02.11
2008年2月11日 ノスタルジック・ジャーニー
先週末、仕事で札幌まで行ってきた。今日はそのレポートである。
9日午後3時の便で羽田を発った。札幌市内に入ったのは午後6時を過ぎた頃だった。
観察その1
羽田空港で、団体旅行客とぶつかった。同じような顔をしているが、言葉が全く分からない。中国か台湾からの旅行客らしい。
冬の北海道は、アジアからの観光客が多いと聞く。かつて、私が若い女の子をブイブイいわせたニセコのスキー場は、いまやアジアからのスキー客で占領状態に近いらしい。
ふむ、侮るなかれ、アジア諸国の経済力。
観察その2
千歳空港から札幌までJR で1040円。直感的に、高い。 ほぼ同様の距離を関東平野のJRで移動した場合、540円であると人から聞いた。なんと、2倍じゃん! ま、ここがJR北海道のドル箱路線であることは分かる。ほかにドル箱と呼べる路線がないことも理解している。経営はさぞ苦しかろう。この路線での収益が全体をっさえているのであろう。
でも、高いよなあ! 会社が金を払う出張じゃなかったら、この怒りをどこにぶつけていただろう?
観察その3
ホテルにチェックインし、早速街に繰り出した。仕事は明日、日曜日である。今夜だけは自由時間だ。
知り合いに誘われていたので、雪祭り会場である大通公園に向かった。地下鉄東西線を大通駅で降り、地上に出る。ん? 約束の時間までまだ40分ほどある。
ふと思い出した。
(5年前に来たとき、あ幻のラーメン屋『富公』の跡地にラーメン屋があったよな。前回は閉店時間だったが、いまならやってるだろう。確か、『富公の味を受け継ぐ』なんてご大層な張り紙がしてあったっけ。試してみるか)
ご承知と思うが、富公は我が札幌在勤中、味に惚れ込んで通った名店である。詳しくは「グルメらかす 第12回 :札幌ラーメン」をお読み頂きたい。親父が死んで店がなくなったのははるか昔のことだ。
大通公園に向かっていた足を、狸小路西7丁目に向け直した。「富公」のあった場所である。
ラーメン屋はあった。前回来た時に見たと思った張り紙はなかった。悪い予感はしたが、まあ、敵は張り紙である。時間の経過とともにちぎれ飛んでも不思議はない。ここは北国、札幌なのだ。
引き戸を開けた。左の壁に作りつけの長いベンチがある。これは見覚えがある。確かに、富公の故地である。そして目の前にはJ字型のカウンターがある。これも富公から引き継いだものだ。ここで極上のラーメンを確かに食った。が、奥にテーブル席がある。こんなもの、なかったぞ!
カウンターの中に目をやった。ない。親父がスープをとっていた寸胴鍋がない。親父が麺を湯がいていた鍋がない。親父は、そば上げで麺をすくい取り、数回湯を切ると、最後に麺を空中に放り上げて見事にそば上げでキャッチ、どんぶりに移していたものだが、ここの親父はそんな芸当は見たくてもやってくれない。
「すいません。マグロくれますか?」
横にいたお兄ちゃんが声を上げた。マグロ? ラーメン屋でマグロ? 目をやると、不細工な女と2人連れである。
(へっ、土曜の夜なのに、そんな不細工な女しか調達できなかったのかい? ま、ラーメン屋でマグロを頼む程度のセンスだもんな)
そう思った私が、物欲しげな顔をしていたのかどうか。あいにく、店内には鏡が存在せず、私のその時の表情は不明のままである。
それはどうでもいい。あの富公が、マグロの刺身も出せばポテトサラダも出す、普通の居酒屋に成り下がっていた。
頼んだ塩ラーメンが来た。一口、口に運んだ……。
これ以上書かぬのは、武士の情けである。
ノスタルジック・ジャーニーは端から躓いた。
観察その4
私を雪祭りに招いた知り合いの会社が、犬山城の雪像を作っていた。立派なものである。
「すごいね。ずいぶんコストがかかったでしょう」
「うん、3300万円ほどかけたんだって」
……………………。
私の家は重量鉄骨造りの3階建てである。24年前に作ったが、確か2700万円でできた。わずか1週間しか寿命がない犬山城の雪像が3300万円。
人生がばかばかしくなった。
観察その5
知人と別れ、1人で夕食を摂りに行った。さて、雪祭りで札幌は観光客だらけである。どこへ行こうか?
どこに行くにしても、ここだけは忘れてはならない。5条5丁目の炉端焼き屋「憩」である。「グルメらかす 第13回 :グルメ開眼」でご紹介したのでご記憶の方もあると思う。
で、5条5丁目に向かった。札幌駅の大丸で買った滑り止めをつけた靴で、かつて覚えた道をたどった。そうそう、この通りを越せば左側に「憩」が……、
なかった。
何度も昇った狭くて汚い階段はあった。が、店名はすでに「憩」ではなかった。廃業したらしい。親父からは今年も年賀状が来ていたのだが。
ノスタルジック・ジャーニーとは、過ぎ去った時間がせつなくなる旅でもある。
観察その6
かくなる上は、向かう先は1軒しかない。ジンギスカンの「だるま」である。北朝鮮への不正送金で名前を挙げたが、まあ味とは関係ない。
ソープランドの客引きに声をかけられながら、
(馬鹿野郎! 俺の財布にはあんたの店にはいるほどの金はないんだよ)
と内心で悪態をつきながら、うろ覚えの道をたどった。あった。あった、はいいが、店の前に3人ほど空席待ちの客がいた。厳寒期の札幌の夜に、である。
馬鹿か、お前ら。そんなことをするとは、札幌の冬によほど無知と見える。風引くぞ、馬鹿者ども!
