2002
08.23

中欧編 VIII : クッ、クッ、クッ

旅らかす

【10月12日】

 昨日の続き
このホテルは、ゴクミとアレジも泊まったそうだ。だから何だということもないが。

(解説)
あの国民的美少女は、いま、どこで、何をしてるんでしょうねえ、最近、ちっともお目にかかりません。

 町で浮浪者を見かける。体制転換の犠牲者か。

(解説)
体制転換なんてなかった日本でも、最近は浮浪者が増えました。いや、日本にも体制転換はあった、世界でもっとも成功した社会主義から、米国的資本主義への転換である、という視点も成り立つかなあ?

 昨夜行ったレストラン、ベルカント(上の写真)は、オペラハウスの元従業員用食堂。オペラハウスの隣にある。それを体制転換後米国の資本が買い取り、5つ星の最高級レストランにした。オペラハウスの手でレストランの経営をすれば、オペラハウスの経営の足しになるのに、とM氏。

(解説)
このレストラン、なんと従業員はすべて音楽家のタマゴ。お隣のオペラハウスの舞台に上る日を夢見つつ、生活費を稼ぎださんとウエイターなどをやっておるのであります。実に見上げた心がけであります。
音楽家のタマゴでありますから、もちろん楽器は弾ける。店の中にグランドピアノが置いてあり、私が訪れたときは若いお兄さんが弾いておりました。
で、ピアノの上には大きなワイングラス。中にはお札やコインがたくさん入っておりました。
「素敵な音楽を聴かせてくれてありがとう」
と思った客は、この中にチップを入れて店を出るんですね。みんなで芸術家を育てる。素晴らしいシステムではありませんか。私もわずかばかりですが、協力させていただきました。
ただ、このグランドピアノ、古くなりすぎたためか、コストをケチっているためか、チューニングが少し狂っており、正確な音は出ていませんでした。残念!

 オペラハウスの経営は大変らしい。年間の公演日数は約160日。以前の3分の2に減ったそうだ。なぜなら、公演をすれば出演者にギャラを払わねばならず、赤字が膨らむからとのこと。丸ごとパーティ用に貸したり、公演用に貸したりしているが、それでも経営は大変らしい。芸術活動は、やはり時の権力の庇護がなければできないということか。

 昨夜の席は前から3列目の中央。最高の席だそうで、3000フォリント。日本円では2000円で国内最高の芸術が鑑賞できる。しかし、ここの平均給与は7万フォリント。日本の平均月収を40万円とすると、3000フォリントは2万円弱に当たる。やはり地元の人には、かなりの負担なのだろう。

(解説)
それにしても、日本のコンサートの価格はちょっと異常ではないかい?
ロンドンに行ったとき、ミュージカルを見に行きました。“Me and My Girl”というヤツです。次に来るのはいつのことかと思ったので、
“Best place”
と注文したところ、何と17ポンド、当時のレートで換算すると4000円程度でありました。同じ劇場で1番安かったのは、学割の席で3ポンド。
加えて。
劇場の収容人数は、ざっと500人程度。ということは、17ポンドで買った私の“best place”と、3ポンドで誰かが買った学割の席とは、椅子の並びにして15列ほどしか離れていない。
17-3 = 14ポンドって、いったい何?
ロンドンを発つため空港に向かうタクシーで、運転手に
「昨日ミュージカルを見た」
と話したところ、
「おお、それなら俺も見た。女房を連れて、2回見に行った」
だと。
いいですか、皆さん。タクシーの運転手さんが、家族同伴で、同じミュージカルを、2回も見に行くのが大英帝国でありますぞ。
当時はまだ、英国は「老大国」などと呼ばれておりましたが、私は彼我の格差に、英国社会の奥行きの深さに、驚いたものであります。

 場内はほぼ満員。隣のおばさんは、舞台を見ながら

 「クッ、クッ、クッ」

と笑う。2列後ろのやはりおばさんは、舞台にあわせて小さな声で歌う。クラシック音楽の生活への溶け込み方が違う。

(解説)
日本で同じことをやってご覧なさい。刺すような視線が周囲から必ず飛んで参ります。気付かない振りをすると、まっすぐのばした人差し指を唇に直角にあてた顔が、ニューっと私の前に出てきたりします。
アホッ! そんな聴き方をして、音楽って楽しいのかねえ?

 何となく朝食は抜く。午前10時、ホテルでM氏と待ち合わせ。ブダペスト郊外のショッピングセンターへ。卸専門のスーパー(ドイツ資本)と、普通のスーパー(フランス資本)を見る。物資は豊富。客も多い。ハンガリーでも、食料品以外はほとんど手には入らない時期があったというから、これも市場経済化の恵みだろう。

 しかし、店内を見て回るも、買いたいもの、買えるものはない。調理器具程度か。
CDも売っているが、ローリングストーンズはあるのに、ビートルズがない。昨日昼食を取ったイタリアレストランでは、ビートルズの曲がかかっていたのに。ただし、演奏は、コピーバンドだったが。

