03.19
2008年3月19日 空席
日銀総裁の後任が決まらない。メディアは一斉に、
「米国発の金融危機を背景に急速な円高・株安が進み、中央銀行の総裁が決まらなければ、市場がさらに不安定になる恐れがある」(3月19日朝日新聞東京本社板、14版、9ページ)
などと危機感をあおり立てるが、ホントかね?
本論に入る前に、1つだけ指摘しておきたい。いま進んでいるのは円高ではない。ドルの全面安である。米国経済への不信任が世界的に進んでいるというのが実態で、通貨の世界で見る限り、覇権は米国から欧州に移りつつある。あおりで、ドルの傘の下にいた円もドルと一緒にその力を失いつつある。落ちるスピードがドルより少し遅いから円高に見えるだけだ。
と思うのだが、どうだろう?
さて、日銀総裁である。そんなもん、しばらく空席になったっていいんじゃないかなあ。
「戦後初めて日銀総裁が空席となるのは確実だ」(朝日新聞1面)
と書いてあるから、60年以上に渡って日銀総裁は存在し続けた。だけど、混乱はたくさんあった。それが事実である。
失われた10年ともいわれる1990年代の不況のとき、日銀総裁は存在した。さて、この10年をもたらした犯人には諸説あるが、資産インフレを食い止めようとした日銀の過度の金融引き締めも候補の1人である。繰り返すが、このとき日銀総裁は、いた。
こうして日本は、デフレスパイラルに突入する。なにをやっても景気は上向かない。この日本経済の舵取りに物申したのがプリンストン大学のポール・クルーグマン教授だった。日本経済はliquidity trap(流動性の罠)に絡め取られていると分析する彼は、インフレターゲットの導入を主張した。当時示された、ほとんど唯一の処方箋だった。通貨供給量を増やして政策的に適度なインフレを引き起こすしか罠から脱する手法はない。
まあ、それが妥当な政策なのかどうかには様々な考え方がある。現実は、日銀はこの政策を採用しなかった。では、それに変わる政策を打ち出したかというと、金利の引き下げ以外、私には記憶がない。そして、結果として景気の低迷は長引いた、と私は思う。
このときも日銀総裁は、いた。
いや、その前だって同じような例はたくさんある。
1985年9月のプラザ合意は、想定を超えた急激な円高をもたらした。1ドルが235円前後だったのが、1年後には120円台までになったのだから、これは混乱というより、革命といった方が相応しい。日本では円高不況の悲鳴が上がった。
このときも日銀総裁は、いた。
列島改造ブームに沸いて急激にインフレが進んだ時期にも日銀総裁はいたし、オイルショックの時も日銀総裁はいた。
で、混乱は避けられたか?
いても混乱は避けられなかった。なのに、何故空席になることが問題なんだろう?
いいじゃないか、しばらく空席なっても。
せっかく、日銀総裁というポストが注目を浴びているのだ。この際、
・日銀の役割は?
・日銀総裁に求められる資質とは何か?
・財政と金融は分離すべきものなのか?
などの論点を出し合い、本質的な議論をすればいい。そして、筋道が見えてきたところで本当に相応しい人材を選ぶ。
それが私であってもいい。
(注)
とは書いたが、私が選ばれるとは全く思っていない。相応しいとも思えない。単なる筆の滑りである。
だって、金融なんてよく分からないんだもん!
これまで日銀総裁は、本質的な論議もなく、日銀出身者と大蔵・財務省出身者のたすき掛け人事で決まってきた。日銀出身者がそのポストに就けば、それは組織内での成り上がりである。大蔵・財務省出身者だったら、単なる天下りだ。さて、そんなもんに、金融の舵取りを任せていいのか?
1ヶ月かかっても2ヶ月かかってもいい。いま足下をきっちりと固めておけば、3年、5年後には日本経済にもきっといい結果が出るはずだ。
その課程で、先に書いたような戦後日本経済の混乱も、本当に相応しい人物を日銀総裁に据えておけば避けられたはず、なんて分析が飛び出してきたら面白い。
期待したい。