04.28
2008年4月28日 3日目
いま、午後10時6分。つい先ほどまで本箱作りの作業をしていた。これはホットなレポートである。
今日は休みを取った。ひとえに本箱を完成させるためである。昨日までは次女と瑛汰が朝から来ており、作業時間が限られた。今日は、朝からフルに時間を使えた。おかげで、本箱の骨組みだけはできた。棚受けの金具が足りず、組み上げるまでには至らなかったが、ニスも塗った。全体の進捗状況は6割というところだ。
あとは、棚板を作るのみである。とはいえ、これも大変な作業だ。幅約9cmの1×4材を3枚タボでつないで幅27cmの板を作るのである。
板に磨きをかける。切断する。タボ穴を開ける。数々の手間をかけて3枚の板を1枚の板に変える。そして、ニス塗装。気が遠くなりそうだ。明日1日では完成しそうにない。
どこかでまた休みを取るか。1日も早く完成しないと、床に積み上げられて本の行き場がない。
それはそれとして。
いやあ、3日も続けて本箱なんぞを作っていると、傷が増える。左手の人差し指に血豆があり、中指には水ぶくれができている。昨日電動丸鋸でできた右膝の傷は赤くなっており、全身の筋肉は悲鳴を上げ始めている。
今日は、肩と腰に湿布をした。ほんとは両腕にも湿布をしたいが、ここはちょいとやせ我慢をしている。何故かは、自分でも分からないが。
ひょっとしたら、老いを認めたくないのかも知れない。
さて、この時間から今日の朝日新聞社説である。
【自民敗北―「再可決」への冷たい風】
要は、早く衆議院を解散しなさい。民主党に政権を渡しなさい、という主張である。異論はない。暫定税率の継続に反対し、後期高齢者医療制度を問題だたとした民主党が、どんな政策運営をするか見たいからである。
朝日新聞の社説を題材に原稿を書きながらいうのもあれだが、何事でも批判するのは楽である。批判することに比べれば、批判される題材を作り出すことの方が遙かに難しい。私に朝日新聞の社説を書けという依頼が来たら、きっぱり断る。その能力も筆力もないと説明する。本音は、そんなしんどい仕事はしたくない!
だが、民主党は政権をうかがう。彼らが政権を取ったとき、どんな政治をするのか。それが見たい。民主党に政権を取らせたいのはそのためである。
それで何も変わらなかったら、まあ、世の中そんなもんか、と諦める。
と書けばわかりやすいのに、社説ってのは、どうしてこう回りくどいのかね? いいたいことをすっぱりいう。そんな訓練をされたらいかがか。
【脱線事故3年―JRに忘れさせない】
事故の再発防止を願う思いは私にもある。だが、この書き方は違和感がある。談話の使い方である。
社説は、あの事故で20歳の息子を亡くした父親が遺族アンケートに書き記した一文を引く。
「『もう3年たったのだから』という言葉に傷つく。一生背負っていかなくてはならないうちの、まだ3年でしかない」
そして書く。
「時が悲しみをいやすわけではない」
こういうのを、したり顔という。おいおい、時が悲しみを癒してくれなかったら、人間はどうして生きていけるのかね?
人間は生まれて死ぬまで、様々な悲しみに直面する。祖父母の死も、親の死もあるだろう。思いを寄せた異性にすげなくされることも悲しみだし、人によっては愛妻を、愛娘を亡くすことだってある。
人間は、そんなものをすべて抱えて生きていくのか? もしそうなら、人は歳をとるに連れて悲しみに押しひしがれ、生きる望みを失ってしまう。
Time cures everything.
最愛の人との別れも、失恋の悲しみも、いずれは淡い思い出になる。だから人間は生きていける。
この社説子、本当の悲しみとはどういうものか、人は本当の悲しみとどう付き合っていくのか、ってことが分かっていない。分かっていたら、あんな軽い言葉を書けるはずがない。
ジャンボジェット機事故の遺族の談話を出したのも引っかかる。
日本航空が事故の残存部品を展示する「安全啓発センター」を作ったことについて、9歳だった子供を亡くした母親が、
「彼の命がここで生かされると思うと納得する」
と語ったというのだが、この談話で自説を補強しようという根性が気にくわない。
確かに、このお母さんはそういったのかも知れない。だけど、彼女は本当にそう思っているのか? そう思いこむことで自分を慰めようとしてるだけではないか?
私が彼女であったら、絶対に納得しない。「安全啓発センター」なんて、私とはなんの関係もない。事故が再発しても構わない。とにかく、死んだ子供を返せ!
事故再発防止を願うのは、そうすれば悲しみを忘れられるかも知れないと思うからである。だけど、そう願うから悲しみが薄らぐことはない。悲しみを癒すのは時間だけである。
そんな人間心理に理解がないこの社説は、なにやら、事故3年ということで無理矢理ひねり出した作文としか思えない。
何度か書いたが、オリンピックの聖火リレー。今日は北朝鮮で、なんの混乱もなく執り行われたそうだ。
それぞれのメディアが、この事実をどんなニュアンスで伝えたのかは知らない。だが、私は思った。
そうなんだ、混乱が起きた国が普通なんだ! 混乱がない国って、思想の自由も表現の自由もない国なんだ!
オリンピックとは、壮大な政治であることを思い知った。
(注)
そもそも、スポーツとは大事なことから国民の目をそらすために奨励されるものです。リンク問題は何ともならず。