2021
09.27

映画にもお国柄があるようです。

らかす日誌

このところ、1日に3本から4本の映画を見ている。

「まあ、優雅な生活を!」

そうではない。目的を持った時間の使い方である。

毎月10本前後の映画をWOWOW、NHKのBSP(多分BSプライム、と読むのだろう)から録画する。
かつては録画した映画はすべてディスクにダビングし、保存していた。これが、我が家に積み上がった映画コレクションが膨大になった原因である。レコーダーの内蔵HDDには限りがあり、録画したまま放っておけばすぐに満杯になる。といって、俸給をいただいて仕事をしていた頃は、録画してすぐに見る時間はない。だから

「いずれ見る」

とどんどんディスク化していたのである。

「これはいかん」

と思ったのは、我が家の棚がブルーレイディスクで埋め尽くされそうになったからだ。これ以上ディスクを増やし続ければ、いずれは部屋中がディスクに埋もれて寝る隙間もないという状況になりかねない。であれば、録画したものはまず見る。見た上で、残す価値があると思えるものだけをディスクにダビングする。幸い、いまは私を縛るのは私が結んだ約束だけである。あとの時間は我が物だ。内蔵HDDに入った映画を入浴前に見る。こうすればディスク代も助かるから、一石二鳥である。
こうした映画視聴は、毎月10本録画するとすれば、3日に1回は実行しなければならない計算である。これが1つ目の目的だ。

2つ目は、すでにディスク化した映画の選別である。
もともと映画の収集を始めたのは

「60歳を過ぎて定年になれば、何もやることがなくなる。暇つぶしには映画がよろしい」

と考えてのことだった。そのため、とにかく手当たり次第に映画を録画し、ディスク化した。1日に3本の映画を見れば、1年で1000本見ることになる。余生が20年あれば2万本の映画が必要になる計算なのである。

気が付いてみると、私はすでに定年を過ぎていた。現役時代に比べればはるかに時間のゆとりが生まれた。そろそろ映画の消化を始めて、繰り返しみたい映画と1度見れば十分な映画を区分けしてもいい頃合いではないか。

そう思い始めたが3年ほど前である。それから狂ったように映画を見始めた。当初は現役時代の習い性を引きずっていたのか、昼間に映画を見るのは何となくはばかれた。何となく、人生をサボっているような気がした。しかし、今はもう遠慮無しである。昼間は新たに録画した映画を見、夕食が終わるとディスク化してある映画を消化する。

こうしてここ数年で、3000本以上の映画を棚から外した。毎日の映画鑑賞は、まだ「楽しみ」とは呼べない。映画を楽しむための準備作業、いわば労働なのである。これを「優雅な暮らし」と呼ぶことを、私は許さない。私の映画鑑賞は、もっと切実なものなのである。

すでに、ハリウッド映画は整理を終え、1400本ほどは棚からどけた。日本映画は389本を外したところで中断し、いまは諸外国の映画の整理を進めている。英国、フランス、ドイツ、イタリア、中国、韓国、ロシア、と作業は進み、現在は欧州映画、もっと小分けをすればスペインの映画を見まくっている。

まあ。元元は私が

「いつかは見よう」

と思って選択し、録画してディスク化したものである。だから、一度私というフィルターを通ってきた映画だから、こんなことを書くと天に唾することにもなりかねないが、

「下らぬ映画のなんと多きことよ」

というのが今のところの感想である。全く、これだけのブルーレイディスクを買うのに、いくら使ったと思ってるんだ? と口に出てくるのが情けない。
1日3本の映画を見て、保存に値するものが1本あるのは珍しいことである。昨日も3本見て保存に値するものは1本もなかった。こんな映画を作った制作者を罵るべきなのか、己の選択眼を恥じるべきなのか。

