01.14
2010年1月14日 談義
「どこか、外国に行ってらっしゃったんですか?」
私の髪を刈っていた床屋さんが、唐突にいった。
「外国? まあ、行ったことはありますが。でも、今日は市内から来たんですけど」
このオヤジ、いったい何がいいたいんだ?
「いえ、その、行った、というんではなくて、お住まいになったことがあるのかな、ということなんですが」
それは、残念ながらない。かつて、ロンドン駐在になるという噂が飛んだことはあるが、実現しなかった。根も葉もないことだったのか、当時の上司に疎まれたのか。
私のことだから、どちらも可能性は十分にある。いまさら事実を突き止めようとも思わないが。
「いや、駐在したことはありません。仕事で行ったことはありますが」
正直に答えた。でも、この話はどちらに転がるのだろう?
「でも、どうして私が外国に住んだことがあると思われたのですか?」
床屋さんは、瞬時、言葉を探す様子だった。
「いや、その、アメリカあたりにお住まいになっていたのかな、とふと思ったものですから」
ふと思うのは個人の勝手だが、私の髪を刈るのがまだ2回目の床屋さんが、何故?
「今日身につけてるものは上から下まで国産で、Made in Americaなんて皆無だけど、どうして?」
床屋さんは瞬時に答えた。
「何というか、お客さんはお洒落な感じ、あか抜けた感じがあるんですよ。日本人離れしているというか。それで、アメリカあたりの水を飲まれたのかな、と」
私が? お洒落? あか抜けた? 日本人離れ?
「それはそれは。アメリカには何度か行ったんで、アメリカの水は飲みましたけど、住んだことはないんですよ」
今朝の床屋談義である。
やっぱり、私、褒められるの、だ・い・す・き!
談義といえば昨夜、お医者さんと談義をした。
夕食をすませ、私はギター練習にとりかかった。30分ほどエレキギターを抱えていたのだが、どうしたことか、チューニングがすぐに狂う。狂ったなと思えば演奏をやめてチューニングし直すのだが、またすぐに狂う。
そろそろ、弦が寿命を迎えたらしい。と判断して、弦の張り替えに取りかかった。新しい弦は数セット買い置きがある。
古い弦を取り去って新しい弦を張り、さて、音を合わせようかと思っているとき、電話がきた。
「大道ちゃん、どうしてる? いま、○○○○。医者やってる友達と飲んでんだけどさ」
9日に飲んだばかりの、桐生市で要職につく知人だった。
「いまから出て来いって?」
時計を見た。もう9時である。
「いや、別に来なくてもいいんだけど」
来なくてもいいのなら、電話をしてくるはずがない。
「わかった。行くよ」
私、この知人に心の底から愛されてしまったらしい。
という流れから、談義の相手は、知人と一緒だった医者に違いない。いったいどんな談義をしたんだ? と先を読まれた方。あなたは、まだ見通しが甘い。人生とは、思いも寄らなかったことが次々に起きるドラマである。
先客は我が知人と、連れのお医者さんだけだった。カウンターにとまって3人で飲んでいると、次の客が来た。見覚えがある。確かこの店で1度だけ顔を合わせ、話したことがある。その時私は名刺を渡したが、彼は名刺を切らしているといってメモ用紙に住所、名前、電話番号を書いたんだっけ。確か、医者だったな。
「どうも、先生。先日は名刺もいただけませんで」
私の挨拶は、いつもこんな調子である。これで気分を悪くするような面白くない奴なら相手にしたって仕方がない。
「ああ、そうでしたね。あのときは失礼しました」
そうそう、こんなリズムで話せる人は我が友である。
彼は医者である。話は医療関係に向く。
新型インフルエンザ、大変な騒ぎだったけど、被害者はたいして出ませんでしたね。
—ワクチンが大量に余っているんですよ。そもそも、たいした危険性がないインフルエンザなのに、危険だ、危険だと政府もマスコミもあおり立て、世界中からワクチンを買い占めちゃった。
—でも、不思議なことに、新型インフルエンザで死ぬ日本人は季節性のインフルエンザより少ないのに、メキシコでは新型で沢山の人が死んでいる。民族性とか、栄養状態、暮らし方、なんていろいろな要因が絡んでいるんでしょうね。それは仕方がないとして、問題は日本が金に飽かせてワクチンを買い占めたことです。おかげで、たいして必要がない日本に世界中のワクチンが集まり、本当に必要なメキシコにはほとんどワクチンがない。これ、おかしいと思いません?
思う。大いに思う。
—新型インフルエンザは豚インフルエンザなのですよ。これはたいして危険じゃない。しかし、鳥インフルエンザはいけません。あれは死にます。鳥インフルエンザだけは何としても防がなくちゃいけない。
鳥は死にますか?
—死にます。大変に危険です。新型インフルエンザなんぞに血道を上げる暇があったら、鳥の対策を詰めなきゃいけない。
専門家と話すと、知識が増す。
ところで、あちこちで医療崩壊が叫ばれてますね。
—大道さん、我々医者は何を求めて仕事をしているかわかりますか?
いえ、私、医者というのはなりたくない職業の代表だったので、考えたこともありません。
—金じゃありません。名誉でもない。
はあ、私とは違うんだ。では、何?
—プライドなんですよ。
プライド?
—はい、患者さんに「先生、直してもらってありがとうございました」っていわれる。それが最大の喜びなんです。患者に感謝される。それが医者のプライドなんです。
なるほど。
—ところが、それが理解できない自民党と官僚が、ひどい医療費改定をやった。
寡聞にして存じませんが。
—△△△△(大量の飲酒により、固有名詞を失念)って制度、知ってます? これ、我々内科医をを馬鹿にしてるんですよ。たとえば外科や眼科なら、薬を張り替えたり、目を洗ったりっていう医療行為が必ず伴いますよね。そうすれば、これには保険の点数がつく。ところが、内科医はこうした医療行為が少ない。聴診器を当てれば医療行為になるんだが、そんな必要もない患者さんも多い。お話だけ、ってことが結構あるんです。それで、内科医は金銭的に不利だということになった。そこで、厚生官僚が考えたんです。「はい、今日はどうしました? ああ、そうですか。ほかに私に聞きたいことがありますか?」と5分以上かけて患者に聞きなさい。そうすれば500円あげます、というんです。
しかし、診察室でそんな会話があったかどうか、どうやって証明するんですか?
—いちいちカルテに書くんです。
だったら、簡単じゃないですか。そのやりとりをゴム印にして、カルテにペタンペタンと押す。一押し500円なら、なかなかいい取引じゃないですか。
—敵もさるものです。判子はいけない、とちゃんと書いてある。全部手書きしなくちゃいけない。いちいちですよ。やってられますか? これでプライドが持てますか?
だけど、そんな政策を決めた自民党を応援してきたのが医師会じゃないですか。自業自得、っていえません?
—だから、医師会の執行部にたてつく医者も増えてるんですよ。
談義いよいよ佳境である。佳境に入ったのだが、同時に酒も進んだ。結論はお見通しの通りである。それ以上の記憶が途切れて……。
そういえば、要職の知人、カウンターでうたた寝していた。
あのお医者さん、また会いに行こう!