2023
06.04

私と朝日新聞 入社試験の3 大卒採用担当に

らかす日誌

実に困ったタイミングでの懐妊騒ぎである。思わず、

「ホントかよ?!」

とつぶやいてしまったのは私の本音であった。
私は朝日新聞の記者になろうと決めた。ところが今年の入社試験に落ちてしまった。どうしても記者になるためこれから来年の試験に向けて研鑽を積まねばならないのに、このタイミングで子ども……。

だが、そうした私の戸惑いと妻女殿の懐妊とは全く別の話である。2人の間に子どもができる。2人の血を受け継ぐ新しい生命が育ちつつある。それは喜び以外の何物でもない。私が父親になる! 優先すべきは子どもである。

即座に決意した。

「よし、就職しよう」

子どもが生まれるとなれば、妻女殿と新しく生まれる生命に私は責任がある。朝日浪人なんかやってはいられない。私の父親が私に用意してくれなかった安定した暮らしを、私は私の子どものために築かねばならない。だから、大学に残らずに就職する。
なあに、就職しても受験勉強を続けて、来年の入試に挑むという手だってある。朝日新聞は27歳まで受験を認める会社なのだ。焦ることはない。

大学事務局に行っててみた。まだ採用活動をしているところはあるか? 求人票を見る。
あった。西日本鉄道である。かつてはあの西鉄ライオンズのオーナーだった企業である。まんざら嫌な会社でもない。すぐに人事課に電話を入れた。

「あのう、まだ採用活動をされているようですが、これからでも間に合いますか?」

もちろん、住所・氏名、大学・学部を明かしての電話である。

「ああ、よかですよ、ほんなら、明日にでも会社に来てくれんですか。面接ばしますけん」
(ああ、いいですよ、それなら、明日にでも会社に来てもらえませんか。面接しますので)

しばらく前の結婚式用に、妻女殿の父、つまり私の義父が仕立ててくれていた一張羅の紺のスーツ(そう、自力ではスーツの一着も持てませんでした。義父には大恩があります)を着て天神の西鉄本社を訪ねた。

「実は、ですね。この春、学生にもかかわらず結婚しまして。それでもいいですか?」

聞かれる前にこちらから白状した。それはこんなわけである。
しばらく前、

「君、うちの会社に来ないか」

と大学のキャンパスで声を書ける男がいた。その春、この大学を出て就職したばかり(確か、日立建機であったと記憶する)のOBである。同じ大学の後輩をスカウトして来いと派遣されたらしい。

「ああ、考えてもいいけど、俺、結婚してるんだよな。学生だけど、妻帯者。それでもいいかい?」

とからかい気味に返事をすると

「えっ、それは……。上司に相談して連絡するわ」

と引き返し、数日後

「実は、結婚している人の採用は難しいと言われて」

と電話で知らせてきた。どうやらこのOB、そしてその勤め先の方々は、人間とは結婚したら中身が変わってしまうという信念をお持ちのようであった。
そんなことがあったから、のっけから事実を告げたのである。

西鉄の対応は違った。

「ああ、そげんね。早かったねえ。ばってん、問題はなかよ」
(ああ、そうですが。しかし、問題はありません)

そして、会社を辞する時には

「2、3日で結論ば出して連絡するけん、それまで待っとってくれんね」
(2,3日で結論を出して連絡するから、それまで待っていて下さい)

という、実に紳士的な対応を見せてくれた。
世の中にはまともな会社もある。

そして電話がかかってきた。

「よかばい。うちの会社に入ってくれんね。ただ、入社試験はするけん、試験だけは受けてね。試験の点数がどがんたっちゃ、あんたば採用するとは変わらんけん、形だけの受験たい」
  (うん、うちの会社に入って下さい。ただ、入社試験はするので、試験だけは受けて下さい。試験の点数がどうであれ、あなたを採用することに変わりはない。形だけの受験です)

こうして私は14974年4月、西日本鉄道の新入社員となった。配属は人事課だった。

※:「私、どうして人事課に配属されたのでしょう?」
と上司に聞いたことがある。上司は一言で答えた。
「あんた、ペーパーテストの結果が1番やったもんね」
ふむ、人事課とは企業内エリートが集まる部署なのか?

