2021
05.09

いい加減な連中だな、IOC役員って。そう思いません?

らかす日誌

被爆地広島での聖火リレーを視察するため、近く来日するはずだったバッハ・IOC(国際オリンピック委員会)会長が、急遽来なくなった。

いや、私の個人的見解では、この男、相当に胡散臭い。オリンピックを金のなる木に仕立て上げ、テレビ放映権を高値で売りつけ、高額を支払うアメリカのテレビ局には何かと便宜を図る。2021年夏、東京オリンピックを何としてでもやるとい言い続けるのはその現れである。
それだけでも十分に胡散臭いのだが、あろうことか、習近平の中国に歩み寄り、北朝鮮にはスマイル外交を展開する。南北朝鮮の統一に役立ちたい、なんて言っていたような記憶がある。だけど、これ、いずれも「政治的中立」をうたうオリンピック憲章に背く行為ではないのか?
中国と北朝鮮はいまや、世界の問題国家である。人権を無視し、独裁政治を力で継続する。そんなところに

「IOCとしてお役に立ちたい」

なんて、政治的行動以外の何物でもないだろう。

いや、今回の来日予定にしたって、目的地は福島ではなく、開催地の東京でもなく、被爆地の広島だったことも十分に政治的選択である。

核兵器根絶

それは人類の悲願かも知れない。だが、いくら人類の悲願であっても、IOC会長が自らの行動で、核兵器廃絶という政治的メッセージを発信するのは、十分に政治的行動である。核兵器の扱いをどうするかは、ヒリヒリするような国際政治の問題なのだから。
目的がよければ政治的行動をしてもかまわない? いや、私はそうは思わない。
この人、核兵器を所有する中国、世界中から核兵器を手放せと言われても頑として受け付けない北朝鮮と友好関係を持つ。本当に核兵器を廃絶したいのなら、まずこの2つの国に

「手持ちの核兵器を処分しなさいよ」

と言ってみたらどうか。その上での広島なら、行動に一貫性がある。

しかし、バッハ会長の行動はご都合主義である。いってみれば、IOCの宣伝であり、自分自身の宣伝にすぎない。現状ではIOCの知名度を利用したパフォーマンス、いわばご都合主義と切って捨てねばならない。

そもそも、「政治的中立」とは相当な我慢が必要な姿勢である。モスクワオリンピックに参加しなかった国が日本を含めて多数あったり、黒人選手が拳を突き上げて人種差別への抵抗を表現したりするのが現実である。IOCがあらゆる政治的課題に距離を置くことは不可能だろう。
だが、世界には「正義」が乱立する。人権を押さえつけて1党独裁を続ける中国も、習近平が選び取った正義の道である。拉致した日本人を返さず、ミサイルの試射を繰り返し、核兵器を手放さないのは北朝鮮の正義である。中国、北朝鮮と違う正義を持私は、この2国をならず者国家と呼んだりする。それが世界の構造である。

さて、IOCはこのような世界で、「政治的中立」を宣言している。とすれば、出来るだけ政治問題から距離をとるしかない。どれか一つの正義に沿って行動すれば、政治的には中立ではなくなる。バッハ会長は、そんなことをチラリとでも考えたことがあるのか?

まあ、以上が私のバッハ嫌いの概要である。そもそもオリンピックを東京で開く意義を理解出来ず、その上バッハ会長を嫌う私であるから、彼が来日しようがしまいが、どうでもいいことである。

だが、今回の来日中止は、バッハ会長の、あるいはIOCのいい加減さをあまりにも明瞭に見せつけてくれたので無視出来なくなった。

そもそも、である。バッハ会長、IOCは、コロナの蔓延に歯止めがかからない日本、東京で、7月からオリンピックを開くといっている。ということは、世界中から選ばれたアスリートたちは、事前の体調作りを考えれば、そろそろ日本に来ることを強いられることになる。強いているのは、開催を譲らないバッハ会長、IOCである。

私が許せないのは、アスリートたちには日本行きを強いておきながら、バッハ個人は

「コロナが怖いので」

と来日を取りやめたことだ。アスリートたちには日本に行けと強制しながら、自らは

「やっぱり、コロナに感染するのは怖いもんね」

と来日しない。自らの健康には十二分に配慮しながら、アスリートたちの健康はほったらかし。これって、アスリートをIOCの奴隷としか考えていないことの現れだよね、と断じられても、彼らは反論出来まい。

いや、バッハ会長は訪日に固執したのだが、周囲が会長の健康を気遣って必死で止めたのです。そんな反論もあるかも知れない。でも、それだって構図は同じだ。
バッハ会長を引き止めた周囲にとって、会長は上御一人である一方、アスリートたちはコロナに感染してもかまわない奴隷に過ぎない。それがIOCの体質だと言うことも出来る。その前に、そのような周囲を選んだのは、ひょっとしたらバッハかも知れないし、人選に彼が関わっていないとしても、周囲の声に押されて来日を断念したのは、最終的にはバッハなのだ。彼の罪は免れない。

オリンピックとは、持てる力の限りを振り絞って競技に臨むアスリートたちのものである。その運営に携わる官僚たちのものではない。官僚たちは縁の下の力持ちに徹しなければならないのに、実は縁の下でオリンピックを支えるのがアスリート、その上に乗っていい顔をするのがバッハ会長を始めとする官僚たち。
そんな不思議な構図が出来上がっていないか?

様々な構図が見えてきたところで、改めて叫びたい。

くたばれ、東京オリンピック!