2022
10.22

皆さん、どこで探し当てていらっしゃるのでしょうね?

らかす日誌

桐生市から西武ライオンズの選手が誕生する。今年のドラフト会議で西武から1位指名された蛭間拓哉さんである。
桐生市の相生中学から高校は埼玉県の浦和学院に進み、早稲田大学では12本のホームランを放って「大学NO1野手」の名をほしいままににした。入団交渉はこれからだが、蛭間さんにとって西武ライオンズは

「いちばん入りたかったチーム」

だそうだから、入団は間違いないだろう。来春からの活躍が楽しみである。ひょっとしたら数年後にはメジャーリーグに進み、大谷投手の球を外野席まで運んでくれるかも知れないとの期待も膨らむ。

と、ひごろ余り関心がないプロ野球のことを書いたのはほかでもない。ドラフト会議の結果が出た昨日、私が他のサイトで書いた記事にアクセス巣が集中したからである。

刈り取る 蛭間シャーリング

という記事だ。
実は、蛭間さんのお父さんはシャーリングという仕事をしている。シャーリングとは「刈り取る」という意味で、糸の一部を刈り取ることを前提に織った布の、刈り取るために折り込まれた糸を、文字通り刈り取る仕事である。
刈り取るための糸は普通緯糸(よこいと)で、刈り取る部分は経糸(たていと)と交差せずに浮いている。その浮いた緯糸を切断してばらばらにし、巨大な扇風機で上から吸い上げ、立ち上がったところを刈り揃えるのである。布の表面にビロードのような肌触りが生まれる。普通のタオの表面は糸が「∩」の形になっているが、これをシャーリングという一手間を加えると「ll」になって肌触りが柔らかい高級タオルに変身する。

面白い仕事だと思って取材をお願いし、原稿にした。蛭間シャーリングを知りたければ、おおむねのことは分かっていただけるように書いたつもりだ。

しかし、私が書いたのは拓哉さんの父、蛭間昌久さんが経営する会社の話である。取材の過程で拓哉さんの話は聞いた。小学生の頃から野球に非凡な才能を現した拓哉さんを、昌久さんは野球の名門。浦和学院に送り込んだ。3年生の時は甲子園でホームランを放ち、プロ野球球団からの誘いもあったが、もっと大成させたいと早稲田大学に進ませた。確か一昨年、慶応との優勝決定戦で1点を追う9回、2点ホームランを放ってヒーローになった話も、その時伺った。
普段野球に興味を持たず、6大学野球なんて

「そいういえば、そんなのもあったな」

程度の認識しかない私のことだから、この時話を伺っていなければいまだに拓哉さんは私の関心の遙か遠くにあったことは間違いない。

だが、である。その時の私は蛭間シャーリングについて取材をし、蛭間シャーリングを紹介する原稿を書いただけである。拓哉さんは蛭間シャーリングの仕事には一切関係がない。だから、拓哉さんの話は伺ったが、原稿には一切拓哉さんは登場しない。
それなのに、蛭間シャーリングの記事へのアクセスが急増した。みんな、いったい何処で検索してこのページにたどり着いたのだろう?

不思議に思い、「蛭間拓哉」でググってみた。ウィキペディア、週刊ベースボール、早稲田大学野球部、いくつかを覗いてみたが、拓哉さんの野球人としての紹介はあっても、父・昌久さん、実家である蛭間シャーリングに触れた記事は見付からない。「蛭間 桐生」で検索しても、新聞やNHKのページに行きつくだけで、やっぱり蛭間シャーリングは登場しない。

皆さん、どんな検索語で探してこのページにたどり着いたのですか? 検索が下手な私に、検索のコツを教えていただけませんか?

昨日、父の昌久さんに電話をした。1年半か2年ぶりのアクセスである。

「良かったですねえ、子どもの頃からの夢が叶って」

とお祝いを申し上げた。昌久さんは

「いや、本当によかった。おかげで昨日飲み過ぎて、今日は身体の調子が悪いんだが、でも嬉しいですよ!」

と喜んでおられた。
ドラフト会議の後も、まだ6大学野球が開催中で拓哉さんは帰宅しておらず、

「そうねえ、戻ってくるのは12月になってからかなあ」

だそうだ。蛭間さん親子揃っての祝杯はそれまでお預けのようである。