2008
09.08

2008年9月8日 臭い

らかす日誌

その男は不思議な行動に出た。今朝、京浜東北線での出来事である。

私は9時9分川崎発の京浜東北線に乗り込んだ。私の通勤列車である。9時9分発は、たぶん隣駅の鶴見始発なのであろう。いつも空いている。今朝も空いてがらんとしていた。が、そこは首都圏の通勤線である。座席はすべて埋まっていた。

私は吊革を掴んで、いつものように本を読み始めた。私の前の座席には中年の男性が座っている。その右に女性が陣取り、そのまた右隣に、たぶん20代と思われる男性が着座ししていた。
不思議な行動に出たのは、この若い男性であった。列車が川崎駅を出て間もなくのことだ。何を思ったのか、スッと席を立つと吊革を掴んだのである。
次の蒲田駅まではまだ時間がある。こんな所で、なぜ席を立たねばならないのか?
即座に了解できない行動を目撃した時、人は何とかしてその行動を理解したくなるものである。いったいあいつは、何であんなことをしてるんだ? 私の頭に自動的にスイッチが入り、行動の原因を想像し始めた。

「ああ、そうか。この男は川崎で降りたかったのか。うっかり乗り過ごして、途中まで来て気が付き、ハッと思って立ち上がったのに違いない」

そう考えれば辻褄が合う。私はなんだか宿題をすませたような気分になり、手に持った本に目を戻した。それでも頭は回転を続ける。

(こいつ、バカだな。乗り過ごしたのに気が付いて突然立ち上がるなんて、自分のうっかりぶりを人目にさらして格好悪いじゃないか。そんなときは次の駅まで知らぬ顔をして座っているんだよ)

(でも、この列車は鶴見始発のはず。鶴見で乗って川崎で降りるなんて、変わったヤツだな)

目の前の男を頭の中で小馬鹿にし、優越感に浸る。これも一種の快感である。目は再び活字を追い始めた。

ところがこの男、不思議な行動を続けた。腰を上げると私の隣に立ち、つり革を握ったまま上半身をかがめ、目の前にいる女性と話し始めたのだ。

(えっ、こいつらカップル? でも、女の方には慌てた様子はないぞ)

ということは、川崎駅を乗り過ごしたのではないらしい。じゃあ、この男の不思議な行動の原因は何なんだ? 頭が混乱し始めた。
目で、先ほどまでその男が座っていた座席を見た。座席から針でも突き出しているのか? それがお尻に刺さったりしたのか?
座席を目で追っているうちに

「なるほど!」

と膝を叩きたくなった。これに間違いないという仮説に行き当たったのである。

先ほどまでその男が座っていた席の右側に、男が座っていた。見るところ、腹囲は130cm以上は確実にある。脂肪でパンパンに膨れて丸太ん棒のようになった腕も特徴だ。胸の周りも腹囲と同じほどあるのではないか?
典型的なメタボ兄ちゃんがネクタイを締めて座っていたのだ。こいつだよ、こいつ! 原因は、この兄ちゃんに違いない!

といっても、この兄ちゃんの横幅がありすぎて体が圧迫され、息苦しくなったのが原因ではないはずだ。つい先ほどまでは、そりゃあ窮屈だったかも知れないが、ちゃんと座っていたのである。では、何が20代の男を不思議な行動に駆り立てたのか?
臭い、に違いない。それが、私側が膝を叩きたくなった見立てだった。

限度を超えてお太りになられている方には、これから先の文章はご不快かも知れない。その点をあらかじめお断りしておく。あわせて、これからの記述にどれだけ客観性があるかも不明である。私が1人で観察して結論を導き出した、極めて私的な見解だからだ。

限度を超えて我が身に肉を蓄えておられる男性には、鼻が曲がりそうになるほどの腋臭(わきが)臭を発する方が多い。どうしてこんなに臭いのか、といいたくなるほどの刺激臭である。ご本人はすっかり慣れて感じなくなっていらっしゃるのかも知れないし、この臭い側が個性だと確信を持っておられるのかも知れないが、これほど傍迷惑な臭いもない。たまたま満員電車で隣り合わせたりした日には最悪である。身動きも出来ないまま、顔を出来るだけ背けてじっと我慢の子を決めるしかない。そして、同じ車両に乗り合わせて隣り合った不運を嘆くのである。

突然席を立った20代の男性を襲ったのも、その強烈な臭いだったのではないか? 隣に座りながら、風の流れの関係でそれまで気が付かなかったのに、突然風の流れが変わった。鼻を突く強烈な臭いに、後先を考えるゆとりもなく、思わず席を立ったのではないか?

強固な仮説が出来た。あとは証明である。
私はその男性と前に座った女性、それに空いた席を観察した。
2人は顔を寄せ合って小声で何事か話している。時折、女性の顔が歪む。もともと美しくないものが歪むと、それはもう大変なことになるのだが、この時も思わず目をそらせたくなったのだが、まあ、この女性は私とは何の関係もない。大変なことになっても、前に立つ男の問題でしかない。
だが、私は2人の会話が聞こえるような気がした。男は、突然席を立った理由を説明しているのだ。強烈な臭いに耐えきれなかった自分の弱さをさらしているのだ。女性の歪んだ顔は、男の話だけで自分もその臭いをかいだような不快な気分になったからではないか。
これが傍証その1である。

隣の席には誰も座らなかった。しばらく空席のままだった。メタボ兄ちゃんの傍に行った人は、その臭いに恐れをなし、彼の隣に座る勇気を持ち得なかったのに違いない。
これが傍証その2である。

列車が大井町を過ぎたころだったろうか。勇気のある20代の会社員が現れた。彼は、その誰も座っていない席に体を滑り込ませたのである。同じ車両でたくさんの人が立っているのに、1つだけ空いている席。そこには何らかの問題があると考えるのが正常な頭の働きだ。勇気とは、頭が正常に働かない人々にのみ許された特権なのか?
品川を過ぎ田町に着いた。あのカップルが降りていった。その直後である。あの勇気ある兄ちゃんが、先ほどまで女性が座っていた席まで腰をずらした。そうか、勇気ある兄ちゃん、君も臭かったのか!
かくして、先ほどまで誰も座っていなかった席は、再び空席となった。誰も座ろうとしない。
これが傍証その3である。
いかがでしょうか。私の仮説にガッテンしていただけたでしょうか?

もちろん、傍証をいくつ重ねても真実が浮かび上がるとは限らないことは、法廷ミステリーファンの私には分かりすぎるほど分かっている。

分かっているのなら、どうして自分の力で真実を確かめなかったのか? そのメタボ兄ちゃんの傍に行けば、仮説を積み上げなくても真実に到達できたではないか!

そうおっしゃりたいのも理解できる。だが、私にはどうしても出来なかった。何故って、もし私の仮説が正鵠を射ていたら、私はあの強烈な悪臭を鼻の嗅粘膜で受け止めなければならないではないか!
私の嗅覚は敏感である。女性がエレベーターに残していった化粧品の香りにも、時折鼻をつまみたくなる。そんな私にとって、 腋臭臭は拷問なのだ。真実を確実に証明できないことなど、その拷問に比べたらはるかに小さい問題でしかないのである。
我が勇気のなさ、危険を避ける判断力の正常さを詰っていただいても構わない。私としては、伏してお許しを希(こいねが)うしかないのである。