2023
06.02

私と朝日新聞 入社試験の1 若さ=馬鹿さ、である。

らかす日誌

結婚生活が始まった。同時に朝日新聞の受験準備も進んだ。

とはいえ、落ちるのを目的にした受験である。下手に一般常識や作文力、英語の読解能力を高めたら、入社試験に通ってしまう恐れがある。そんなことにでもなれば遠大なる私の構想は狂ってしまう。

つまり、不合格になるための受験準備とは、何もしないことである。私は相変わらず新聞も読まず、まあ、新しい家庭にテレビは買ったから時々テレビは見て、でも時間の大半はアルバイトに費やした。地域生協の配達員である。

私の通っていた大学では、大学生協、その影響下にある地域生協は新左翼系が把握していた。従業員はまんざら知らぬ顔ではない。

「今度結婚しちゃってさ。生活する金がいるんで働きたいんだわ」

それだけで雇用が決まった。妻女殿は近くの材木店の事務員として働き始めた。

1973年といえば第1次オイルショックの暴風が吹き荒れた年である。店頭からトイレットペーパーが消え、ティッシュが消え、洗剤が消えた。地域生協はこうした混乱の中で、会員の秩序ある消費を助けるのが仕事だった。
簡単に言えば、灯油、トイレットペー、パーティッシュペーパー、卵、肉、野菜などを各会員宅まで届けるのである。

「トイレットペーパーの今回の入荷はこれだけでした。次回の入荷は〇〇日になる見通しなので、それまで大事に使って下さい」

新左翼がが牛耳る地域生協である。会員にも新左翼に賛同する人々が多かったと思われる。そして、困った時はお互い様。何かが足りない仲間がいれば融通し合い、どこにもなければ一緒に我慢する共同体がを会員たちは築いていたように見えた。それに、先の見通しが少しでも分かれば、人間とは安心するものである。

ま、そんな暮らしである。私のバイトは毎日ではない。仕事がオフの日、ふと

「そうか、夕食を作っておいてやるか」

と思い立った。部屋にあったレシピ本を開く。目的は

私にも作ることが出来る料理

である。
ページを繰っていたら、

鶏肉のクリーム煮

というのが見付かった。作り方を見るとそれほど難しそうではない。これならできそうだ。これにしよう!
私は買い物に出かけた。鶏肉がいる。牛乳がいる。小麦粉も必要だが、これは買い置きがあったはずだ……。

妻女殿が職場からお帰りになるのは5時半頃である。それを見越して、4時半頃から調理にかかった。やがて、白いスープの中で鶏肉、タマネギ、ニンジン、ジャガイモなどが泳いでいる料理が出来上がった。

ん? これ、どこかで見たことがあるぞ。……、そうだ、これはミルクシチューじゃないか!
小皿に少量とって試食してみた。

「あ、これ、ミルクシチューのルーを使った方が美味いわ」

その日の夕食は、味でミルクシチューのルーを使ったミルクシチューに劣る、鶏肉のクリーム煮であった。

結婚生活はそんな微笑ましい滑り出しだった。平穏な暮らしが続く。私は福岡県著運も採用試験を受け、来たるべき司法試験の準備を進める。はずだった。
それなのに、である。ゴールデンウイークが終わった頃のことだ。

「あ、俺、新聞記者になった方がいいのかもしれない

と突然閃いたのである。
平穏な毎日である。私に突然考えを一変させるような出来事があったわけではない。何にもないのに、あれほど逃げようとしていた新聞記者という職業を選ぶのが私の天命であるうような気がしたのだ。

いま思えば、弁護士という職業、法律という学問に対する疑問が積み重なっていたのだろうと思う。
法廷闘争に行って、

「弁護士って、退屈な仕事だな」

と思ったことはすでに書いた。
それに加えて、

「弁護士とは、法律の枠内でしか行動できない。どれほど支えたい人がいても、法律の後ろ盾がなければ何にもできないんだなあ」

と思い始めていた。私たちからすれば、不当逮捕された学生の裁判で、有罪判決が出ていたことがそう思わせたのかも知れない。
そして、

「新聞記者って、法律に縛られない自由がある仕事なんじゃないか?」

と思い描いてしまったのだ。
革命を起こすとまではいうまい。しかし、私は世の中を変えたかった。私が経験したような貧しい家庭、貧しさに起因する惨めさ、劣等感を世の中から一掃したかった。
だから選んだのが弁護士という仕事だった。だが、弁護士が現行法に縛られるしかない一方、新聞記者なら法律の外に飛び出して世の中を変える手助けができるのでは。

