09.24
2008年9月24日 昼食
妻が入院した翌日の16日から、華麗なる単身生活を皆様にレポートしようと努めてきた。だが、結果はご承知の通り散々である。おおむねが腰痛のレポートに堕した。腰がある程度回復しても、独り暮らしらしいのは朝食だけである。
せっかくの好機だというのに、華麗さの「か」の字も登場しない。抱腹絶倒もなければ、ひとしずくの涙もない。
お読みいただいている方もそうだろうと思うが、書いてる当人がちっとも面白くない。
なぜだろう、と考えた。考えているうちに、思わず
「そうか!」
と膝を叩いた。
原因は過保護である。
次女がよく来る。不定期休の歯科勤務医である旦那が休みの日は、旦那まで我が家に来て一緒に食事をする。私に飲み会が入っていると、旦那が帰宅途中に立ち寄って犬の散歩をすませてくれる。これでは、悲壮な決意で始めたはずの独り暮らしなのに、1人になる暇がほとんどない。
次女一家が、総力を挙げて私を過保護状態に置いている。
22日は夜の飲み会が入っていた。
「犬の散歩、旦那に頼もうか?」
という次女に、
「たぶん遅くならないから大丈夫だ。遅くなっても自分でやる。お母さんの具合が悪い時なんか、12時近くに千鳥足で散歩に連れ出したこともあるんだから、旦那には頼まなくていい」
といって会社に出た。
予想通り、飲み会は比較的早めに終わった。自宅に戻り、犬の散歩をすませ、さて飲み直そうかとビールを1本抜いて飲み始めたら、犬がけたたましく吠える。
「誰か来たのかな? ドアを開けたら、この期間だけは私が独り暮らしをしていることをかぎつけた絶世の美女でも立っているのかしらん?」
と期待に胸をふるわせながら玄関のドアを開けると、次女の旦那が立っていた。
「えっ、今日も来てくれたのか!」
「あれ、お父さん、もう帰ってたんですか」
「うん、飲み会が意外と早く終わったもので、散歩をすませてビールを飲み始めたところだ」
次女の旦那には、心からの感謝を伝えてお引き取り頂いた。彼はこれから自宅に戻り、遅い夕食なのである。
いやはや、自立を妨げられるというのは、ありがたく嬉しいことだ。
そのような次第で、私が独力でやっているのは朝食の支度程度である。だから、抱腹絶倒の失敗談もない。涙がチョチョ切れる苦労話もない。
ルンルンと浮かれたくなるエピソードも、これではやってきてはくれない……。
ということで、方針を変える。もう朝食のメニューは書かない。いつも通りの日誌に戻る。
まあ、今日は人参と長ネギ、賽の目に切った豆腐、揚げ、それに刻んだミョウガを散らしたみそ汁であったが……。
昨日、妻の大学時代の後輩が見舞いに来てくれた。さっちゃんという。ニューヨーク在住である。
音楽を目指して20代でニューヨークに住み着いたさっちゃんは、なかなかミュージシャンとして芽が出ず、アルバイトに毛が生えた程度の仕事を続けている。当然、あまり豊かな暮らしではない。
だからあまり帰国しないのだが、今回は親族の1人が病重く、命あるうちにもう一度会おうと急遽太平洋を跨いできた。2週間の予定である。
緊急の帰国だったが、我が妻にも会いたいとのメールが来た。妻の入院が決まった直後の11日だった。我が家に立ち寄れるのは23日だけ。この日に何とか会えないか、と書いてあった。
最悪のタイミングである。妻の入院予定は15日から2週間である。経過によっては手術することもあり得る。23日、妻がどのような状態にあるかは、その時点では不透明である。
妻とも話し、彼女には事情を明かしてお断りのメールを送った。
事態を変えたのは妻である。さっちゃんからのメールに書いてあった彼女の電話番号に電話をした。こうして、23日にさっちゃんが病院に見舞いに来ることになった。彼女が、病院に見舞いに行きたいというメールを送ってきていたのを知ったのは、妻からその話を聞いたあとだった。
彼女の来訪予定は午後1時だった。微妙な時間である。微妙な選択を迫られた時、人間は本性を現す。私の思考は1点に集中した。
「昼飯をどうする?」
さっちゃんは昼食をすませてくるのだろうか? それとも、食べずに来るのか? もし食べずに来るのなら、私はその時間まで昼食をとらず、彼女とお昼をごご一緒しなければならない。滅多にない帰国である。せめて日本の美味しいものを食べさせてあげたいではないか。
と書けば、いかにも心優しき紳士に見える。まあ、そんな部分が全くなかったとは言わない。だが、私の頭の大部分を占めたのは、
「おれ、昼飯どうしよう?」
であった。昼飯は、できれば午後1時までには済ませておきたい。夕食を美味しくいただくためである。だが、彼女と昼食を食べるのであれば、時間を多少ずらせばよろしい。その程度の曖昧さは人生につきものである。
だが、それを想定して昼食を取らなかったとする。ところが、現れた彼女が昼食を済ませていたとする。そうすると、私の昼食はどこへ行く? 久々の再会の席から私だけが姿を消し、昼飯を食いに行くわけにはいかないではないか?
