2009
07.26

2009年7月26日 失言?

らかす日誌

私、自民党を支持するわけではない。
私、いくら故郷が近いからといって、麻生首相の肩を持つわけではない。
それでも、今朝の各新聞の報道はちと酷くないか?

YOMIURI ONLINEによると、麻生首相は昨日、横浜市で開かれた日本青年会議所の会合で

「日本は65歳以上の人たちが元気だ。介護を必要としない人たちは8割を超えている」としたうえで、「元気な高齢者をいかに使うか。この人たちは働くことしか才能がない。働くということに絶対の能力がある。80(歳)過ぎで遊びを覚えるのは遅い」

と宣うたそうだ。これに各メディアが襲いかかった。というか、一斉にからかった。「みぞうゆう」首相の、またまたの問題発言として一斉に取り上げた。働くことしか才能がない、というのが高齢者を揶揄しているのだという。
そうかぁ? 私にはそうは聞こえないけどなあ。

発言の趣旨は、

ねえ高齢者の皆さん、働けるうちは働きましょうよ。そうすれば、年金問題も、税収不足の問題も解決します。私だって68歳でまだ働いてるんです。働けるうちは働いた方が人生充実しますって。皆さんの働くが日本の戦後成長を支えてきたんですよ。それは胸を張っていいことです。それなのに、ちっとばかり歳食ったからって引きこもってどうします? 日本にはまだまだ皆さんの力が必要なんですよ。

てなことではないか。私は、この発言の趣旨に賛同する。働いているから、休みに遊ぶのが楽しいのである。毎日が日曜日になってしまっては、遊びだって楽しくないに違いない、と私は思う。

まあ、そんなことをいいたくて、麻生首相はこりもせずに麻生節を使った。そのレトリックがぴったりはまったかどうかは別問題である。もう少し穏当な言い方があったかもしれない。だが、それが滑ったからといって、これほどまでにあげつらわれなければならないのか?

ここまでくると、マスメディアによる言葉狩りともみえてしまう。

にしても、である。この麻生首相の発言がほとんどすべてのメディアで一斉に取り上げられ、同口同音に非難されるのは何故なのだろう? 同じ発言を聞いて、全員が

「これは問題だ!」

と思い、

「高齢者に失礼ではないか」

と感じるなんてことが本当にあり得ることなのか? マスメディアで飯を食っている皆さんの言語感覚は、それほど均一化されているのか? 同じ発言を100人が聞いて、100人全員が同じ感じ方をするのか? だとすれば、これは報道の全体主義である。日本に数多くのメディアはいらない。新聞1紙、テレビ1局でこと足りる。そちらの方が、世の中の無駄が減り、すっきりする。

とまで考えて、私は邪推する。

昨日、会場にはほとんどのメディアの記者が取材に押しかけたはずだ。衆議院解散直後の首相の講演である。それは当然であろう。
同時に、記者達にはある種の期待があったに違いない。何しろ、話をするのは失言でならした麻生首相である。「未曾有」を「みぞうゆう」と読んでしまうことはもうないだろうが、麻生首相のことだ、また新しい失言をしてくれないとも限らない。
そんな空気を読んだか、読めなかったか。麻生首相は冒頭の発言をした。

「あっ、いったよね。いっちゃったよね。あれ、問題発言だよね。ね、そうじゃない?」

 「えっ、どこが?」

 「だって、働くしか能がないなんて、年寄りを馬鹿にしてるじゃないか」

 「そうかな……」

 「そうに決まってるよ。いいかい、生きるって、働くことだけで成り立ってる訳じゃないだろ? 君だって、いや君に仕事の才があるかどうかは不明だが、仕事をする能力しかない、なっていわれたら怒るだろう?」

 「いや、そういわれても……」

「みんなはどう思う? あれ、年寄りを馬鹿にしてるよな?」

 「いわれてみれば、そんな気もしてきたけど……」

 「俺、書くぜ。君も書くよな!」

みたいな会話が現場で繰り広げられなかったか?

イチローは、野球にしか才能がない、といわれて怒るだろうか? ひょっとしたら、最大の褒め言葉と喜ぶのではないか?

エリック・クラプトンは、ギターにしか才能がない、といわれて怒るだろうか? むしろ誇りに思うのではないか?

夏目漱石は 、小説にしか才能がない、といわれて怒るだろうか? それが分かってもらえましたか、と感激するのではないか?

世は、私も含めて

「あなたは○○の才能がある」

といわれたことがない人間の集団である。その中で、

「あなたは○○にしか才能がない」

といわれる。それは少なくとも○○には他に秀でた才能があることを認められてことである。

 

今回の衆議院選挙は政権選択の選挙である。選挙を報じる方々には、こんな片言隻句を取り上げて首相、自民党を批判したつもりになっている暇はないはずだ、と思うのは私だけなのか?