2022
05.22

今日は私の誕生日です。73歳になりました。

らかす日誌

本日をもって73歳となった。そう、今日は私の誕生日である。

73回目の誕生日に何をしたか。
朝、8時過ぎに目を覚まし、新聞を読み、朝食(ご飯、イワシの丸干し、味噌汁、漬物、新タマネギの和え物)のあと洗濯物を干し、パイプを20分ほど。パイプ片手の読書は、「松下竜一 その仕事 22 狼煙を見よ」。

終えて仕事である、
仕事で書いた原稿4本をWebに予約投稿し、他の3回連載の原稿の2回目に呻吟する。

昼食。冷やし中華と赤飯。私の祝い? 別に目出度くはないのだが。

パイプ。「狼煙を見よ」46ページまで読み進む。三菱重工爆破事件の犯人、東アジア反日武装戦線の大道寺将司を、大道寺の立場から追うルポルタージュである。

終えて再び原稿に向かい合う。何しろあなた、いま書きつつあるのは紗織り(しゃおり)とか絽織(ろおり)とか、いってみれば機屋さんの最高難度の仕事を文字化しようという無謀な試みなので、原稿は遅々として進まず。余りにも複雑な織り方で、図解を試みるが、さて、完璧に絵心のない私にどんな絵が描けるというのか? だが、図で示さねば何とも説明のしようもなく、定規とコンパスを持って描いては見たものの……。
きっと何度も描き直すことになるのだろう。描けたら写真に撮って

「何とも不細工な絵ではあるが、ごめんなさい」

と注釈をつけて掲載することになるだろう。多き人生である。

そういえば、先週は木、金と飲み会が続いた。流石にこの歳になると、飲み会の連チャンはやや応える。1日目は11頃帰宅し、WOWOWで放映中の中国ドラマ「始皇帝」の49回を鑑賞、その後バタンキューと寝た。
金曜日は10時半頃帰宅し、ドラマの第50回を見て12時過ぎに布団に入ったものの、なかなか寝付けず七転八倒。考えてみれば木曜日のバタンキューで金曜日のめざめが8時過ぎになり、寝過ぎていたらしい。
というわけで、昨日は寝不足状態で目覚め、だから

「今日はすぐ眠れるだろう」

と期待したものの、眠りはなかなか訪れず、おかげで今日も8時過ぎの目覚めとなった。二日酔い、ならぬ二日寝不足、である。それでも今日の私は事をしようと机の前に座る。
あんたはは偉い! とは誰も言ってくれないので、自分でここに書き記しておく。私は偉い!

さて、73歳とはどんな年齢か。
見た目はたいして変わりないらしい。5日ほど前、取材で初めてお目にかかった方に

「いま72歳、間もなく73になります」

と自己紹介したところ、

「えっ60歳ぐらいかと思っていたのに」

と驚かれた。

「そうですか。60歳のころは『銀座に行けば38歳で通る』と言われてました」

と軽いギャグで返したのだが、どうやら私は、見た目は若々しいらしい。

「姿勢がいいからよ」

といってくれた女性、いや昔の女性もいらっしゃったが、そんなものか。

しかし、体は確実に齢を重ねている。
腰は相変わらずである。薬は飲み続けているものの、さて効き目があるのかないのか。朝の起きしなが最悪である。腰の筋肉が突っ張って前かがみがきつい。1時間も動いていればほぐれては来るのだが。

「さて、人の最後は必ず寝たきりになるものである。この腰で寝たきりになれば、死が訪れるまでにどれほどの腰の痛さに苦しむことになるのか」

とはいまからの懸念である。取り越し苦労に終わってくれればいいのだが。

右肩も相変わらずだ。自ら「ギター肩」と名付けた痛みは、ギターに触らなくなって久しいのに去ってくれない。

通い慣れた整形外科医によれば

「60歳を過ぎて何処もいたくない人はいません」

ということだから、まあ、これも受忍限度内か。

足元も危うくなってきた。加齢に加え、桐生での歩かない日常が12年を過ぎ、歩く習慣がほぼ途絶えたためだろう。まあ、3、40分歩く(先週木曜日は、飲み会に出るために街中まで歩いた)のは平気なのだが、時としてバランスがおかしくなる。膝やくるぶしが痛むこともある。歩くことが少ないのが最大の原因だろう。
そう思うと、平地である横浜の自宅に戻り、犬を飼って朝夕の散歩を日課にしたい、と願わずにはいられない。

記憶力の衰えも著しい。読書をしても、余程強い印象を受けた箇所を除けば、いや、余程強い印象を受けたところですら、読んだ本の中身を片っ端から忘れていく。

「読んだな。何が書いてあったんだっけ?」

てなものである。
いまの本の前に読んだのは、同じ松下さんの「松下竜一 その仕事 21 私兵特攻」である。1945年8月15日、天皇の終戦の詔が出た後で大分の飛行場から特攻に飛び立った飛行機があった。その関係者を取材したルポである。
程度のことしか残っていない。

「だったら、読書なんて無駄じゃないか!」

とはおっしゃいますな。私はすでに受験生ではない。読書の目的は記憶することではないのであります。

目もかなりやられてきた。
つい先頃、中近の眼鏡を新調した。中近とはおもにパソコンで仕事をすることを主眼を置き、近くと中ぐらいの近くをはっきり見るための眼鏡だが、これをかけても時としてパソコンの画面がぼける。
小さい活字にもトンと弱くなった。時に天眼鏡を取り出し、拡大しなければ見えない情けない目になったのである。
40過ぎまで、視力1.2から1.5を誇っていた私の目の末路がいま展開中である

さて、73歳の現状を書き連ねた。まあ、誰もがたどる道であるわ。私の体と頭。これからも付き合っていくしかない。

啓樹、瑛汰、璃子、嵩悟が夜、Happy Birthday電話をくれた。
高3の啓樹は大学受験準備中。

「来春、2人で美味い酒を飲もう。ボスがほしい誕生日プレゼントはそれしかない」

中高一貫校で4年生(普通なら高校1年生)になった瑛汰は、三角関数に悩んでいるらしい。

「2倍角、3倍角とかの公式の丸暗記はするな。原則から自分で導き出せるようになりなさい」

とはボスからのアドバイスである。ついでに

「瑛汰、たまには電話をくれないとボスは寂しいわ」

6年生の璃子は中学受験準備中。何でも、下見に行った中高一貫校の帰り道、素敵なパン屋さんを見つけたらしい。

「パン以上、ケーキ未満の味で、とっても美味しかった」

そうである。

将来、NASAで働きたいという嵩悟も6年生である。受験勉強に取り組むお兄ちゃん(啓樹)を四日市に残し、連休中に親子3人で相模原に行ったらしい。航空宇宙関連の博物館があるそうで、

「この飛行機が格好良かった」

と、Face Timeでたくさん写真を見せられた。昔に比べれば顔を含めて全体がふっくらしてきたから、きっとたくさんご飯を食べているのだろう。

「いっぱい勉強しなければNASAには行けないぞ」

とは、私がいわなくても周知のことだろうが、やっぱり口に出る。ボスとはそのような存在であるらしい。

というわけで、これから1年、初対面の人には

「73歳です」

と自己紹介しなければならなくなった。鬱陶しいことである。