私の昼食はどうなるのだ?
私の本性は食欲なのである。ま、ほかの欲もあるのだが……。
何度も彼女の携帯に電話を入れた。かけるたびに、
「電源が入っていないか、電波の届かないところに……」
というメッセージが流れた。
「という訳なんだが、昼飯どうしたらいいかなあ」
1度だけは彼女との交信に成功している妻に言った。
「俺の電話からはつながらない。電話番号を入力し間違えているかも知れないので、そっちの電話からかけてみてくれないか。通じたら、昼飯はどうするのか、どこの駅に何時に迎えに行けばいいのか聞いてくれ。あれだったら、俺の携帯の番後を伝えて、俺に電話をするようにってくれ」
23日の昼食に頭を占拠された私は、妻にそう頼んだ。だが、妻の電話からもつながらなかった。さて、どうする? 23日は早めに昼食を食べるのか? それともさっちゃんを待つのか?
「さっちゃんから電話があったわよ。携帯が壊れちゃったんだって」
数日後、妻がそういった。
「それなら通じないのも仕方ないなあ。それで、昼飯はどうだって?」
「あ、聞いてない」
「じゃあ、どこの駅に何時だといってた?」
「それも聞いてない」
「おいおい、せっかく向こうから電話があったのに、必要なことは何も聞いてないのかよ。俺の携帯の番号は伝えてくれたよな」
「いってないわよ」
せっかくかかってきた電話なのにおしゃべりに忙しく、必要なことは何も聞いてないし伝えていない。かなりのものだとは思っていたが、ここまで使えないと分かれば、逆に清々しくもある。長年連れ添っているのに、その生態を理解せずに頼んだ私がバカだったと思えば済むことだ。
そして23日になった。当然、私はさっちゃんとの連絡は最後まで取れず、仕方なく、昼食もとらずに、午後0時45分に病院に行った。ひたすら、さっちゃんを待つ。いや、我が昼飯がどうなるかを待つ。
妻によると、彼女は立川からやってくる。少し遅れるかも知れないといっていたそうだ。であれば、昼食はとらずに病院に駆けつけるのだろう。待たねばならない。腹が減っても待たねばならない。血糖値が急速に下がったようだが。待たねばならない。
さっちゃんが現れたのは1時20分を少し回っていた。まず妻と挨拶を交わす。直前に到着した長男夫婦とも話している。そして、私の番になった。私は、自然に頭に浮かんだ一言を口から発した。
「ねえ、昼飯食べた?」
それが私の最大関心事なのである。予想通り、まだという。これで昼飯にありつける。心が和んだ。
「じゃあ、食べに行こう」
妻はこの日も外出許可を取っていた。5人で、とりあえず食事が出来る場所を目指した。もう1時25分である。
病院を出て国道1号線を横浜方面に走る。やがて左手に「木曽路」が見える。隣は「スターバックス」である。我々は両店の共用駐車場に車を乗り入れた。これから「木曽路」で食事をする。やっと本日の昼飯にありつける。人生の充実を感じ取ることができる一瞬である。
駐車場を見渡した。ほぼ満車の状態である。嫌な予感がした。
木曽路まで歩く。10人内外の客が待っていた。とりあえず列に並ぶ。時刻は1時30分。
「おい、これじゃあいつになったら食えるか分かったもんじゃないぞ」
とはいったものの、ではどこに行く? 駐車場があって食事が出来る場所はそれほど多くはない。
「順番が来るまで隣のスタバでお茶してればいいじゃない」
といったのは長男だったか、その妻だったか。
我々5人はスタバのテラス席に陣取り、とりあえずの近況報告会が始まった。
さっちゃんが1人で育てた娘さんが結婚したそうだ。式の写真を見せてもらった。
日本でのCDデビューが決まったそうだ。ほう、さすれば、ミュージシャンの世界への扉が開いたのか。iPodに入った曲を聴かせてもらった。
雑談を交わしながらも、私の頭は昼飯である。
「おい、まだか。腹が減ってどうしようもないぞ」
長男の嫁が見に行った。
「まだ私たちの前に3組いるんですよ」
時計を見た。もう午後2時を回っている。道理で腹が極限まで空くはずだ。前に3組? おいおい、この店結構広いんだよなあ。食った奴が次々に出ていけば、もう俺たちの順番が来てもいいんじゃないか? なのに、前に3組?