※2:この話は自慢話と受け取られかねないので(いや、実際に自慢話ではあるのだが)、書くかどうか迷ったところである。しかし、事実は事実。当時の西鉄が人事を重視していたエピソードとして書いた。もう少し先まで読んでいただくと、なぜ人事を重視していたの亜kがご理解いただけるかもしてない。

私は人事課員として採用の稟議書を書き、線パオに率いられて県内の高校を廻り

「今年も例年通りバスガイドを採用しますので、一つよろしくお願いします」

と就職担当の先生に挨拶する。
現場からバスの運転手を採用したいとの申請があれば、これも稟議書にして上に回す。
そんな仕事を日々こなしながら、しかし一方で、私は受験生だった。7月に受ける朝日新聞の入社試験に備えなければならない。だから、仕事が終わる午後5時を待ちかねるように会社を出た。あと20分で退庁時間となると、机の上を片づけた。あまりいい社員ではなかったわけだ。

それなのに、人事課の先輩たちは私を可愛がってくれた。昼飯に誘い、夜の酒に誘ってくれた。

「ちょっと歩いて港(博多港)の方に行くと、安くてうまいマグロを食べさせる店があってね」

と昼食に誘われた店では、小さなまな板にマグロのぶつ切りが山盛りしてあり、ご飯、味噌汁、漬物がついて確か500円もしなかった。食は太い私であるが、山盛りのマグロに

「こんなに食えるか?」

とゲップが出そうになった記憶がある。

「安い飲み屋があってね」

と連れて行かれた店には、一皿20円、30円という酒の肴がずらりと並んでいた。なるほどこれなら安く飲める。しかも、先輩はよくご馳走してくれた。

受験生の暮らしをしつつ、サラリーマン生活も楽しんでいた私に、人事課長が

「大道君、ちょっと」

と声をかけたのは、5月の半ば頃だったか。はて、俺は課長に呼びつけられるような悪いことをしたか? いや、しなかったよなあ、と思いながら机の前までいくと、

「大道君、君にちょっと頼みがある」

と課長が言う。いったい何だろう?

「実は今年、大卒を60人採用しよう思っている」

はあ、そうですか。私に何か関係がありますか?

「その60人のうち、15人から20人は面接で内定を出したい」

そういえば、私も面接だけで採用していただけることが決まりました。

「近々、採用活動が解禁される。西鉄に入りたいという学生が会社訪問に来るはずだ。そこでだが、君、会社訪問に来た大学生全員と面接してくれたまえ。そして、15人から20人に内定を出してもらいたい。もちろん、内定を出す前に私に話してもらわなければ困るが、私は今年の大卒採用を君に一任したいと思っているんだ」

はあ? である。大卒採用を私に一任?

「お言葉ですが、課長。私はつい先日入社したばかりです。会社のこともほとんど分かっていない。そんあな私に大卒採用を任せるなんて、無茶じゃないですか?」

当然の反論だろう。

「いや、だから君に頼みたい。なまじっか会社に馴染んでしまうと、なんというかなあ、無難な人間しか選ばなくなる。君のフレッシュな感覚で、将来の西鉄を担える人材を選んで欲しいんだ」

いま考えれば、先を見据える見識のある上司であった。西鉄を変える。いまの社員では覚束ない。若い世代に将来を託したい。どこかの誰かに耳にハンドマイクで増幅して聞かせたい話である。

しかし、当時の私には重荷であった。私に人が選べるか? 将来を託したくなる人材を見抜けるか? いや、朝日新聞を目指す私にとって、西鉄は腰掛けに過ぎない。そんな私に、こんな大役を振っていいのかよ!

が、課長に命じられた仕事である。私はやった。会社訪問に来た学生全員と面談した。

「君ねえ、西鉄は鉄道会社というより、バスが支える会社なんだよ。君は線路に郷愁を感じるというが、バスには線路はないんだよ」

「モータリゼーションが年々進んで、電車やバスといった公共交通機関の経営環境は年々厳しさを増している。それなのに何故、西鉄に入りたいんだ?」

程度の生意気な口は聞いた記憶がある。そして、私は15、6人の学生に内定を出したいと課長に報告した。それだけで15、6人の採用が決まった。

一仕事終わった。さて、朝新聞対策に力を入れよう、と思った矢先、また課長に呼ばれた。

「大卒を採用するのに、ペーパーテストが必要だ。君、試験問題を作ってくれたまえ」

えっ、俺が入社試験問題を作るの?
だが、これも業務命令である。やるしかない。しかし、小学校から大学まで、出された問題を解いたことはあるが、これを解きなさいという問題を作ったことはない。俺にできるか?
でも、やるしかなかった。