私はそんな真似はしない。直ちにUターン、次の店に向かった。「だるま」を探しているときに見つけたジンギスカンの店である。「だるま」のそばで営業を続けている以上、そこそこのものを出すはずだ。
「ひつじ屋」に入った。カウンターに陣取り、ジンギスカンと生ビールを頼む。この店も炭火を使う。当然、ぶつ切りの生肉である。どこかのビール園で出てくるような、クズ肉を何かでくっつけた冷凍の粗悪肉ではない。ビールを飲んでいると、ほどよく肉が焼けてくる。おろしニンニクをたっぷり溶かし込んだタレにつけて頂く。なかなかいい味だ。ジンギスカンを1人前追加注文し、さらに生ビール1杯と、日本酒を飲んだ。お腹はほどよくできあがった。
「勘定して」
席を立ちつつ店主に告げた。勘定書が出てきた。
2700円。東京で同じものを食べたら、幾ら請求されるのだろう?
観察その7
時計を見た。まだ8時半である。ホテルに帰って本を読むか? でも、札幌まで来て勉強家を気取ってもなぁ。
思い出した。20年前通っていたスナックがある。「IKUKO」という店名だった。同年配の、肉付きの良すぎる女性が1人でやっている店だった。あり余った肉は好みとはいえないが、何故か良く通った。小学生、幼稚園の子供を連れて家族全員で行き、カラオケを歌ったこともある。
が、20年の時は思い。
「まだやってるかな?」
場所ははっきり覚えていない。確か、このあたりのビルにあったはずだが……。
「IKUKO」という看板が見えた。ビルの8階である。ん? そんなに高いところにあったか?
間違っていたら引き返せばいい。とりあえず店に行ってみよう。そう思ってエレベーターの前まで来た。
あれまあ。そこには張り紙があって、IKUKOは本日、貸し切りとある。これじゃあ、8階まで上がっていっても店にはいるわけにはいかない。帰るか。
しかし、せっかくここまで来たのだ。IKUKOが、私の知ってるIKUKOかどうか確かめるぐらいの時間はかけてもいいんじゃないか?
ドアは開け放ってあった。首を突っ込んだ。店は確かに満杯だ。奥の方に、肉の有り余っている中年の女がいた。目があった。
「あれ、大道さん? 大道さんでないかい?」
20年の歳月を隔てて、彼女は覚えていてくれた。瞬時に時間が溶けた。時間は溶けても、顔を見合わせているのは、あの時から20年の歳月を経た男と女であった。
彼女は満員の客を放り出し、私を隣のバーに誘った。北海道は、札幌はおおらかなのである。
さて、そこでどんな話をしたのか。あまり覚えてはいない。かすかに、
あのときうちに来た子供たちはどうなった?
みんな結婚して出て行った。頼みもしないのに、娘2人は子供を作った。お前はどうしてた?
店をやりながら両親を看取ってさ。
てな会話をした記憶がある。
11時頃店を出た。私は焼酎をロックで4、5杯飲んだ。IKUKOも焼酎を飲んで、その店のマスターも、確かビールを飲んだ。
「4800円です」
やっぱり、札幌は安い!
観察その8
ホテルに戻り、ベッドに横になって本を読みかけた。必至に目をこらすのだが、何故か活字がかすんで読めない。
「おかしいな。夕方まで読めていたのに」
眼鏡が合わなくなったのか? だとしたら、レンズを交換しなければ、私は本も読めないし、テレビをも見られない。パソコンで原稿を書くのも不可能である。
不安を抱えながら、仕方なく眠った。
翌朝、ホテルのレストランで朝食を摂った。1人での食事は退屈だ。だから本を持参する。食べながら、活字を目で追う。
読めた。
ん? ということは、このホテルの夜間照明は、私の目に悪い作用を及ぼすのか? おかげで昨夜は本を読めなかったとしたら、私は時間をロスしたことになるのではないか? これは抗議しなければ!!
部屋に戻り、シャワーを浴びてチェックアウト、仕事の目的地に向かった。タクシーの中で、抗議するのを忘れていたことに思い至った。
あれほど立腹していたのに、いざとなると忘れてしまうとは。
歳はとりたくないものである。
戻りの飛行機は出発が30分遅れた。なのに、誰も謝罪に来なかった。むろん、料金の割引もなかった。
時間は金で買うものである。だが、一度買うと、時間は金銭価値を失うという特性を持つものらしい。
また一つ賢くなった、気がする。