2009
04.15

2009年4月15日 理髪店と蕎麦屋

らかす日誌

最近の私の日誌を見て、今日、私の留守中、次女が電話押してきたそうである。

「お父さん、大丈夫? ずいぶんしょぼくれた日誌を書いてるけど」

娘よ、お前はお父さんと何年付き合ってる? お前の歳がばれるから、ここは思いやりをもって何年とは書かないが、これほど長い間そばにいて私のことが理解できないか? 日誌を書き始めたということは、私が大丈夫になった証であるとは気がつかないか? 精神と肉体がへたっていては、日誌の更新などは不可能なのである。
人間理解が甘いぞ!

さて、週があけて今週の火曜日、14日、前橋の日赤病院まで妻を送っていった。桐生に来ても、専属運転手という私の立場は変わらない。

ご承知のように、妻は膠原病患者である。毎日欠かさず服薬する必要がある。だったら、定期的に薬局に薬を買いに行けばいいようなものだが、薬を手にするには医者の処方箋がいる。そして、医者は1ヶ月分以上の処方箋を書いてくれない。横浜在住時に1ヶ月分の薬を手にしてきたから、そろそろ医者に行かねばならない時期なのだ。
それに、新しくかかる医者である。1日も早く面通しをしてなじみを得るのは、患者として心がけるべきことなのである。

桐生の自宅を午前8時に出た。国道50号線に出て、ひたすら前橋を目指す。この50号線は奇妙な道路で、一般道で信号があるにもかかわらず、地元の人々は時速80kmから90kmでぶっ飛ばす。実感としては、信号のある高速道路である。

「おいおいあんたら、交通規則を守ったらどうかね?」

交通道徳に厳しい私は、そう思う。だが、私だけが法令を遵守するのは回りの迷惑でしかない、という常識も兼ね備えている。ゆえに、私も前の車と同じ速度でぶっ飛ばす。このあたりは、早くも群馬県民である。

混む、混む、という話を聞いていた。だが、意外と混雑はなく、1時間少々で日赤病院に着いた。

妻がかかるのは、腎臓内科、だった。受付の前に行くと、10人近い人たちが順番待ちをしている。あ、これはいかん。少なくとも妻の順が来るのに1時間は待たねばならない。このようなこともあろうと、私は本を持参していた。いつか書いた「カポネ」である。まだ読み終えていなかったのだ。
だが、残りページは少なかった。次の本として、「CIA秘録」(ティム・ワイナー著、文藝春秋) も持参していた。 常に備えを怠らない。これは我が人生哲学である。
だが、ここで本に読みふけるのか?

周りを見回した。理髪店の看板が目に入った。そう言えば、私の髪はかなり伸びている。桐生でも理髪店を探していたが、カット1000円の店は、

「なんか、外国人の人がやっているみたいで、ひげは剃ってくれないし、襟ぞりもないんですよ。仕上がりも、ね」

なんていわれて躊躇していた。ひげを剃ってもらう必要はないが。襟ぞりだけはやってもらいたい。それに、仕上がりはやはり気になる。
ほかにないかというと、知り合った数少ない人々は

「うーん」

という。まあ、どこかにいい理髪店はない? と聞かれて自分が通っている理髪店を教えてしまうと、こんな腕の悪い理髪店を使っているのか、と馬鹿にされる恐れもある。あまり教えたくない心理も理解できる。

というわけで、理髪店を探しつつ、髪がかなり伸びた。

「よし、ソファで本を読むより、髪を刈ってくるか」

私は単純にそう考えた。理髪店? どこに行ってもそう変わりはないだろ?

ドアを開けた。おじさんが1人、いすに座って、リラックスした格好で新聞を読んでいた。朝日新聞か、読売新聞か、はたまた地元の上毛新聞か、そこの確認は怠った。

「あのー、予約もしてないんですけど、やってくれます?」

初対面で下手に出るのは、その後の展開で不愉快な思いをしない秘訣である。

「あっ、はい、いいですよ。こちらへどうぞ」

といわれて店内に足を踏み込んだ。後になって考えれば、この時点で早くも、私は若干の後悔をしていた。店が汚い
が、ここまで来たのだ。いまさら、立ち去ることはできない。なーに、どんな形に仕上げられようと、1ヶ月我慢すればいいのだ。1ヶ月立てば再び髪は伸び、どこかの理髪店に行かざるを得なくなる。
それになあ、髪型で女が寄ってくるものでもないだろう?

誘われるままに、真ん中のいすに座った。座った瞬間、あ、安物だ、と思った。横浜で通っていた、さして上等でもない理髪店のいすは、もっと座り心地がよかった。

私をいすに座らせると、おじさんは(まあ、私もおじさんの部類ではあろうが)やおら前掛けを取り出し、身につけ始めた。そうか、こんな時間から客が来るとは予想もしていなかったのか。

「どうしましょう?」

と聞いてきた。これには答えるしかない。

「いまと同じでいいですよ。ただ、まだ髪の毛に元気が残っているらしく、全体を同じ長さにすると頭頂部の髪が突っ立つんです。その部分だけ少し長めにしてもらえれば。それより私に似合う髪型があると思えば、勝手にやっていいですよ」

話が通じたのか通じなかったのか、おじさんははさみとクシを取り出すと、我がヘアをカットし始めた。あれっ、そのはさみ、切れ味が悪いんじゃないの?
髪を切られる我が姿を、正面の鏡で眺める。ん? おじさん、刈り取る髪の長さが少し短いんじゃない? と思った。人の髪の毛は1ヶ月に1.5cm前後伸びる、というのは、横浜で通い慣れた理髪店の店主から聞いた話である。だがこのおじさん、刈り取る髪の長さが短いのだ。1cmもない。おいおい、それじゃあ髪を刈りに来た意味がないだろうが?

