ったのが、この泥沼に足を突っ込むことになったそもそもの切っ掛けである。

自分でも時々感心する程凝り性である。その家で鳴っていたグッドマンのAXIOM-10、アルテックランシング802+511B、YLのトゥイーターの音を聞いて見ると、まるで我が家の音と違う。そうなると、今まで機嫌よく聞いていたのに、もう聞く気にならない。

なんとかならないものだろうかと言うことで、ビクターのサービス・ステーションに出向いて行った。

そこのO氏と気安くなり、近所のたこ焼き屋で、お茶の時間などによく落ち合い、たこ焼きをつつきながら、電気の手ほどきを受けるようになった。今から16年ばかり前のことである。以来、O氏のことをたこ焼き先生と呼ぶようになった位である。

【ステレオとたこ焼き先生とともに】
ステレオが世に現れ、立体音が幅を利かせるようなって来たために、せっかくグレード・アップした我が家のシステムも、大改造を余儀なくされてしまったわけである。まったく人騒がせと言う他はない。だから、私はこのごろ4チャンネルの話を聞くたびに、やーな感じがする。

ご時世とあらば、私ひとりモノラールでがんばっているわけにも行かない。おおいにものいりだったけれども、例の音の出る家具をきれいさっぱりと売り払ってしまって、とにかく間に合わせに、新しくステレオに、プリアンプをたこ焼き先生に作り変えてもらって、それにこれもたこ焼き先生と相談して、6V6のウイリアムソン・ウルトラリニアのプッシュプルのパワー・アンプ2台が我が家に持ち込まれたのは、それから間もなくのことだった。何しろ、今のようにアンプがゴマンと市販されていて、いろいろな本にオーディオ評論家が飯の種にあれこれ言っておられる時代とはワケが違う。スピーカひとつ(ステレオだから2ついるわけだが)入れるにしても、システム物など、そうやたらには市販されていなかった。

コスト・パフォーマンスを第1に尊ぶ私は、比較的手ごろな価格で入手できた。パイオニアのPM-10とPM-6を買って来て、やがて大口径のウーファを入れるようになるかも知れないと思って、ふたまわり大きな箱を作った。

ネットワークは人から特注品のセコハンを使うことにしたものの、ベラボーに大きなコイルである。直径が30cmのレコードくらい大きいものだったけれど、幸い箱が大きかったのですっぽり入り込んでよかったと言う話。誠にステレオとは厄介なものである。

3ウェイである。トィータも何とかしなければということになったが、良くしたもので、今では博物館にもないに違いないコットウ品、コーラルのHH-2010。いくらで買ったのか覚えていないけれど、前にモノーラルの時に分けて戴いた残りのかたわれを譲り受けた。今では、上杉佳郎氏のリスニング・ルームに、記念品として飾ってある。写真のチューナーの横に丸い形で顔を出しているのがそれである。

テープレコーダもステレオに入れ換えねばならない。ステレオとは誠にメーカーにとって都合の良いシステムである。4チャンネルであおり立てるのも無理のない話だ。ソニーのTC-263Dが値段の割に良さそうだ。SRA-3と合わせて、やむを得ず手に入れることになった。プリアンプは自作した。8年も使ったろうか、そのデッキも多少老化して来たので現在のティアック4010にとりかえたのではあるが……。

あとはプレーヤである。今でもその説に変わりはないが、プレーヤ・システムには金をかけなければいけない、というのが私の持論である。レコード・カッタと呼べるような品物で音を出したら、大切なレコードがいっぺんにオシャカになる。10枚駄目にしたら2万円である。そんなに注意していても二百数十枚になった私のコレクションの内で、数十枚はもう耳ではっきりひずみが解る程傷んでいる。と言って、同じものをもう1枚買うわけにも行かない。

プレーヤに金をかけよと言っても、ベラボーな値段の舶来品は私の性に合わない。あれこれ調べた上で、ニートのP-84が割合良くできているので、友人のお古を手に入れたグレースG240、パーフェクト・バランス・アームに合わせて箱を作った。

何事にも問題は付き物である。やっとのことでひと揃い出来上がったステレオ・システムに第1の問題が出て来た。G-240は首の抜けないタイプのトーン・アームだったために、友人等が持ち込んで来たカートリッジとの取り換えが大騒動。いかにも面倒な話で、小さなドライバを使って、取ったり付けたりしている内に、糸のように細いリード線が切れてしまったり……と言って、1台のプレーヤにトーン・アームを2本以上付けるのは余り感心しない。マニアと呼ばれる程、気違いじみてはいないつもりである。

仕方なく、G-445と買い換えたのはそれから3ヶ月位たってからのことだったように記憶している。残念ながらその頃にはアームが直線で、首をかしげたタイプしか12“ものにはグレースから出ていなかったのである。これもまた1年あまり後に、G545が出るにおよんで、とりかえる羽目になってしまった。まったくメーカーも罪なことをするものだとつくづく思ったものである。

その後、片手間とはいえ、一応基礎から真空管の理屈や、交流理論を勉強できたお蔭で、真空管の使い方について、なんて言う生意気な事柄に興味を持つようになり、自分でプリアンプの設計を始めてやって、でき上がったのがChriskit mark Ⅲである。ほんの少々だがハムが出たり、どうも広域がすっきりしない、などトラブルが多かった。

それも測定器という、ものさしがないためと気づき、とりそろえたのが次のものである。オシロスコープ(Heathkit 10-12)、オーディオ・ジェネレータ(Heathkit IG-72)、交流信号用ミニバル(トリオAG-100)、ひずみ率計(Heathkit IN Analyser)、真空管電圧計(Heathkit IN-17)、ディケード・レジスタンス(Heathkit IN-17)、キャパシティ・サブスティチュート(Heathkit IN-47)、ピークトラピーク・バルボル(Eico Model-323)である。

これだけ集めるのに4、5年もかかったろうか。なるべく銭(ぜに)を使わないで、とにかく使いものになるものを集めるのである。金持道楽とはちとわけが違う。

物差しが揃ったところで、苦心の名(迷)作プリアンプChriskit mark Ⅳができ上がった。ハムはほとんどゼロである。音質も大いに向上した。特性をとって見てもまずまずのできである。ついつい嬉しくなって、毎日まいにち、レコードを片ぱしから出したものである。

物差しの使いついでに、多少欲求不満の出ていた6V6ウィリアムソンに見切りをつけるために、渡米したついでにDynakit mark Ⅳ(6CA7PPウルトラリニア・モノラル)を2台買い込んできて、3日がかりで1台組んで見た。測定器を見たら、大いによろしい。舶来恐怖症の私が、ダイナコのアウトプット・トランスA-470にすっかり感服したものである(これはあとで間違いと解ったのだが)。