09.10
2008年9月10日 Kids on stage
娘2人の子どもたちを何回も日誌で取り上げ、
「単なるじいさんになってるよ」
と娘に叱咤されて以来、啓樹と瑛汰の話題は出来るだけ避けてきた。だが、これは書かざるを得ない。今朝、妻から聞いた話である。
次女の長男である瑛汰は2歳と2ヶ月にしかならないのに、目下サザンオールスターズにはまっている。恐らく、長女の長男啓樹の影響である。中でも、サザンの新曲「I am your singer」が好きで、 というより、この曲だけがお気に入りで、我が家に来るとブルーレイに記録した「サザンオールスターズ『真夏の大感謝祭』30周年記念ライブ」をかけろとせがみ、「I am your singer」の部分だけを何度もリプレイする。
リプレイが3回目ぐらいなると、ギターアンプとマイクロホンをセットしろ、と指令を飛ばす。アンプから自分の声が出始めると、次女と私にギターを持つように命じる。こうして自分はマイクを握りしめ、テレビ画面を見ながら桑田になりきって「I am your singer」を絶唱するのである。
瑛汰の日本語は、独特の省略法によって成り立っている。例えば、バナナは長い間「バ」であった。最近は「バナ」になった。
独特の省略法は、絶唱の場合も適用される。瑛汰は歌う。
「と」………………「は」………………
これを翻訳するとこうなる。
「きっと未来は」
そう、この曲のさびの部分である。それが語尾だけで再現される。
絶唱しながら身振り、手振りも入る。右手を出し、左手を出し、再び右手を出して1回転、最後に右手を上に、左手を横に伸ばす。桑田のぴしっと決まらない振り付けも、瑛汰にとっては憧れの的である。
以上は、本日の話題の前提だ。
昨日は、瑛汰の水泳教室の日であった。いつものように母親を引き連れてプールに入った瑛汰は、いつもと違う行動を取り始めた。プールにマーカーとして立ててあったポールを引き抜き、両手で握りしめてプールサイドにすっくと立ったのである。
いったい何をするのかという視線を浴びながら、瑛汰は次の行動に移った。
「と」………………「は」………………
ポールをマイクスタンドに見立て、「I am your singer」を絶唱し始めたのである。
次女は唖然としたらしい。だが、その母親の思いも知らず、瑛汰の暴走は続いた。右手を伸ばすと、左手で握りしめたポールを引き寄せ、叫んだ。
「ありがとねー」
水着姿の桑田瑛汰のステージは、この時最高潮に達した……。
私はパフォーマンスとは無縁の人間である。瑛汰、本当に俺と血がつながってんのか?
ここまで書いたら、長女の長男啓樹にも触れざるを得ない。ただいま3歳と9ヶ月足らず。
電話がかかってきたのは、確か土曜日だった。
「ボス」
「おお、啓樹か」
「啓樹ね、ごはん一杯食べた」
「そうか、偉いなあ。ごはん一杯食べると大きくなるからな。食べろよ」
「幼稚園でもごはん一杯食べた」
「幼稚園でも食べたのか。偉い、偉い」
「啓樹ね、給食当番なの」
「そうか、給食当番だったらたくさん食べないとな」
「な」
「給食当番がいっぱい食べないと、ほかの子もいっぱい食べないからな」
「な」
「明日もいっぱい食べるんだぞ」
「はーい」
ごく普通の会話である。念のためだが、
「な」
というのは、私からうつった相づちの打ち方である。
だが、これにも前段階の話があるのだ。
啓樹は12月、4歳の誕生日を迎える。そのプレゼントがすでに決まっているの。エレキギターである。それも、指定がある。サザンの桑田が使っているのと同じエレキギターだ。周りが焦げ茶色で、中に向かって色が薄くなり、そこに白い板が張ってあるエレキギター。島村楽器で2万9500円である。
啓樹がそのギターを手にするには1つの条件がある。自力でごはんをいっぱい食べることである。幼いころは何でもモリモリ食べていた啓樹だが、3歳になったころから食事をあまり好まなくなった。
1つは、彼の頭の中ではいつも音楽が鳴り響いているらしい。食事の最中に鼻歌が出る。目の前に並んだ食事より、頭の中の音楽を聴く方が楽しいらしいのだ。
2つ目は、まだ箸使いが自由自在に出来ないことである。だから、食べ物を口に運ぶのが面倒くさくなる。面倒くさいなあ、と思っていると、頭の中の音楽のボリュームが高まる。鼻歌が出る。
かくして、口に食べ物を運んでやれば食べるが、放っておくとなかなか並んだ料理が減らない子どもになった。
子どもは見ていて気持ちがいいほどの食欲を示して欲しい。だから、エレキギターの引き替えとして私は課した。
1人でたくさんごはんを食べること
である。それができなければ、エレキギターはお預けなのだ。
9月になって幼稚園が始まり、同時に4歳の誕生日が指折り数えられるほど近くなった。これまでは、まだまだ先の話だと思っていたのが、グッと現実味を増した。いかん、このままでは憧れのエレキギターが逃げていく……。
いま啓樹は、エレキギターをい手にするための闘いに挑んでいるのである。必死になって食事と格闘する。戦果を逐一、出来るだけ印象深く報告する。
かかってきた電話は、啓樹の闘いの一環なのだ。
「桑田のエレキギターを本当に買ってね。忘れちゃだめだよ」
というアピールなのである。
その啓樹が、段ボールでエレキギターを作ってくれてとパパにねだったのは、8月末だった。パパは段ボールを切り抜き、色を塗り、ゴムで弦を張って必死に政策に取り組んだ。そうか、そんなにエレキギターが欲しいんだ。私は素直にそう受け取っていた。
だが、長女からかかってきた電話で、意外な事実を知る。
「ねえ、このエレキギターで何するの」
と長女が聞いたらしい。啓樹が答えた。
「壊すの」
啓樹がパパにねだった段ボール製エレキギターは、破壊するためのものであった。我が家にあった70年代のロックンロールのDVDを見て感じ入ったらしいのだ。そういえば、あのころはロック=暴力のイメージを振りまいたバンドもあった。
演奏を終えて、ステージでエレキギターをバラバラにぶっ壊すのは格好いい!
3歳9ヶ月にして、ロック=暴力=解放、のイメージをしっかりと頭に刻みつけたこの少年は、成長して何物になるのだろう……。
私は、暴力とは無縁の人間である。啓樹、本当に俺と血がつながってんのか?