それでも、これだけ見ていると、映画を通じて何となくお国柄が見えてくるような気になるのが唯一の取り得か。

日本の映画は戦後、黄金期を築いたと思う。中核になったのは黒澤明、私はそれほど好きではないが、小津安二郎成瀬巳喜男といったところか。おっと、「裸の島」を撮った新藤兼人も忘れがたい。黄金期の作品群は海外にまで影響を与え、小津映画は広く研究されたし、スティーブン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカスが黒澤明に敬服したのは広く知られていることである。
しかし、現状は喜べない。時折佳作は出てくるものの、おおむねはタレントの人気に頼った薄っぺらな映画だ、というのが私の見立てである。登場する人物は陰影がなく、軽薄な言動だけが一目について見るに堪えないものが多い。
たまたま今日見た「新解釈・三國志」ももひどい映画だった。日本映画ではあるが、タイトルに惹かれて録画したのだが、これ、徹底的な「三國志」のパロディ、といっては褒めすぎか。
劉備玄徳は何の理想も持たない愚人で、酒の勢いで

「俺さあ、天下を平定しよう、なんて思っちゃってるんだよね!」

と口走ったのを関羽と張飛が聞いてその気なり、嫌がる劉備を引きずるようにして天下取りの旅を始める。
劉備の知恵袋と言われる諸葛孔明は口先だけの営業マン。自分を売り込むことに欠けては天才的だが知恵はなく、数々の武勲のもととなった戦略は、実は彼の妻の頭から出ていた。
呉の孫権は、全くのノータリン。人の話をよく聞くと言えば聞こえはいいが、人の話に乗ることしか出来ない男である。そして魏の曹操は、単なるやんちゃ坊主。
これらの主役たちが、現代語、それもいまの青少年の日常語であるスラング交じりの日本語でやりとりするから、聞き苦しいことこの上ない。
これでパロディが成立するか? 視聴者は三國志を笑って(これで笑える人だけだが)、いったい何を手に入れるのか? 出演している役者さんたちがなんだかかわいそうになる映画である。
今の日本は低空飛行を続けてちっとも澄み切った青空が見えない。私が、ほとんど日本映画を見ない理由である。

ハリウッド映画は勧善懲悪が好きである。物事を善と悪に単純に二分し、正義が悪を粉砕するのを好むのがアメリカ人の共通項らしい。そういえば、世界中に「悪」を見いだして正義の戦争を仕掛ける国がアメリカであった。
お涙頂戴物もうまくこなし、ミュージカル映画では他を寄せ付けない。ただ、あまりにも映画作りがうますぎて、見ている私が何となく踊らされているような気になる。

「ほら、ここにこんなエピソードを入れ込めば、あんたは面白いと思い、感動するだろ?」

と言われているような気になるのは私の中に住み着く天の邪鬼のせいか。
無論、箸にも棒にもかからない駄作が数多く見られるのは、他国と変わりない。
おっと、上に書いたような悪口を寄せ付けない秀作が沢山あることもつけ加えておかねば公平性を欠く。

英国映画は、何となく落ち着いている。現実を見据えているとも言える。その分、ハリウッド的な盛り上がりに欠ける嫌いはあるが、傑作も多い。お勧めは「ヤング@ハート」「縞模様のパジャマの少年」。最近見たものでは「フィッシャーマンズ・ソング コーンウォールから愛をこめて」「輝ける人生」「ジョーンの秘密」などが見応えがあった。

フランスは、エスプリの国なのだろう。しゃれた台詞が頻出するような映画が多い。ただ、エスプリとは文化の背景があって初めて受け取れるものである。フランスのエスプリは、日本の文化で育ってきた私が理解するのは難しい。だからだろうか、見終わるとなんだか突き放されたような気がするものフランス映画の特徴である。
そのためだろうか、以外に記憶に残る映画が少ない。無心で楽しめる「TAXi」シリーズは私の好みなのではあるが。

イタリアは、軽妙さが際立つ映画(例えば「ライフ・イズ・ビューティフル」)と、重厚な映画(「ルートヴィヒ 神々の黄昏」「ひまわり」)が混在する国のような気がする。そして、何故か私の感性にフィットする映画が多い。