 テレビは高い。14インチが4万5000フォリントもする。スキー靴は日本と同じような価格。テニスラケットは日本より高いかもしれない。

 爪が伸びたので、爪切りを探すも見つからず。爪用のヤスリはあるのだが。こちらの人は、みんなヤスリで爪を削るのか。

 2つのスーパーは3キロほど離れているのだが、すぐそばに、スーパーの建設が始まっている。ちょっとしたブームだ。競争は激しくなって収益は落ちるに違いない。物価は下がるだろうが。

(解説)
そして、次に来るのは? 日本では、経営不振に陥った大手スーパーの再建策が政治問題になったりしています。

 ブダペストの高級住宅地を車で視察。確かに広い敷地に大きな家が建っているのだが、何とも色が野暮ったい。黄色というより、黄土色に近い壁に、白で縁取りされた窓。ブドウ色に近い赤の瓦。オレンジ色に近いベージュなど、「どうしてこんな色しか思いつかないのか」といいたくなるほど、野暮ったい色が多い。
そういえば、昨日訪ねた建築現場でも、

「この色、素敵でしょう」

 と聞かれて困った。オレンジというか、黄土色というか、まことに不細工な色で、聞かれるまで、これは下地で、上にモルタルか何かをかぶせ、きれいな色を塗るに違いないと思っていたからだ。

(解説)
数年前、我が家の外壁を塗り替えた。ペンキのサンプルを見て、モスグリーンのような色を選んだはずだったのに、できあがりを見るとライトグリーン、日本語でいうと黄緑色。何とも落ち着きのない外見になってしまった。
他国のことをいっている場合ではない。

 昼食は、高級住宅地にある安いレストラン。3人で5000フォリント少々。

 食後、北に30㎞走り、バーツ市の開発業者に会う。5時にホテルに戻り休憩。これから一眠りしたい。6時50分には再び迎えが来て、F技術研究所の人と夕食。終わるのは深夜になりそうだ。

 ホテルに帰還。10時半。
 今日訪れたレストランは、ハンガリーでNo.1というヴァドロージャ(左の写真。ただし、私は屋内だった)。再び、フォアグラ。そのまま焼いたものと冷たいものを半分ずつもらう。

 これが食べ納めかもしれない。メインは鹿の肉。ワインは赤。これは質がいい。久しぶりにうまいワインを飲んだ。

  「買って帰らないか」

といわれて気持ちが動くが、これからの旅路を考えて辞退。このワインの店での値段が6000フォリント、4000円。買い得だと思うが。

(解説)
ブダペストは、ブダ地区とペスト地区に分かれます(ほかにオーブダという地区があるというが、ここでは無視)。ドナウ川を挟んでおり、丘陵地のブダは高級住宅地。ヴァドロージャはその一角にある。
外見は、全くの民家。前を通りかかっても、ここがレストランであるとは気付きにくい。
料金は、ワインも入れて3人で1万8000円ほどだった。決して安くない。まして、現地の所得水準を考慮に入れるととてつもなく高い。かつては共産党幹部御用達のレストランだったのではないか。
ワインの銘柄は憶えていないが、あるワイナリーと直接契約して入荷しているそうだ。もう一度呑みたい!

 F技術研究所の人の話を聞く。国立研究機関の絶縁材料部門を買い取って発足したこの会社は、いわばハンガリーの頭脳を買った。新しい形の投資だ。人口比率で最も多いノーベル賞学者を出しているこの国の頭脳は、これから企業に魅力的だろう。日本人の技術者に比べ、同じことを徹底的にやる、研究者の横のつながりが広いのが特徴だという。

(解説)
ほんとに、天才と呼びたくなる人たちがたくさん出ているんだよなあ。有名なところでは、ジョン・フォン・ノイマン、ビタミンCを発見したアルバート・セント-ジョルジィなど。関心が湧いてきた人には、20世紀に活躍した20人の伝記、「異星人伝説:20世紀を創ったハンガリー人 」(マルクス・ジョルジュ著 ; 盛田常夫編訳)がおすすめ。

 明日は、ブダペストで午前9時から午後2時頃まで人に会い、夕方6時の便でプラハへ。また暗い町に戻る。夜はN社のY氏と食事。チェコ経済の概要を聞く。翌14日は、午前10時から、地元の会社をフォルクスワーゲンが買収して作った会社の幹部に会って、旧社会主義会社を変身させる経営のノウハウを聞く。

 あと5日間の滞在です。無理な日程をくんだのかもしれないが、疲れはそろそろピーク。東京が懐かしくならないこともありません。

(解説)
ホームシック、というほどではないはずだが…… 。

 明日夜からのプラハ。光と陰を見てみようとは思いますが、果たして私の感性で受けとめることができるかどうか。ビジュアルな世界には弱いから・・・。
そういえば、昨日から急速に気温が下がり、明日はもっと寒くなるとか。そんな時期に、これから北に向かい、15日の夜にはさらに北に向かいます。
疲れてくると、文章にも切れがなくなりますな。

(解説)
元気なときの文章には切れがあるって?
これを自信過剰という。

 そうそう、そういうわけで、明日の夜から再び通信困難なところに行きます。ひょっとしたら、次にインターネットにつなげるのはウイーンで、それまで書きためたメールが、どっと一緒に届くかもしれません。悪しからず。
おやすみ。

この項、続く。