09.30
2008年9月30日 一握の砂
プラスティックは時とともに劣化するとの知識はあった。確かに、古いプラスティック製品は黄ばんだり、ヒビが出来たりする。だが、指で触れただけで粉々になるほど劣化するとは、今朝初めて知った。
キッチンの天井の蛍光灯が暗い。20W管を2本使うタイプだが、うち1本が発光していないようだ。切れたか。
「取り替えてよ」
といったのは、昨日退院してきたばかりの妻である。妻は毎日、5時間、6時間をキッチンで過ごす。子どもたちによると、
「お母さんの趣味よ。料理命なんだから」
ということになるのだが、まあ、趣味どうかは別として、キッチンが妻の主戦場であることは確かだ。その大事な場所の照明の不具合である。戦士が緊急の修復を求めたのだ。
買い置きの蛍光管を取り出し、椅子に乗って蛍光灯を覆っているカバーを外した。切れている蛍光管を外し、新しい管と取り替える。これで正常に戻るはず……、あれっ、点かない?!
蛍光管の取り付けを目で確認する。正常である。であれば、次に疑うべきはグロー球(点灯管)だ。
グロー球がない時代、蛍光灯は店頭用のスイッチをしばらく押しっぱなし(天井灯の場合は紐を引きっぱなし)にして点灯した。壁のスイッチをONにするだけで蛍光灯が点灯するのは、このグロー球のおかげである。
「天井に取り付けっぱなしの蛍光灯で、グロー球が緩むなんてあるかな? でも、ほかに蛍光管が点かない理由は見あたらないし、地震か何かで緩んだ? それともグロー球が切れた?」
クリスキットの場合もそうだが、電気製品に不具合が起きた場合は、手順を踏んで不具合の箇所を発見しなければならない。私の手は、自然にグロー球に伸びた。
ボロボロ、と何かが落ちた。私の右手にあたりながら、床に落下した。
「ん? 何が落ちる?」
右手で触っているグロー球を見た。あれっ、グロー球のソケットがなんだか変だぞ!
グロー球を動かしてみた。またボロボロと何かが落ちた。何のことはない。プラスチックで出来たグロー球用のソケットが、文字通り粉々になって落下しているのだ。やがてソケットが蛍光灯本体からはずれて宙ぶらりんになった。
「何だ、これ。いったい何が起きてるんだ?」
いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと
握(にぎ)れば指のあひだより落つ
(石川啄木「一握の砂」より)
という短歌が、なぜか脳裏に浮かんだ。
そういえば石川啄木って、家族を函館に残して東京で独り暮らしをしながら、借金しては女を買いに通ってたんだよな。そんなヤツに、どうしてこんなに綺麗な短歌が作れるんだろう?
と思いながら、もう一つのグロー球に触ってみた。いかん、こちらもソケットが本体から宙ぶらりんになってしまった。
「これはいかん。もう部品がボロボロだ。買い換えるしかないぞ」
妻にそう宣告して、私は椅子から降りた。
「週末に買いに行こう。取り付けは俺がやる。ただ、この状態だと週末まで持つかどうか分からん。ひょっとしたら、いまは点いている方も消えちゃうかも知れないからそのつもりでいろ」
いま、我が家のキッチンの天井に取り付けてある蛍光灯は全体を覆うカバーが取り去られ、内臓が丸見えだ。蛍光管は2本取り付けてあるが、光っているのは1本だけ。そのうえ、グロー球が取り付けられたままのソケットが2つ、だらりと垂れ下がる。ほんと、これ、いつ全体が死んでもおかしくない!
我が家が完成して間もなく24年。この蛍光灯は、その時間をキッチンの天井で生き抜いてきた。熱、煙、ほこりに耐えてきた。それに、蛍光管が発する光のもとは紫外線で、プラスチックは紫外線にすこぶる弱い。それを考えれば、24年間働き続けたのは健気である。ご苦労さん。
24年間という歳月は様々なものを変える。今日はなんだか、感傷的な1日の始まりであった。
土曜日は、またヤマダ電機に行かねばならないなあ。