2021
02.27

世の中は……音は世につれ 世は音につれ……とよくいうが! マニアに進言する

音らかす

盗癖のことを英語でKleptomania(クレプトメイニア)と言う。つかまっても、つかまっても、盗み癖の直らない人のことで、一種の病気である。不幸にして、すりの友人を持ったことのない私は、つい指が動いてしまうと言われている心境について尋ねる機会がないが、困った病気だということだけは分かる。

私は何もここで泥棒の講義をするつもりはまったくない。採り上げたいのはmania(マニア)という言葉である。オーディオ・マニア、平たくい言えば“音キチ”、正しく訳せば、音につかれた悪癖を持った人ということになるか。

「マニアのために設計されたマルチ・アンプ・システム」てな具合の広告をよく見かける。癖(へき)という困った持病を持ったつかれた人のために設計された、ということか、するとこのメーカーは笑いが止まらないわけで、相手が馬鹿であろうが、キチガイであろうが、要は売れれば良い。そして儲かれば良いという寸法だ。

その上、さらにオーディオ・ショップよ呼ばれる電気屋さんが、それに拍車をかけ、音楽雑誌に評論家の諸先生が提灯持ちよろしく、何処そこのアンプはどうで、アメリカの何とかいうカートリッジがどうの、それこそ宝石をちりばめたような美辞麗句を並べて、宝石をちりばめたような音が出る、とおっしゃる。これも「めしのたね」であろう。私のような門外漢の口をはさむところではない。まったく人騒がせだとだけ言っておこう。

問題はマニアと呼ばれて良い気になっている人達である。剣豪小説家や、映画俳優みたいに、普通のサラリーマンより一桁多い収入があって、金の使い道に困っている人々ならいざ知らず、何十万円だかのアンプやスピーカを月賦で買ってこられる方々にいたっては、愚の骨頂と言わねばなるまい。マニアと言われてその気になっていながら、電気はさっぱり解らない。ついでに音楽も解らないとおっしゃる人々が、金さえ出せばオーディオ・マニアになれるだろうと考えたのか、電気屋と、宣伝雑誌におどらされ、締めて75万円也ののコンポーネントを月賦で買い込み、2DKの団地の四畳半に押し込んで、寝る所がなくなったり、奥さんが近所から苦情や嫌味なんぞ聞かされているなんぞはまったくアキレカエル。

文明は金で買えるかも知れないが、文化は金を出したからといって、自分のものにすることはできないものである。オーディオ・マニアと呼ばれて、教養と知性を金で買った気になっている人々は、成金趣味ならいざ知らず、お気の毒な話だと私は言いたい。

今までに百人を越える方々が、私の所に相談に見えた。ほとんどの方がいろいろなメーカー名やその型番をびっくりするほど知っておられ、どのカートリッジとどのアンプで何とか言うスピーカを鳴らすと良いそうですねという。雑誌の宣伝力もたいしたものだといいたい。そのくせこれ等の方々は電気や機械についてはほとんど知識を持ち合わせていらっしゃらない。その上音楽的な音についても比較的音楽会には行っていらっしゃらない。したがって宣伝を信じ、評論家の先生方のおっしゃることをうのみにする以外に方法がないわけだったのだろう。

漱石の坊ちゃんの中に、イカ銀なる骨董屋が出てくる。私は人の道楽を食いものにすることはみんなこのイカ銀だと思う。イカ銀だとして、法律を犯しているわけではない。だまされる(と言ったら叱られるかも知れないが)マニアがバカなんだ。

すこしばかり極端な例かも知れないが、ここにある壺があったとする。イカ銀の説明によると、それは紀州藩の何とかいう大名が愛用していた品物で、これがそれを証明する資料でゲスと言うことになる。なるほど200万円は安い。大いに買い物である。それを信じて大いに無理をして買い込んでながめたり、人に見せびらかしたりそれこそ家宝というべきであろう。

