07.26
2002年7月26日 タンとミノ
人間は社会的動物である。そうでしかあり得ない。好き嫌いの問題ではない。
だから、人間を人間たらしめているのは、コミュニケーションである。
社会的動物である人の世では、幸も不幸も、多くはコミュニケーションから生ずる。
なんて固いこといわなくても、どうせ会話をしなければ生きていけないのが人間。会話は楽しかったり、格好よかったりした方が、happyな気分になれる。
そこで、突然ですが、
「お待ちどうさま。タンの塩焼き3人様です」
コミュニケーション論がどうしてタン塩になるのか?!
と訝るあなた。少しだけお付き合いください。
場所は、東京・五反田に移る。
JR五反田駅からほど近い飲食店街に「日南」という店がある。先日、職場の仲間と3人で、この店に飲みに行った。
有り体に言えば、通りがかりの客が入るような店ではない。看板はあるのかないのかわからないほどに小さい。店構えは決して立派ではない。いや、はっきり言って我が家の何倍も汚い。第一、何を食べさせてくれる店か、外から見てもわからない。
ところが、です。人は外見によらないがごとく、店も見かけにはよらない。
(余談)
いや、でも、やっぱり、どうでもいい女性より、美しい女性がいい。人だけは、いや女だけは外見による。
食べ物が美味い。ブロッコリーサラダ、軟骨の塩焼き、たんのユッケなど、出てくるものがどれもこれも美味い。
中でも、一押しが牛のハラミ焼きだ。これは、私と同行して食した全員が
「絶品!」
と思わず歓声をあげた優れものである。
前ぶりが長くなった。
で、この日も「牛のハラミ焼き」を食べた。
「美味い!」
「満足!!」
などとオヤジ3人が素っ頓狂な声を発しながら食べ終えて、「絶品」であるものだから、誰からともなく
「もう1つ食べようよ」
と声が出た。
「お兄さん、牛のハラミ焼き3つ追加ね」
ま、自腹を痛める客である以上、まずいもので腹を膨らすより美味いものを食いたい。当然の行動に出たのである。
ところが。
「すいません、牛のハラミ焼きは、お1人様1人前に限らせていただいておりまして」
食べたいといえば、当然食べたいものが出てくると思って注文をした。
それがにべもなく拒否された。
こうなると、「牛のハラミ焼き」が、
・今日、もう1つ食べなくてはならない
・のどから手を出してでも食べたい
・あと1つ食べずに帰宅すると地球が爆発する
・この場で食べずに死ねるか
という尊い食べ物に思えてくる。
一言でいえば、牛のハラミ焼きが食い意地のすべてになった。
中年の女は図々しいという定評があるが、なーに、恥知らずの程度においては中年男だって負けてはいない。
「お兄さん、それはつれないんじゃないの?!」
「先週も来たしさ、僕らって常連じゃない。ね、そこはそれ、魚心あれば水心、とかさ、あってもいいんじゃないのかなあ?」
「お願い、来週も来るからよ」
「ちょっと、今日は一段と男前だねえ」
ここは、長年鍛えたコミュニケーション技術のすべてを注ぎ込んで、お兄さんの説得にかかった。
本当に困り切った顔をしたお兄さんは、
「わかりました。調理場と相談してきます」
と去った。さて、持てる知恵と技術をすべて注ぎ込んだ説得が成功したのか、しなかったのか。 3人が固唾をのんで待ったのはいうまでもない。
で、10分ほどして聞こえてきたのが、
「お待ちどうさま。タンの塩焼き3人様です」
だったのである。
どうですか、この粋な言葉。
ほかの客に「牛のハラミ焼き」であることを悟られてはならない。悟られれば、営々と築き上げてきた信用が台無しになる。そこで考えたんだな。考えた結果、牛のハラミ焼きがタンの塩焼きに化けたんだな、名前だけ。
お兄さん、偉い、その若さで。
あんたは、きっとこの業界で、一国一城の主になる人材と見た。
その気持ちを忘れずに修練を積みなさい!
このような珠玉の一言に接したとき、人は全身全霊を持って応えねばならない 。
「いやあ、この店は牛のハラミ焼きが最高だと思っていたけど、タンの塩焼きも勝るとも劣らない絶品だねえ」
などと、粋な返事をしなければ男が廃る。
と、いまは思う。
なのに、その時、私の口から飛び出したのは、
「えーっ、タンの塩焼きなんか頼んでないよー」
ばか! バカ! 馬鹿! 莫迦!
何という間抜けだ! 空気の読めない奴だ! お前なんか、生きている価値はない! 豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまえ!
自分で自分を罵りたくなった。
猛省した。