12.06
2007年12月6日 ボーっ
昨日、2007年12月5日は1日ボーっとしていた。
もう1ヶ月近く、風邪が抜けない。市販薬を2度にわたって試したが、あまり効果がない。仕方なく4日、内科医の診察を受けて風邪薬を処方してもらった。眠気を誘う成分を含んだ薬である。
昨日も風邪薬を飲み続けた。ために、ボーっとしていた一面もある。
それだけなら、幸せな一日であった。
風邪の診察のついでに整形外科の診察も受けた。先日の健康診断の際、首筋から肩にかけての凝りと、時折現れる右腕のしびれを訴えたところ、精密検査をしろとアドバイスされたからだ。
医師の指示に従ってレントゲンを撮った。正面から1枚、横から1枚の計2枚である。撮り終えて10分ほど待つと、医者に呼び込まれた。彼の机の前にレントゲン写真がある。
「いや、これは。頸椎が変形してますねぇ、ほらこれとこれ。これもそうですね」
はあ、骨が変形してる?
「正常な頸椎は、ほらこれのように、横から見ると四角になっているんです。ところが、ほら、これらは凹型になっているでしょう。これが変形なのです」
確かに、頭蓋骨から数えて2番目までは綺麗な四角形だが、それに続く3,4個は胸側に窪みができている。
「この頸椎の中を神経が走っていますから、骨が変形して神経が圧迫されて、ほら、ここは神経の通り道にも出っ張りが出ているように見えるでしょ? それで腕が痺れたりするんですね」
固い骨が、変形する。おれ、そんな無茶なことをしたか? あのー、原因は?
「まあ、若いころに激しいスポーツをやられて、仕事に就いてからはデスクワークを重ねてと言ったこともあるかも知れません。もちろん、加齢による変形もあるでしょう。いずれにしても、原因はよく分かりません」
確かに私は、柔道はした。だが、高校時代のたった2年半ではないか。30歳を過ぎてからも誘われて練習にいったことはあるが、週に1、2回を1年半ほど続けただけだ。若いころに激しいスポーツ? 私が該当するはずがない! 加齢は否定できない事実であることは認めざるを得ないが……。
が、ここまで変形した我が骨を見せつけられた以上、原因を詮索しても致し方ない。問題は、昨日を振り返ることではない。明日を生きることである。と、自分で自分を励ましつつ聞いた。
で、先生、治療の方は?
「ありません」
……………。ないの……………。バッサリと、袈裟懸けに切られた。じゃあ、棺桶にはいるまで首筋と肩の凝り、腕のしびれと付き合うの?
「まあ、薬で抑えるしかないですね。処方箋を書きますから」
消炎剤、鎮痛剤、筋弛緩剤。
飲みながら思う。はあ、俺ってそんな歳なのね。
年齢とは思い知るものではない。思い知らされるものである。
これがボーっ、の第2の理由である。
弱り目に祟り目、という。泣きっ面に蜂、踏んだり蹴ったり、という言葉もある。不幸は、落ち込んでいる人間を容赦しない。
「啓樹、年末は来ないみたいよ」
昨日の朝、妻がそう切り出した。啓樹は四日市に住む長女の1人息子である。
ん? でも、最初は年末年始の帰省はしないつもりだったのが、ボス、つまり私に会いたいという啓樹の意向が強く、1月4日から休みに入る旦那を置き去りにして娘と2人、12月29日に来るのではなかったか?
「それが、医者に止められたらしいの」
啓樹は軽い小児喘息である。発作が起きて医者に行った。帰省の計画を話すと、やめなさいとアドバイスを受けた。
原因は犬である。犬の唾液、フケ、抜け毛は喘息発作の引き金になる恐れがある。そして我が家には、毛足の長いシェットランドがいる。「リン」は部屋犬なのだ。これ以上悪い条件はない。
「そうなのか」
と言い置いて会社に向かった。向かいながら、気分は落ち込みっぱなしだった。
啓樹はボス、つまり私が大好きである。横浜のボスのところに行きたいという啓樹の望みの8割が、財布を持ったボスを従えてトイザらスに行くことであっても、その望みが果たされないのは可哀想である。
私は啓樹が大好きである。できることなら、成長ぶりを日々見守っていたい。ねだられるものがどんどん高額化しても、啓樹に会えないのは寂しい。
それに。
啓樹が我が家に来られない理由が犬であるなら、問題は今度の年末年始だけにとどまらない。啓樹が全快するか、「リン」が天寿を全うするまでは、啓樹は横浜に来ることができないではないか。
そんな……。
それにしても、まだ3歳にもならないというのに喘息の発作を起こす。不憫で仕方がない。できることなら代わってやりたいが、それは叶わぬことである。何もしてやれない。私にできることは、あのチェ・ゲバラも喘息だった、と呟くことぐらいだ。
ますます気分が落ち込む。朝食後に飲んだ薬が効いてきたのか、ますます頭がポーっとなる。いや、ポーっ、の最大原因は、無力感なのだろう。
啓樹の健康と、啓樹と私の寂しさを秤にかける。いや、秤にかけるまでもない。啓樹の健康がすべての上にあることは自明の理だ。では、2人で耐えるのか?
と考えるあたりは、 なにやら遠距離恋愛に似ていないこともない。
何か道はないか。啓樹の健康と「リン」を秤にかける。やはり啓樹の健康がはるかに上にある。
では、「リン」のもらい手を捜すか? 幼犬の時ならいざ知らず、いまとなってそのような奇特な人が現れるとは思えない。
啓樹が来る間だけ、預けるか? 時折頼んでいる獣医で1泊3000円。かなりの物入りである。それに、年末年始に預かってくれるか?
安楽死? いや、如何に啓樹のためとはいえ、「リン」の生命を無理矢理奪うのは論外である。
では……。
ボーっとした頭にろくな考えが浮かぶはずがない。
朝食後、昼食後、夕食後と1日3回服用する薬の効き目も途切れる瞬間があるらしい。夕方になって、1つのアイデアが浮かんだ。ボーっとした頭では決して思いつかないアイデアである。
「リン」を室外犬にする。犬小屋を作ってウッドデッキ(作り方については、「事件らかす #5 年賀のご挨拶」をご覧ください)に置き、「リン」の住居とする。そうすれば、啓樹は犬に起因する喘息発作の恐れなく、我が家に来ることができる。
素晴らしい閃きである。服用薬の効果が切れることも、まんざら悪いことではない。
今朝出がけに、妻に頼み事をした。
かかりつけの獣医に電話をし、9年近く室内犬として生きてきた「リン」を、これから室外犬として飼うことができるのかどうか聞いて欲しい。
シェットランドはもともとは牧羊犬である。長い毛足は屋外で寝起きする際の冬対策である。原理的にはできないはずがない。9年の温々した暮らしから、ご先祖たちが続けてきた自然の暮らしに戻るだけなのである。
しかしなあ、あいつに己は犬であるとの自覚はあるのだろうか?
可能であれば、この週末、私は犬小屋作りに取りかかる。まずデザインを起こし、材料を買い求め、切りそろえて木ねじで止める。それで出来上がる。
人と暮らすことに慣れた「リン」が、新しい暮らしになじめるかどうか。年末から年始にかけて私が啓樹とラブラブの時間を過ごせるかどうかは、その一点にかかる。
今日家に戻れば、結論が待っているはずである。
近く、犬小屋作りの奮闘記を皆様にご報告できることを願ってやまない。