2023
01.27

明日、最初のセカンドオピニオン(というのはちょっと変?)を聞きます。

らかす日誌

流石に自分のことである。がんが見つかってから私の暮らしが少し変わり始めた。

青嵩の服用を始めたことは前回書いた。毎日昼前後に1リットルの水にひとつかみの青嵩を入れ、30分ほど煮出す。漉し器で青嵩を取り除き、残った500ccほどの煎じ薬を3回に分けて飲む。

重曹の服用も始めた。調理用の重曹を買い求め、まず嘗めてみた。

「とてつもなくまずい」

というのがS院長の話だったが、それほどでもない。口に入れると塩味を感じる。
1日目は寝酒に飲むウイスキーに注いだ。ほとんど溶けず、グラスの底にたまった。グラスをグルグルと回し、勢いを付けて口に流し込むのだが、なかなかグラスの底を離れてくれなかった。失敗である。が、ウイスキーに少しばかり塩味が混じったので、いくらかは体内に入ったはずである。
2日目は前日を反省、湯を沸かしてまず重曹を溶かし、ウイスキーのお湯割りにした。3日目である昨夜も同じである。

重曹はアルカリ性の食品だ。ガン細胞は酸性の環境を好み、アルカリ性になると勢いを失うそうだ。これまで我が世の春を謳歌していたはずの我が前立腺がんも多少は辛い目に遭っているに違いない。

入浴時には、掃除用の重曹を浴槽に入れ始めた。これも体質をアルカリ性にするためである。S院長の奥様がアルカリ温泉欲でがんを克服されたそうだから、湯治に行く気がない私は、この方法でやってみる。

今日、びわの種の粉末が届いた。約20日分で3600円。スプーン大盛りを、1日に2回服用する、と説明書にあった。見た目はきなこのような粉末である。素直に従って、スプーンですくったこの粉末を口に入れた。おっと、こいつはとんでもない味だ。むせそうになった。何かに溶かして飲んだ方が無事である。夜は湯でといた。相変わらず青くっさが混じったひどい味だ。

びわの種の粉末の(「の」が3つも重なってみっともない文章です。ごめんなさい)主成分はがアミグダリンであることはすでに書いた。がんにびわの種、は決して民間信仰ではなく、世界で研究されている抗がん薬なのである。2020年には、前立腺がん細胞のアポトーシスを引き起こすとの報告がある。乳がんについては2016年、2019年、2020年、2021年と報告が相次いでいる。

ということで、私はがんとの戦いに始動したのである。

それだけではない。がんの糧道を断つ作戦も着々と進行中だ。流石に、一気に米を食べないという暮らしは成りたちがたく、今朝と夜はいつもの半分から6分目のご飯にした。そして昼食は目玉焼き2つとサラダである。ご飯なし

「おいおい、これで夕方まで腹が持つかよ」

と思い、ピスタチオを10粒ほど食べた。それで夕飯まで何も口にしなかった。我が前立腺がんには刻々と敵部隊が迫り、急に食料も途絶えがちになった。
さあお前、どうする?

明日は、S院長にセカンドオピニオンを求めるため、高崎まで出かける。

「おいでになる前に、とりあえず読んでおいて下さい」

というメールがS院長から来たのは24日だった。開いてみると、なんと100個近いファイルが添付されていた。

1)序論甘くない糖質’炭水化物’の罠
2)コレステロール上限値撤廃
3)糖質セイゲニスト コレステロールを語る

などと通し番号まで振ってある。すべてS院長の自筆。中身は医学エッセイといったらよかろうか。

「えっ、こんなに読めっていうの?」

と一瞬唖然としたが、気を取り直して今日の昼までに何とか目を通し終えた。

1)は、炭水化物からはブドウ糖ができ、万病の元になる、というレポート。2)、3)では、敵視されているコレステロールは、実は人体の強い味方であること。動脈硬化の原因は血液中の糖分であり、糖分が血管を傷つけたときに、その補修に使われるのが悪玉コレステロールと呼ばれるもので、使い残したコレステロールを肝臓(だったとおもう)が再吸収できるように変形したのが善玉コレステロールである、という主旨だった。

もちろん、おかしな人が思いついたままを書き殴ったトンデモ医学ではなく、きちんと学術論文の背景があり、いただいたワードのファイルには主要な論文へのリンクも張られていた。もっとも、ほとんどが英語の論文なので、あまり読んでいないが。

S院長の主張に全て学術的な後ろ盾があるとすると、全く目からうろこの話ばかりである。なにしろ、デンプンなんて人類には不要の食べ物で百害あって一利なし、から始まり、コレステロールの話、高血圧の話……と、私に擦り込まれている医学、医療、養学の知識をことごとく裏切ってくれるからである。

私は、こんな裏切られ方が大好きだ。

というわけで、明日はそのS院長に会いに行く。私の前立腺にがんが見つからなければ、恐らく一生あうこともなかった人である。その人と会うことを私は心待ちにしている。
31日に会う埼玉のお医者さんもそうだが、こんな出会いがあるのなら、がんという病気もまんざら捨てたものではないという不思議な思いにとらわれている私であった。