2021
08.03

数学で、日々情けない思いをしております。

らかす日誌

一念発起して始めた高校数学の勉強は昨日、対数を終えた。今日からはいよいよ微分である。

思い起こせば、私が高校数学の再学習を思い立ったのは、微分・積分を理解したいがためであった。
その昔、今はなき「デジタルキャスト・インターナショナル」、通称「デジキャス」で仕事仲間であったH氏は、キヤノンからの出向であった。彼は御三家の一画である麻布学園を卒業、現役で東大工学部に入る予定だった。彼が学園を卒業する昭和44年1月、反日共系の学生たちが東大の象徴とも言える安田講堂を占拠して立てこもり、押し寄せる機動隊と激しく闘った。

「立てこもった学生に東大生は少なかった」

などと東大生が揶揄されることもあったが、まあ、それは別の話である。最後は機動隊が制圧した安田講堂攻防から1週間ほど後(だったと思う)、東大はこの年の入試を中止すると発表した。H氏の前で、東大は突然門を閉じたのである。

彼はやむなく、東京工業大学に志望を変えた。しかし、ここには元元の東工大志願者に加え、東大という行き先をなくした東大理系志願者も押しかけた。

「麻布で30何番かにいたから、東大には通るはずだったんだよね」

というH氏が東工大に失敗したのは、急増した志願者のためであったと思われる。その結果、彼は上智大学に入る。

そのような経歴を持つH氏と、何故か私は波長が合った。

「だいたいさあ、新聞記者ってろくでもないヤツばかりだから、俺は嫌いなんだけど、あんたは余り新聞記者の臭いがしないからいいわ」

というのが彼の言である。新聞記者がどのような臭いを発しているのか。厳密に考えればよく分からない表現である。だが、何故か私は解るような気がした。多分、私は一風変わった記者だったのだ。あるいは、新聞記者の論理について行けない落ちこぼれ記者であったのかも知れないが。

東大には行けなかったが、彼が理系の知的エリートであることは間違いない。そのためだろうか、彼の言葉は一風変わっていた。

「俺さあ、イカは駄目なんだわ。テクスチャーが嫌でね」

イカの、どちらかといえばネチネチした歯触りが嫌なんだよ、を彼はこのような表現する。一度聴いただけではすんなり理解出来ない言語である。

その彼が頻発した言葉があった。

「あ、それは微分すりゃあ簡単に解決するんだよ」

「そんなときは積分しなくちゃ駄目!」

何も、職場で数学の話をしているわけではない。データ放送専門局であるデジキャスの仕事の話をしているのである。

「えっ、微分って何? 積分って何だっけ?」

私の頭は混乱した。高校で微分も積分も学んだ記憶はある。だが、仕事を微分する? 積分する? そりゃあいったい何のことだ?

彼は理系である。数Ⅲを学んだだけでなく、大学でもさらに先の数学を勉強したのだろう。
一方の私は文系である。数学は数Ⅱ・Bまでで数Ⅲはやっていない。ましてや大学課程の数学なんて、手を触れたことさえない。

「そうか、俺は文系だから彼のいうことが理解出来ないんだ」

というのが、どうやら根深いコンプレックスとして私に根付いたらしい。微分・積分を理解したい。数学を学び直そう、という執念は恐らく、そのコンプレックスに根を持つのである。

数学は積み上げの学問である。突然微分・積分に挑んでも、門前払いを喰わされるのは高校時代の経験でよく分かっている。
三池高校(福岡県大牟田市にある県立高校)で、1年生の私はそこそこ数学が出来た。たいして勉強はしないのに、中間・期末のテストでは決まって88点か92点であったと記憶する。

「あの程度の勉強(実は、宿題しかやっていなかった)でこんな点数がとれるのなら、3年になって勉強に集中すれば何とかなるだろう」

と楽観を決め込んでいた。
変化は2年製でやって来る。1学期の中間テスト、数学64点。期末テスト68点。計算ミスが重なったのではない。回答欄を間違ったのでもない。解らないのである。解き方が解らない!