私は我慢強いたちである。黙ってなすに任せていた。はさみが全体に回り、仕上がりの姿が見えてくる。
おじさん、こんな形に仕上げるの?

と絶望感に駆られていると、電話が鳴った。おじさんが出る。

「ああ、どうも。それで? あ、字が分からない? あの、その字はねえ……」

おじさん、延々と漢字の説明を始めた。おいおい、そんな話だったら、いま客がいるから後にしてくれというのが商売の常識じゃないの? と私は考える。おじさんは考えない。果たして、群馬県民全部がそう考えないのかどうかは分からないが、おじさんは受話器を握りしめ、延々と漢字の説明をする。

「あ、どうも」

やっと戻ってきた。すきばさみを使って、私の髪をすいていく。ふと、はさみの動きが止まった。ん? おじさんが私を離れていく。おいおい、まだすいてないところがあるだろうが!

「ガーッ、ペッ!」

大きな音とともに、おじさん、流しに向かって痰を吐き出した。痰が流しに落ちると、水を出して流す。私は、

「…………」

の心境である。客を前にして、いや、客を待たせて痰を吐くか?

混乱のうちにヘアカットが終わった。鏡を見る。襟足と耳の回りが短く刈り込まれ、ほかの部分は比較的たくさん髪が残っている。何だか、ださい。30年前の公務員の髪型といったらよかろうか。
が、私は何も言わない。そもそも、ここでヘアカットをしようと考えたのは私なのだ。結果は私がすべて引き受けなければならない。

襟足にカミソリの刃があたる。うん、そこは綺麗にしておいてもらわなくちゃ。
終わった。次はシャンプーだよな?
という私の見通しは見事に裏切られる。おじさんは私の顔にシャボンを塗り、髭剃りを始めたのである。
ん? でも、順序としてはまずシャンプーをした方が合理的でしょ? シャンプーをして髭を剃れば、その間に髪は少しは乾くわけだし。それに、髭剃り後のクリームだって、つけた後でシャンプーをすれば流れ落ちちゃうじゃない。
が、おじさん、合理性には目もくれない

ん? また私を離れたぞ。あれ、ティッシュを取り出している。あー、大きな音を出して鼻をかんじゃったよ。あんた、花粉症かい?

髭を剃り終えた。私の常識では、次は熱いタオルで顔を拭き、髭剃り後にクリームを塗り込むところだ。
が、おじさんはことごとく予想を裏切ってくれる。

「はい、髪を洗います」

そう来たか。髭剃り後のクリームはシャンプーが終わるまで待てってか。ヒリヒリしてるんだけどなあ。髭剃り後にクリームを付けてくれたのはシャンプーが終わった後だった。

「はい、お疲れ様でした」

という言葉で、私はいすから解放された。いまや我が頭は、30年前の公務員スタイルである。泣こうがわめこうが、この形から逃れることはできない。不用意にクレームをつけたら、このおじさんの美的センスの元、どんな形にされるか分かったものではない。このあたりで我慢した方が被害を最小限に食い止められるのではないか?
私は、いっさいクレームをつけなかった。おじさんはいった。

「では、3800円頂きます」

えっ、大都会の横浜で通っていた理髪店でも3600円だぞ。なのに、前橋の、日赤病院の中に入っている理髪店が3800円も取る?
壁の張り紙を見た。料金表である。確かに、ヘアカットは「3800~」と書いてある。ふーん、そうなんだ、と思いつつ、目を下にやって驚いた。
病室への出前は3割り増しでお願いしますとあったのだ。
えっ、この病院に入院して、病室でヘアカットしてもらうと4940円もするの? 30年前の公務員のヘアスタイルが5000円もするの?

妻の診察が終わったのは正午過ぎだった。その間、「カポネ」を読了し、「CIA秘録」に進んだ。備えを怠らないから、このようにスムーズに移行できる。

前橋市内で買い物をし、昼食の時間になった。

「あそこに行きたい」

といったのは妻である。蕎麦屋だった。その蕎麦屋には「そば道場」が併設されていた。店主かそば職人かは知らないが、お金を取ってそばの打ち方を教えているらしい。
それなら期待できる、と考えるのは人の常である。

が、常は常ならず、という人生哲学を教えられた。感心したのは量の多さだけである。「もり」を注文して出てきたそばの量が、東京や横浜では優に2人前の量である。

「そうか、そば道場の看板と道場風のスペースは、単なる客寄せの手段であったか」

と思い知ったのは、運ばれてきたそばを2口ほど食べた後のことであった。
このそば道場に通う生徒さんなど現れないで欲しい。そう願わずにはいられない昼食であった。

 

以下は、14日の結論である。
群馬県で理髪業と飲食業に従事される方々にお願いしたい。
私を群馬嫌いにしないで下さい!