2023
02.25

3月7日に群馬大学付属業院で最初の診察を受けます。

らかす日誌

優粒子線治療の入口である、群馬大学付属病院で最初の診察を受ける日が決まった。仲介役となる桐生の泌尿器科から今朝電話を受けた。7日午前9時半。そうか、ということは当日は時過ぎには自宅を出ないと間に合わないな。

何でも、初日はこれまで受けた検査結果を大学病院として検討し、治療方針を決めるのだという。いや、前立腺がんだとは決まったことで、このあと何を検討するのか素人の私には分からないが、慎重の上にも慎重を期すということか。まあ、検査結果はすべて揃っているのだから問診があるだけなのだろう。そして、重粒子線の照射を受ける日程が決まる。照射回数は12回で1週に4回。つまり私は3週間、前橋に通勤することになる。片道約1時間。計24時間、720㎞のドライブを強いられる。何となく鬱陶しいが、我が体のためとあれば仕方がない。

重粒子線治療。そんなものがあるということはご存知でも、ではどのように治療を受けるのかを知悉されている方は少ないに違いない。よって、治療が始まったら出来るかぎりのレポートをするつもりである。いつから照射が始まるかはまだ未定だが、前立腺がん予備軍の皆様、いましばらくお待ちいただきたい。

それにしても、昨日、一昨日は忙しかった。取材があり、デートがあり、会議があり、夜は2日連続の飲み会である。

一昨日の飲み会は、桐生市の産学官有志による懇親会だった。立ち上げて10年前後になると思うが、コロナで中断していた。まだコロナの影は消え去っていないため放っておいたが、昨秋

「あれ、まだ再開しないんですか?」

という声が少しずつ沸き上がっているという話を聞いて

「それなら」

と動き出した。今回は、あの O氏に幹事役を頼んだが、やはり私と同じペーズでフットワークが衰えているのだろう。実現までにずいぶんな時間がかかった。

集まったのは15人。新しく群馬大学理工学部から参加してくれた3人の先生方を除けば、すべて旧知の顔である。まずみんなで乾杯したあと、空白期間を埋めるため、自己紹介を兼ねた近況報告をしていただいた。苦労話、楽しい話が相次いで会場の熱気は盛り上がり、全員のスピーチが終わって20分もするとあちこち歩き回って熱心に話し込む人、最初の位置を動かず、来る者は拒まずとばかりに杯を交わす人……。大変な盛り上がりようで、

「ああ、やって良かった」

と私も嬉しかった。いや、私が一番はしゃいでいたのかな?
もっと詳しく書きたいが、飲み過ぎたのか、それとも楽しみすぎたのか、あまり明瞭な記憶が残っていない。まあ、飲み会とはその程度のものである。

昨日、昼食を共にしたのは、UDO音楽事務所の前社長、T氏である。
刺繍の大澤紀代美さんの伝手でこの方にEric Claptonの日本公演のチケット手配をお願いした。その謝礼の意味もあって2週間ほど前、T氏が大澤さんのアトリエにお見えになったとき、あいさつにうかがった。その日は長男一家が来ていたため短時間しかお話しできなかったのだが、何故か音楽談義で盛り上がった。T氏も会話を楽しんでくれたらしく、

『近いうちにまた来ますから、その時にゆっくりと」

と約束したのが昨日につながった。

T氏はUDOで長年、Eric Claptonを担当された。

「それって、『俺がやる』って手を挙げるんですか?」

と聞いたら、

「いや、上の人が割り振るだけ。私は手なんぞ挙げていません」

そして、一度担当になるとずっと担当を続けるのだそうだ。そのため、Ericに関しては、多分日本で一番詳しい人物である。

「Eric Claptonってどんな人?」

と聞いた。すると、しばらく言葉を探していらっしゃったが

「決して自分が表に出ようとはしない人。でも、自分に任された仕事は100%以上こなす人」

とのことだった。

あのJohn Lennonがカナダのトロントで「Sweet Toronto」というコンサートを開いたのは1969年9月のことである。そのときJohnは

「おい、トロントでライブをやるんだが、手伝ってくれないか?」

とEricに電話をしたそうだ。それほど親しくはなかったが

「いいよ」

とEricは答えた。
だが、ライブでどの曲をやるのかは全く伝えられなかった。Ericが初めて知ったのはトロントに向かう飛行機の中。ファーストクラスの席で、Johnが

「これとこれをやる」

と初めてあかし、そのまま機内でリハーサルをしたのだそうだ。

それだけでも面白い話なのだが、話はそれだけでは終わらない。
飛行機がトロントの空港に着いた。そこにはロールスロイスのリムジンが待っていた。だが、その車に乗り込んだのはJohnと、何故か彼の2番目の妻になったYokoだけ。Ericを含むその他のメンバーは、乗り合いバスみたいな車で会場まで運ばれたのだそうだ。

「あいつはそんなヤツさ」

とEricがつぶやいたとかつぶやきはしなかったとか。

ラテンロックの雄、サンタナが2000年に日本でコンサートを開いた時のことである。その時、たまたまEricも、格闘技を見るため来日していた。それを知ったサンタナはT氏に

「俺の公演に、Ericを読んでもらえないだろうか?」

と依頼した。すぐにEricに連絡を取ると、

「いいよ」

との返事。当日、Ericは会場に姿を見せただけでなく、舞台に上がってサンタナと競演までした。

ところが、そのころのEricの方はサンタナには全く関心がなかったらしい。とにかく、サンタナの曲を全く知らなかったというのである。それでも、他人のギターを借りて舞台に立ったEricは、周りの音をしばらく聴き、コード進行を頭に入れると、見事なリフを聞かせたのだという。

その話を聞いて、思わず聞いた。

「それ、その時の音、残ってないでしょうか?」

ファンなら、当然口にする質問だろう。ところが、T氏の答は期待に応えてくらなかった。

「突然なんで、誰も音をとってなかったんだよね」

うーん、聞きたい!
そこで、つい先程

「サンタナ 日本公演 クラプトン」

でググってみた。すると、あるではないか、「音」が! 思わず買ってしまったのは、「これ、勢いですよね。ま、いずれにしても海賊盤で、隠し持ったテレコで録音したに違いないから音質は期待できない。それでも、

「その音、聞いてみたい!」

と思ってしまうのが、ファンというものである。

ということで、がんにっめげず、それなりに面白い人々と知り合い続けている私であった。