「女を見たら口説け。それでハッピーになる人はいても不幸になる人はいない」

というイタリア男の哲学に共感する私だからか?
あまり知られていないようだが、366分の大作「輝ける青春」は名作に数えたいし、第2次大戦後の時代を背景にした「屋根」も私の推す1本である。

中国は年々、映画のレベルが下がってきたように思う。かつては「初恋のきた道」のチャン・イーモウ監督を中心に、素晴らしい映画を作っていた。ところが、そのチャン・イーモウ監督が、アジアが誇る美人女優チャン・ツィイーにワイヤーアクションで武闘をさせ始めた頃から、なんだか調子がおかしくなった。かつて我が家には130本を超える中国映画が保管されていたが、いま棚に並ぶのはわずかに18本。あとは

「再見するに値せず」

とお蔵入りにした。
どうしちゃった? 中国の映画界……。

韓国映画を特徴付けるのは、南北分断の現実である。その中から「シュリ」のような名画が生まれた。「シルミド/SILMIDO」もその流れである。
南北分断のもと、強権的な政治が続いたことも韓国の映画人を刺激したのだろう。「光州5・18」「タクシー運転手 約束は海を越えて」など民衆が権力に「ノー」を突きつける作品群も是非見ていただきたい映画だ。
そして、軽妙さ、おどけも多用される手法だ。最近の日本映画の軽薄さとは一線を画した軽みがある「猟奇的な彼女」はわたしの好きな1本である。
あ、「おばあちゃんの家」を忘れちゃいけないなあ。これは素晴らしい映画です。
こんな作品群を産み出す韓国が、相手が日本となると(私の目から見て)おかしくなっちゃうのは何故なんだろう?

ロシアはかつての映画大国である。「戦艦ポチョムキン」は映画の古典中の古典として今でも評価が高い(私はそれほど面白いとは思わない)し、「ストライキ」「全線」など、ロシア革命初期に制作された一群の映画は、今見ても当時の革命ソ連の熱気が伝わってくる。
それに引き換え、ロシアになってからの映画はいまいちぱっとしない。何となくハリウッド映画の亜流のようで、亜流である以上、本家を越えるどころか本家に並ぶことも出来ず、かなりの数が我が家ではお蔵入りとなった。
だが、「スペースウォーカー」は楽しめた。世界で初めて宇宙遊泳を実行したボスホート2号に乗り込んだ2人の宇宙飛行士の話である。

とロシアまで整理が済んで、いまは欧州編である。見始める前は100本ほどの映画があった。いま残りは27本である。まだ見ていない映画が15本あるので、最終的にはもっと減る。
欧州に分類したのは、ポルトガル、イスラエル、粋押す、オーストリア、ギリシャ、オランダ、ベルギー、アイスランド、アイルランド、それにスペインの諸国だった。総じて言えばレベルが低い。脚本がしっかりせず、話の流れがつまらない、あるいは突拍子もない流れになってついて行けない。ために、ほとんど討ち死にし、お蔵入りとなった。
中で健闘しているのはスペインである。すでに7本が残留を決めた。フランコ独裁政権は深い傷をスペインに残しているようで、「ペーパーバード 幸せは翼にのって」は独裁政権に圧力を受ける喜劇役者と孤児の心の通い合いを描いた秀作だ。「蝶の舌」もフランコ時代を描き、人の信念と弱さを描いて素晴らしい。
スペインの映画はあまり接する機会はないだろうが、機会があれば是非見ていただきたい。

とまあ、勢いのにって書いてきたが、私の鑑識眼にはあまり自信がない。単なる、私の好みの反映であり、なぜ私がそのような映画を好み、あのような映画を好まないかの基準がよく分からないからである。
よって、ここに書いたものは読み流していただきたい。その中で、一つでもあなたに引っかかりを感じていただけたものがあれば幸いである。