2010
02.03

2010年2月3日 勇気

らかす日誌

夜、電車。帰宅を急ぐ人たちの中に、おそらく予備校帰りなのだろう、女子高生が1人混じっていてシートに座り、参考書らしきものに目を落としていた。

いつの間に現れたのか、一目で酔っていると見て取れるオヤジが乗客の隙間を縫い、女子高生の前に立って両手で吊革につかまった。しばらくすると、女子高生に話しかけ始めた。酔ったオヤジの口から吐き出される酒臭い臭いがいやなのか、話の内容がいやなのか、女子高生は身を固くしている。

それでもオヤジの口は閉じない。ろれつの回らない口調でクドクド、ネチネチ話しかけている。よせばいいのに体を折り曲げ、たいして美しくもない顔を彼女にぐっと近づける。いまや女子高生は身を固くするだけでなく、明らかに逃げ出したそうな様子だ。

車内は混んでいる。多くの人がスカタンのオヤジと困惑する女子高生に気がついているはずだ。だが、女子高生の隣に座っている30代のサラリーマンは素知らぬ顔で新聞を読んでいるふりをしている。こちらのオヤジグループは仲間内の雑談に余念がない。だが、いくら雑談に熱中していても、女子高生にからむ酔ったオヤジに気がついていないはずがない。さっきからちらちらと横目で見ているではないか。

みんな知らんぷりである。誰も止めに入らない。みんな自分が可愛いのだ。下手に止めに入って自分が絡まれてはかなわない。いや、絡まれるぐらいならまだしも、酔ったオヤジのことだから暴力沙汰になることだってあり得る。ブルブル。冗談じゃない。君子危うきに近寄らず、さ。

「おっさん、その女の子困ってるじゃないか。やめろよ。あんた、いい歳して恥ずかしくないのか?」

車内から声ががでた。声の主は髪を伸ばした大学生だ。Gパンにセーター、バスケットシューズ。頬がくぼんでいる。あまりいい暮らしはしていないらしい。が、この学生のなりや暮らしはこの際関係ない。これで女子高生は救われる。車内にホッとした空気が流れた。

 

「その時声を出したのが、あなただったんだって。そんなことしたって、覚えてる?」

今朝、妻に問われた。
我が家には昨日から、学生時代の私の友人が泊まっていた。私が席を外したすきに、彼が妻に語ったらしい。

 「えっ、俺が? そんなことしたの? 東海道線でグデングデンに酔っぱらった女の子が立っていて、見かねて 席に座っていた若い男を立たせ、その子を座らせたことはあるけど。聞くと、川崎駅まで行くというので、川崎駅で一緒に降りてタクシーに乗せた。金はあるというのでそのまま行かせ、すぐに、名前も聞いてなかったし名刺も渡さなかった。惜しいことした、と後悔したことはあるが。あ、いや、何を後悔したかは別として、だ。でも、学生時代にそんなことをした記憶はないなあ」

「でも、それでずっと強い印象が残ってるんって言ってたんだけど」

 「ホントに俺か? 俺、そんな無鉄砲かなあ? どちらかというと、『あっしにゃ関わりのないことで』の木枯らし紋次郎を決め込む意気地なしだと思うけど」

でも、本当に私はそんな勇気ある行動を取ったのだろうか?
彼が強い印象が残ってると40年後に語っているのだからまんざら嘘だとは思えないけど……。俺って、そんなことができるタイプか? 違うと思うが……?

しかし、悔しい。そんなことを本当にしたのなら、なんで覚えてないんだろ? おかげで、こんなにいい自慢話のネタを40年も使わないまま過ごしちゃったじゃないか……。
でも、本当に俺なのかなあ。

 

その彼は、福岡での学生時代、ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合。ご存じない方も多かろう。あ、恥ずかしい!)の活動を通じて知り合った。ともに天神の街頭に立ち、ギターをかき鳴らしながら反戦歌を歌った仲である。それでも、当時はそれほど親しくなった記憶もなく、彼が就職してからはまったく音信もなかった。
それが数年前、ふとした機会に東京で再開し、酒を飲んだ。ずいぶんしわくちゃになっていたが、よくよく見れば当時の面影は残っていた。

その彼が、2、3週前、突然電話をくれた。私に渡したいものがあるという。話していると、現在定年休を消化中で、3月いっぱい遊び、4月から嘱託として仕事に戻るらしい。ま、定年後に働いている私と同じく、彼も定年後働くのだ。

「だったら、遊びに来れば。桐生は鰻とうどんが美味いし」

彼は2つ返事でのった。そして、昨日やってきた。

昼過ぎにやってきた彼を、まずうどんの「しみず屋」に連れて行った。客を接待する定番である。彼はきつねうどんを頼み、私は釜揚げうどんにした。

「お前のを見た瞬間に後悔したよ。俺も釜揚げか、せめてざるうどんにすれば良かった」

学生時代、それほど親しくなかった彼は、隣の芝生を愛でるタイプらしい。

夜は鰻の「こんどう」である。これも接待の常道だ。遊びに来てくれた客には最高のもてなしをしなければならない。
8時半頃自宅に戻った。当然飲み直しである。ウイスキーを傾けながら、雑談がやがて歌になり、フォークギターを2台引きずり出して歌い始めた。エレキギターの電源も入れた。

「音が大きすぎるわよ」

という妻は、

「近所迷惑になる音量かどうか聞いてみてくれ」

と外に出した。戻ってきた妻は何もいわなかったから、それほど音は漏れていなかったようだ。何しろこの住宅、ペアガラスを使ってあるのだ。ペアガラスは断熱だけでなく、防音にも効く。

CDをかける。DVDを見る。ギターをかき鳴らす。歌う。40年の時間がたちまち溶けて消え失せた。年相応に弱った目には、顔の皺も白髪もポッコリおなかも、よく見えない。気分は学生時代だ。いつしか妻も仲間に加わっていた。

「おい、日付変更線越えたぜ。そろそろ寝ようか?」

 「うん、そうだな。その前にもう1杯」

 「まだ飲むのかよ」

そんな掛け合いのどちらが私の発言で、どちらが彼の発言かは、あえて明らかにしない。いずれにしても、40年前に袖すりあった男と、昨夜、初めて友になった。

「おい、バンドやろうよ、バンド」

 「いいねえ。俺より息子の方がギター上手いから、息子に教わっておくわ。息子に最初にギターを教えたのは俺なのに、いつの間にか俺より上手くなって時々ライブハウスに出てるもんな」

 「やろう、やろう。俺も熱心にギター教室に通って腕を磨いておくからさ」

布団に入ったのは1時過ぎ。心地よく眠りについた。

今日昼前、彼を新桐生駅まで送った。次は、どこでどのように彼と会うのだろう。楽しみである。

えっ、昨日も今日も平日だ、仕事はどうしたのか、って?
それは愚問です。仕事はしなかったのです。仕事より大事なことがある場合は、仕事はしているふりをして誤魔化すのです。
私は、それを常識と呼んでおります、はい。

でも、あの勇気ある大学生、本当に俺? その後の自分を見ていると、とても信じられないのだが。