2022
07.18

朝日新聞が、安倍元首相狙撃事件へ解釈を変えたようです。

らかす日誌

安倍元首相狙撃事件を受けて

「銃弾が打ち砕いたのは民主主義の根幹である」

と書いた朝日新聞が路線変更を図っているようである。
今日の朝刊に東大教授の宇野重規氏の登場を願い、

「新聞や政治が示し合わせたように『民主主義への挑戦』と表明したことに違和感がある、というのは自然な感覚だ」

と語らせた。

「誰が何に対して挑戦したのか、はっきりさせないで使う民主主義という言葉は、中身のないクリシェ(常套句)になっていないか」

とも宇野教授は語っている。

あの日私が感じた違和感に後ろ盾が出来たようで、なんだか心強い。

ところが、ここから先になるとやや私の見解とは違う。宇野教授は

「個人的な一種の逆恨みであり、アクシデントだから、政治的な問題ではない、民主主義とは関係がないとする考え方は、非常に表層的。そうした理解には異議を唱えたい」

とも述べている。
ん? 私、宇野教授に叱られているのか? それとも、朝日新聞が宇野教授のを借りて負け惜しみをしているのか?
なぜ私の違和感は表層的なのか? と思って先を読み進んだ。

飛んで、宇野教授に半ば同意し、半ば

「そうかあ?」

と思った。
同意したのはこんな発言である。

「ひと昔前なら社会集団の問題、たとえば労働者の問題として、みんなで集まって解決に向け、行動することができた。でも現在は、同じような境遇の人がたくさんいるのに、連帯のしかたがわからず、社会の力で解決していく道筋が見えない。まして投票や選挙によって解決できるとは思ってもいないでしょう」

そう、それは確かである。狙撃犯は自分と家族が被った被害を被害者同盟や裁判、選挙での投票で回復できるとは思わなかった。いや、思えなかった。被害者を救済する手立てが何処にもない。確かに、今回の事件はいまの民主主義社会の病理の現れである。
そこには全く異論はない。単なる個人的な怨恨だけではなく、社会の病理を読み取るのは流石に東大教授である。
だから、

「銃弾が打ち砕いたのは民主主義の根幹である」

は正しいと思わないが、狙撃犯を犯行に追い込んだのは、あらゆることを言論で決着するための制度である民主主義が制度疲労の現れというのには完全に合意する。自分の声は、思いは、何処にも届かないから、銃に訴えるしかないという狙撃犯の追い詰められた思いの背景には機能しなくなった民主主義があることは間違いない。

だが、この発言はどうだろう?

「なによりもまず、安全の回復が急務です。自分の意見を言っても危害を加えられることはないという、民主主義の基盤が揺るがされています」

うーん、これ、

「銃弾が打ち砕いたのは民主主義の根幹である」

に戻ってないか?

安倍元首相は、何かを発言したから狙撃されたのではない。狙撃犯が恨みを持つ旧統一教会と親しい関係にあったかから狙われたのだ。何度も書くが、狙撃犯は安倍元首相の言論を、政治的発言を抹消する目的は持っていなかった。安倍元首相は旧統一教会との関係していなかったら、自分の意見をどれほど語ろうと狙撃されなかったはずなのだ。

と読み解いてみると、朝日新聞の路線変更もなんだか中途半端に思えてしまう。皆様はいかがお考えだろう?

にしても、旧統一教会ね。私には「勝共連合」という名称の方が親しい。大学生時代、新左翼の学生が横行するキャンパスに、「勝共連合」を名乗る連中が頻繁に姿を見せ、新左翼の学生とよく論争をしていた。
左翼ではあっても、まだマルクスの勉強が進んでいなかった(それは今も同じだが……)私は、専ら傍聴者になるしかなかったが、彼らは全ての交換価値は労働が生み出すというマルクスの理論に対し、

「10人がかりでやっていた仕事が、機械を入れれば1人でできるようになる。価値の源泉は労働だけじゃないでしょう。機械が価値を生み出す時代です」

という理論を繰り返していた。
左翼の活動家が

「導入された機械も労働者が作ったものだよね。だから、価値の源泉はやっぱり人の労働しかないんだよ」

などと反論しても、同じ主張をクリア消す。ましてや、人が変わっても同じことしか言わない。彼らは、

「ああ、この人たち、洗脳されちゃってるわ」

という印象しか与えなかった。

マルクスを否定してもいい。否定するために勉強を重ねるのは素晴らしいことだ。だが、そのような勉強を重ね、それを自分のものに消化していく過程を通れば、1人1人の考えは微妙に違ってくるはずである。それを経て初めて有益な議論ができる。どんな反論をされても同じ主張を繰り返す彼らは、議論の仕方を含めて、丸暗記で対応しているとしか思えなかった。返って来た反論が暗記した中になければ、同じことを繰り返すしかない。

それからずいぶんたって、東京・秋葉原では、統一教会の募金収集人がたくさん立っていた。

「〇〇の支援にご協力を!」

などと、署名簿をさしだし、署名を求めるとともに金を出せという。

「出してもいいけどさ、出した金がその人たちに届く保証は何処にある? いくら集めて、何処にいくらずつ支援したという報告はもらえるのかな?」

と問いかけると、答が抽象的になったり、横を向かれたり。彼らも統一教会に洗脳されていたのに違いない。
そして、狙撃犯の母親も洗脳されて、自らの暮らしが崩壊するのの顧みず、1億円という巨額を上納していた。

宗教には言いたいことが沢山あるが、今日はこのあたりにしておく。