ところが、後日その壺が、ある大学の先生の目にとまって、ちょっとおかしい、と言うことになった。いろいろ調べてみたらニセモノじゃないかな、という始末。もしそれがニセモノだったとしたら、500円の値打ちもないことになる。

これは座っていられない一大事だ。

ステレオと壺を一緒にして申しわけないが、これと相通ずるステレオの話をしよう。いろいろ差し支えがあるので、A氏としておこう。ステレオ・ブームとあらば、A氏としてもステレオを持っていないとなると、文化人としての名にかかわる。早速買うことになったわけであるが、なるべく高級品、というより贅沢品でなければ面白くない。あれこれ考えたあげく、あるオーディオ・ショップを訪れた。私はその買物に立ち合ったわけではないので、どんな話合いのもとに品定めが行われたのか知らないが、カートリッジがシュアのV15マークⅡ、トーンアームがSME3012/Ⅱ、フォノ・モータがデュアル1219、アンプはマッキントッシュC-22と同じくMC-275。スピーカシステムがジムランシングのオリンパス・パラゴンを買わなかったのが不思議な位である。私がこの話に首を突っ込むことになったのはこうである。

ある電気屋さんが貿易屋である私のところに相談を持ち込んでおっしゃるのに、

「マッキントッシュMC-275を本国に送り返して部品を取り換えて、もう一度輸入するなんてことはできないものでしょうか」

「もちろんできますが、もう一度輸入税を取られますし、運賃も1台だけということになると、案外かかりますよ」

話を聞いてみると、MC-275に取り付けてある真空管のレッテルがめくれてなくなっているという。電気屋曰く

「あんな店で買うからこんなことになるんですよ、うちへ入って来るものは、みんな保証付きですからね」

どうやらその文化人、ケチをつけられてあわてたらしい。オール舶来の家宝が、ニセモノかも知れぬとあっては、血圧が上がるのも無理のない話だ。

あれこれ相談の上、とうとうそのプリアンプとメインアンプが売りに出されることになった。それから2ヶ月ばかり経ったのち、プリアンプの方だけが売れたということを耳にしたが、現在まだメイン・アンプの方は売れたとは聞いていない。

何でも、その問題のプリアンプとメイン・アンプを売りとばして、もう1度同じものを新品の保証付きということで買うつもりであったというが、まだそのままになっているから、スピーカとプログラム・ソースだけしかないので音は出ていないのだろう。

金で文化は買えなかったという一席、お粗末。何となく壺の話に似ていませんか?

カー・マニアと同じく、このオーディオ・マニアなる病気は、どうやら日本で一番たち悪く蔓延しているらしい。私は仕事の関係でよく海外を見てくるが、どこの国でもこんな気違いじみたマニアにはあんまりお目にかからない。

古典落語に、長屋のご隠居が、下手な義太夫を店子に聴かせる話がある。下手な義太夫なんぞどうでも良いのだが、というより、むし迷惑だとさえ思っているのだが、一杯飲めてご馳走にありつける、というんで店子の連中が駆り集められる話である。お世辞を言われて、下手な義太夫を唸もているのも、大きな楽しみに違いない。

奥さんこそいい面の皮、良くしたもので、いろいろお世辞を言われている内に、このご隠居の義太夫もまんざらすてたものではないわ、てなことになる。

締めて百万円近い装置を買い入れたとなると、新聞広告でもしたくなるもの無理はなかろう。

ちょいちょい、雑誌に原稿を書くものだから、よくこんな連中に相談を持ちかけれれる。

「先生とくる。お暇な折に、私の装置を聴いていただけませんか」

「何処か調子でも悪のですか……」

「いえ、大分良くなった様に思うのですが、どうも自信が持てないものですから」

謙遜も自慢の内だが、私はたいていの場合、こんな相談にはのらないことにしている。

そんな連中にかぎって、解ったようなことを言いながら、馬鹿でっかい4wayのスピーカの内、1本のターミナルがはずれかかっていて、音が出たり出なかったりしていることに気が付かないでいるものだから。

自称マニアどのまた誌上でお目にかかろう。

ラジオ技術 1971年8月号の記事です。