田舎高校の中間テスト、期末テストでこんな点数しかとれないのでは先が思いやられる。大学に行けるのか? 私の人生の赤信号が灯って。切実に

「勉強しなきゃ」

と思ったのは、この時が生まれた初めてだった。

その年の夏休み。私は今や苦手科目となりかけた数学の克服に乗り出した。数学は積み上げが大事だと思った私は、目前の数Ⅱは無視し、本棚で埃をかぶっていた「チャート式数Ⅰ」を引張りだし、1ページ目から例題、問題を解き始めた。

クラブ活動(柔道)がない日は、毎朝8時にはチャート式とノートを開いた。エアコンなどない時代の夏休みである。当時住んでいたのは大正時代に建てられた馬鹿でかい古民家だった。これが我が家の本家である。庭に面して廊下が座敷の周りを走っていた。私が勉強場所に選んだのはこの廊下だった。一番風が通るところ、日が当たらないところに小机を持って行き、座る。1日に何度も場所を変えなければならないのは言うまでもない。

こうして私はこの年の夏休み、チャート式数Ⅰを最初から最後までやり通した。
2学期から、劇的に数学の点数が上がった。

「これなら、何とか国立大学を狙えるかも」

と思えたのは、チャート式数Ⅰと格闘したおかげだった。

いや、昔話にそれてしまった。
このような体験から、数学は基礎からやらねばならないと考える私は、まず、瑛汰の中学入試に付き合って算数に取り組んだ。解いた問題は、恐らく数千題に達するはずである。啓樹が中学生になると、中学数学もやってみた。ここまでは何とかなった。そして、啓樹の高校進学と同時に始めたのが高校数学である。
数Ⅰは、「場合の数、縦列・組合せ」を除けばそれなりに順調にこなした。チャート式数Ⅰの名残だろう。数Ⅱも最初はそこそこ取り組めた。そして、やっと対数まで進み、今日、「微分」の世界に足を踏み入れたのである。

しかし、なのだ。
ここまで辿り伝いにもかかわらず、私はやや呆然とし、情けない思いを噛みしめている。
高校2年の夏休みを過ぎてからというもの、数学はどちらかというと得意科目になった。テストの点数も納得出来るレベルに上がったし、問題を解くのを楽しんだこともあったように記憶する。
それなのに。

「えっ、こんな勉強したっけ?」

という思いに囚われ始めたのは三角関数からである。2倍角の公式、3倍角の公式、加法定理、三角関数の合成、和・差を積に直す方式、その逆
全く記憶にないのである。しかも、公式を自在に使いこなさないと、問題は解けない。こんなこと、高校でやったか?

指数関数ではさらに情けない思いをする。2-2とか、21/2などといった指数の使い方が、頭の中の何処を探しても出て来ないのだ。これは、数学の世界の約束事である。2-2=1/4であり、21/2=√2としても、数学のほかの約束事と矛盾せず、便利に使い回せるから生まれた約束事なのだ。その約束事を知らなくては、車は左、人は右といった約束事を知らずに町に出るようなものである。安全、安心は約束出来ない。
はあ、私はイロハのイも解らない無知な人間なのだなあ、というわけだ。

対数になると、もっとことは複雑になる。logで表される対数も、数学の約束事の一つである。log24=2という基本の約束事を知らねば、一歩も先に進めない。そして、これも私の頭に記憶のかけらが全く落ちていなかったのである。

そして微分。極限値ぐらいは何となく解ったが、平均変化率、微分係数、導関数と来ると

「??????」

ひょっとして、微分の教え方が私の高校生の時とは変わった? 高校時代は完璧とはいわないが、それなりに微分の問題も解いていたはずだが、こんな言葉、全く覚えていない……。

というわけで、私の数学修行は情けなさが友である。まあ、私の高校時代といえば、すでに半世紀以上前のこと。それ以来、三角関数、指数関数、対数、微分などとは完璧に無縁な暮らしを続けてきたのだから、当時蓄えた知識がひとつ、またひとつと忘却の彼方に消えていっても仕方がないのだろうが、繰り返しなるが、なんとも情けない。

もう一つの情けなさは、記憶力の衰えである。公式と呼ばれる約束事は、高校時代の私にとってはいつでも取り出せる知識であったはずだ。それが消え去ったとなると、再び知識箱に入れたいものだが、私の知識箱は随分小さくなったようで、公式がちっとも頭に残ってくれない。
そこで、私は決断した。覚えるのはやめよう。公式は公式集で見ればよろしい。私に必要なのは、

「確か、こんな公式、約束事があったはずで、それを使えばこの問題は解けるのではないか」

という判断力を身につけることであると思い決めたのである。それが大人としての対応ではないか? 本を開けば解ることを記憶する必要などない!
おかげで、使用中の参考書「Focus gold」の付録であった「高校数学公式集」は我が座右の書となって久しい。

今日は繰り言を書いてしまった。

7月末から8月はじめにかけるこの時期は、統計上は1年で最も気温が高い日が続く期間であると聞いたことがる。暑さにめげず、熱中症にもならず、加えてコロナを寄せ付けない日々を送られるよう祈念する。