いや、いま冷静に考えれば、とんでもない間違いである。新聞記者も法律に縛られるし、新聞記事で世の中を変えることができるという楽観論はどう考えても成立しがたい。いったいこれまでに、世の中を変えた新聞記事があったか?
いまの私はそう思う。だが、何度も書くが

若さ=馬鹿さ

である。逆に言えば、馬鹿でなければ若者ではない。

では、私はどんな馬鹿であったか。

私は自民党政権が続くのが許せなかった。自民党はブルジョア階級の政治的代弁者である。彼らに政権を任せている間は、弱者は救われない。貧者は貧しさから抜け出せない。我々庶民の思いを政治的に実現するのは社会党、共産党という革新勢力である。
そして、国民の大多数はブルジョアではない。この資本主義制度のもとで搾取される弱者である。それなのに、なぜ自民党政権が続くのか? 社会党、共産党はなぜ政権を取れないのか?

※先に断っておくが、いまの私はそう考えない。先で書くことになると思うが、記者として取材する中で社会党のくだらなさを痛感した。その前に、学生運動で共産党の限界も知った。彼らに政権を担う力はないし、彼らが政権をとりでもしたらとんでもない世の中になる。いまの私はそう思う。
そんな私でも、2009年に民主党が政権を握った時は、小躍りする気持ちだった。やっと自民党支配から抜け出した。これで日本は変わる、と心から期待した。
その夢が破れた経緯は、以前書いた記憶がある。有権者の大きな支持は得たものの、彼らには政権を担う力が欠けていた。いうこと、やること、足が地に全く届いていない空理空論に終始した。鳩山、菅、野田と、首相は代われば変わるほど劣化した。

「やっぱり、政権を担う力は自民党にしかないのか?」

有権者にそう思わせる結果しか残せなかったのが民主党政権である。罪は深い。

もっとも、その自民党も、政権を奪い返した後の首相は安倍、菅、岸田と、やはり劣化を続けているようにしか見えない。日本には人材が払底しているのか?

話を戻そう。
何故自民党政権が続くのか。議論し、考え、ひょっとしてこれかな? と思ったのは、「情報」である。
正しい判断を下すには、正しい情報がいる。だが、国民ひとりひとりが、正しい判断ができるだけの情報を得ているか? 新聞は、テレビは、人々が正しく判断するための情報を届けているか? 誤った、いや、不足した情報に基づいて有権者が選んでいるのが自民党ではないのか?

よし、私は本当に国民が必要とする情報を届ける記者になろう。知るべきことを知った上で国民が選ぶ政権は、ずっとましなものになるはずだ!

いま書いていてもずかしくなる、青臭い論理である。そして、自分がそんな記者であったとも全く思えない。
が、繰り返すが

若さ=馬鹿さ

である。
その馬鹿さにむち打たれ、私は

「俺は、朝日新聞の記者になる!」

と決めたのである。
政権寄りの報道をするという話を聞いていた読売新聞は視野にも入らなかった。いや、報道姿勢を云々する前に、私は西鉄ライオンズの最大の敵であった読売巨人軍が心の底から嫌いだった。その親会社の一員になるなどありえない。
毎日新聞とは縁がなかった。読んだこともない。
とすれば、多少の縁があり、時々日和見をするとはいえ、権力に最も厳しい報道をすると言われる朝日新聞しか、私の目指すところはないではないか!

そう考えたあの頃の私の頭には、朝日新聞の入社試験が天下の難関であることなどは消え失せていた。これまでなんの準備をしてこなかったことも、視野の外である。とにかく、俺は朝日の記者になる!

時はすでに5月の連休明けである。そして入社試験は7月1日

「おいおい、そりゃあ、いくら何でも無理だろ?!」

常識はそういう。だが、もう決めたのだ。常識よ、引っ込んでおれ!

私は目前に迫った入社試験に向けて全力を傾け始めた。