そういえば、東京で昼飯食ってても、いる。客が待っているのに、食べ終えてもグチャグチャ無駄話をして席を離れない OLの軍団が。おいおい、姉ちゃんたち。待ってる客は迷惑してるぞ! そんなに早くからおばさんになりなる練習をしてどうする?!
そうか、あの軍団から脱出して主婦とやらになった連中が、今日は家族連れで大挙して押しかけてるのか。
そもそも、祝日の昼食を外でとるとはどういうことだ? 旦那連中は平日、外で美味くもない昼飯を流し込んでるんだぜ。せめて休みの日ぐらい、手料理で慰めてやりたいとは思わないのかね?
即座に決断した。
「やめた。出るぞ」
別に、行き先にあてがあったわけではない。家の近くの九州ラーメン「火の国」は、もう営業時間外だ。
そういえば、九州旅行から戻った長男夫妻が、
「長崎でチャンポンが美味いという店を回ってみたけど、結局『火の国』ほど美味い店はなかった」
といっていたが、この際関係はない。
思いを巡らせ、鶴見川近くの手打ち蕎麦「登茂吉(ともきち) 」に向かった。世評は高く、価格も高いが、蕎麦にもつゆにも切れがない。それほどの価値はないと私が思っている蕎麦屋である。が、ほかに選択肢はなかった。
席に座ったのは2時半。ここまで腹が空くと、空腹感も薄らぐ。それに、夕食のことも考えなければならない。
私はせいろを1枚頼んだ。妻も同じものにした。さっちゃんは山菜蕎麦にした。
食べ終えたら3時だった。
我が家でしばらく休んでもらい、最近の日本の音楽事情が全く分からないという彼女に、サザンオールスターズ、PANTAのCDを聞いていただいた。それから車で桜木町まで送った。
女の身で音楽に人生をかけ、単身ニューヨークに住み着いて人生の大半を異国の地で過ごし、とうとう故国でのCDデビューにこぎ着けたさっちゃんの生き方は、そのうちご紹介することがあるかも知れない。彼女のCDをお買いあげ下さいと、皆様にお願いするかも知れない。
が、それは本日のメインテーマではない。主題はあくまで昼食である。
夕食に配慮してせいろを1枚しか食べなかったのに、蕎麦はいつまでも我が胃袋に居残った。夕食の時間が来ても、いまいち食欲がない。夕方から我が家に来た瑛汰が鱈の切り身の煮付けを2枚、それこそペロリと平らげるのを見ながら、黙々と箸を動かした。妻と次女・瑛汰を車で送らねばならないので酒もビールも口にしない食事である。いつもなら少なくとも1膳半は進むご飯が、1膳と一口しか食べられなかった。ついぞないことである。
ま、どちらかといえばダイエットした方がいい体型だし、健康への基礎作りをした1日になったということか? と自分を慰めたが……。
久しぶりにさっちゃんと会えたの嬉しかった。が、たった1個の機器の故障が、昼食に大変な事態を引き起こした。携帯電話がない世の中だったら、連絡の取り方を2重にも3重にも用意しておいたであろうに。携帯電話があるばっかりに、機器の故障に振り回された。
我々は、便利なようで、一皮剥けば実に不便な世の中に生きているのだなあ……。昨日の総括である。
書き忘れたが、妻は29日に退院する。手術の必要はなかったようだ。
我が腰は、8割方の回復にとどまっている。後は時間が解決してくれる、と信じる日々である。